偉大な中心的存在
人はどこからきて、どこへ行くのか。
私達がこの地上世界に生まれてくるということに、どんな意味があるのだろう……。
地球は、太陽は、そして大宇宙は、生きている大自然は、それらと私達との関係はどのような仕組みになっているのだろう……。
魂とか心というものは実際に存在するのだろうか。もしあるとすれば、どのように存在し、どんな目的があるのだろうか。それともただ偶然にあるだけなのだろうか。
これから取り上げる諸問題は、人間の存在、心、宇宙を統べる意識、人生の目的、苦楽の諸相、この世とあの世、大宇宙と人間の関係について記していく。
いわばこれまで″ナゾ“とされていた四次元以降の多次元の諸間題にわけ入り、それを解明しようというわけである。
訪問してくださっているあなたや、その他の人たちも、そんなナゾ解きは不可能とみる人もあるかも知れないが、私の体験では、人間はそのまま、小宇宙を形成しているものであり、苦楽の諸相は、「心」と「行為」が生み出しているといえるのである。
以下これらの問題について、順を追って説明していきたい。
私達の住んでいる地球、大宇宙は、あらゆる生命物質を生み出しているところの源である。
もしも地球や宇宙がないとすればどうなるだろう。私達の存在はないはずである。
大宇宙があって私達肉体人間が地球という場で生活している。
しかしその大宇宙も、よくよく調べてみると、私達人間同様に物質からできている。
光という粒子がさまざまに結合し、あるいは離れることによって空間や固体をつくっている。科学的には集合と分散といえよう。
この事実は、今日の科学で証明しているところであり、否定はできない。
では、その光の粒子はなんでできているか。偶然か、それとも何かの意思によって動いているのか、ということになると科学の分野ではまだ未解決である。
未解決だが、自然科学者のなかには、これは偶然でなく、何かの意思が働いているようだと、考えられるようになってきている。
この間題については次にふれるとして、この大自然界は、そうした目に見えない何かの意思の下に動いており、そうしてその作用は相互に働きかけながら共存するように仕組まれている、ということである。
例を身近な問題にとってみよう。
私達は、空気を吸って生きているが、大気中の酸素の量は21%である。
それが10%に減ったり逆に50%に増えると肉体は生きていけない。
吸収された21%の酸素O2は、肺から体内の諸器官を通って体外に吐き出されるが、その時、二酸化炭素に変わっている。
自動車の排気ガスも同じように二酸化炭素その他の化合物となる。
空気中に戻った二酸化炭素CO2は、こんどは植物が吸収する。
植物は、二酸化炭素を栄養源として、太陽の熱、光の合成によって澱粉や蛋白質、脂肪、糖分をつくる。
私達人間の血や肉は、こうした植物から得られる。
O2もCO2も肉体保存に必要なエネルギー源といえよう。
人間と植物は、空気を媒体として、このように相互依存の関係をつくっている。
空気については、人間と植物の間をいったりきたりすることによって空気の生命を保持している。
このことを循環という。
こうした相互依存の関係は、私達の人間社会についてもいえるのであり、すべてのものが、そうした関係において成立し、一方において、そうした関係を成立させているものは循環という法則であるといえるのです。
しかし、ここでさきにもふれたように、こうした循環というものは、偶然に存在しているのではない。
空気にしろ、植物にしろ、水にしても、何千年、何万年経っても、減りもしなければ増えもしないし、ある一定量の質量は常に保持されている事実を知るならば、なおさらのこと、循環の奥にかくされた何者かの意思を認めざるを得ないだろう。
こうしてみると大宇宙、大自然界には、それを支配しているところの唯一なる意識というものがある。
通常、意識とは物事を認知する力、あるいはそれを支配しているものと解すが、大宇宙にも、すべての物の根本である「仕事を為し得る能力であるエネルギー」が同居している。
エネルギーは目には見えないが、しかし、存在しているのは事実である。
それは異なった次元の世界に存在しているから、理解はできても見ることはできないのである。
物質的次元は、もっとも固体的で不安定な世界ですが、しかし、ここにも次元の違うエネルギーが同居しているのだ。
そして無機物質のエネルギーより、有機物質と同居しているエネルギーの次元ははるかに高次元である。
仏教で説く、色心不二の世界について考えれば、″色″とは、私達の眼でとらえることのできる世界ということだ。
虹の七色の世界が、私達の視界の限界であるが、赤外線も、電波も、紫外線も、X線Y線γ線も、α波も私達には見えないだろう。
万物は、何万色かの色彩によって包まれている。そのために物質を“色“と考えたのである。
その意味で、私達の肉体も色(物質)であり、大自然も色といえよう。
そして心とは、次元の異なった世界に存在するもので、一般的に私達の眼では確認することが不可能である。
このように、大宇宙という物質の世界を支配している高次元の意識、心こそ、godそのものだということが理解されるだろう。
私達の住んでいる地球も、太陽系の小惑星で、他の惑星群と三万数予個からなる衛星や小天体と、秩序を保ちながら自転、公転している。
私達は、通常太陽暦を使って、年令や時間、月日を定めているが、こうした年月日、時間というものは、周知のように、太陽と地球、地球と月の自転や公転から割り出されたものだ。
驚くべきことに、この時の運行は、百年間に千分の一秒しか狂わないということである。
人間の知恵によって、送り出された宇宙船は、やっと月の世界まで到達することができたが、太陽系のこうした神秘と科学的現象からみると、いかにも小さいという感じがぬぐえないだろう。
さらに、人知のおよばない宇宙の運行を見るときに、私達はそこに、想像も及ばない宇宙の意識、物理的エネルギーの存在を認めなくてはならないはずである。
恒星や惑星が、もし秩序整然と運行していかなかったならば、大変なことになるだろう。
地球など、どこへ飛んで行くかわからない。
これらの星は、大宇宙の意識、意思(意志)にもとづいて調和しているから安全であり、こうした秩序をみるときに、私達はそこに、偉大な宇宙の中心的存在を無視することができないといえるのである。
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