私心を離れてみることの必要

内省
感情がアンバランスであったり、偏った価値観があったり、理性に欠けていたり、謙虚さに欠けたりすると、物事の一面のみを見て、それにとらわれがちになってしまう。
人間の精神面の苦しみ、悩みというものは、ときとしてみずからの命を絶つほどに強く深いものがあるようです。
現に、今日のこの世の中においても、そうした悩みを抱き、絶望したり、行き詰って為す術を見失い、みずからの命を絶ってしまったという、まことに気の毒な姿がしばしばくり返されています。
たとえば、受験を前にした受験生が、自信をなくして自殺したとか、事業に失敗した人が絶望のあまり自殺したとか、あるいは失恋をしたショックが大きくて立ち上がれないとか、病気を苦にしてとか、人間関係がうまくいかないなどということで自殺したというような例が少なくないようです。
こうした不幸な姿というものは、内在する課題も大きなものですが、やはりお互いの努力によってなるべく少なくしてゆかなければならないと思います。
先ずは、そういった不幸な姿に結びつく悩みとか絶望というものは、なぜ生じてくるのでしょうか。
これについては、もちろんそこにはそれぞれの深い事情があって、一概にはいえないのですが、人それぞれに物事の見方、考え方も様々なものがあるでしょう。
しかし、総じていうならば、やはりそうした悩みなり絶望というものは、物事の一面のみを見てそれにとらわれてしまう、というようなところから生じてくる場合も少なくないのではないでしょうか。
例えば、A君16歳、高校一年生の野球部、有望なピッチャー。
真面目な、物静かな好青年は学校に行きたくない、野球部の練習にも行きたくないということで親御さんが心配して相談してきた。
先ずは、A君に会って状況を聞くことにした。
部員のみんなとは別に一人離れて練習をしていたら「バカ、なにやってんだよ」と、きつい口調で怒られた。
以来、気持ちが萎えてしまって学校に行きにくくなったということだった。
「A君、野球は部員みんなのチームプレーじゃないの?、もし君が三年生でキャプテンなら部員全体をまとめるためにいろいろと気遣いするでしょ?」
「はい」
「部員が自分勝手な行動して練習していたらチームはどうなる。まとまったチームプレーがしにくい野球になると思わないか?」
「君はピッチャーだから自分の練習をしたかったんだろうけど、何も言わず、自分一人の練習を始めたのは、キャプテンにすればチーム練習の規律を乱すやり方に思えたかもしれないね」
「そうだと思います。」
「それが分かるなら、明日学校に行って、キャプテンに一言お詫びをしてごらん。そしたら絶対にうまくいくから」と話して勇気づけて帰した。
後日談で、翌日いわれたことをキャプテンに話したら通常通りに接してくれて、以来、とても可愛がってもらっているということだった。
A君は、キャプテンに激怒されたことの一面のみを見て、それにとらわれてしまったために練習も嫌になり、さらに学校に行くことさえも嫌になったということでしょう。
しかしながら、激怒されたということだけに囚われてしまえばマイナスという受け止め方になるかもしれませんが、その反対にその激怒が何故なのか、という冷静で素直な受け止め方ができればプラスにも転じることもあるわけです。
こうしてみると同じ一つの物事であっても、それに対して、いろいろな見方があり、さまざまな面から考えることができます。
だから、一見してマイナスと思われるようなことでも、実際にはそれなりのプラスがあるというのが世の常ではないかと思います。
いってみれば、雨が降れば洋服がぬれて困ると見る見方もある反面、畑の作物をうるおしてくれると喜んで見る見方もあります。
ところが、そのうちの一面だけを見てそれに囚われてしまうと、不必要に心を悩ませたり、極端な場合は絶望してみずからの命をたつといったような不幸な姿にも陥りかねません。
人間はなぜ一面だけをみて、そのことに拘ってしまうのだろうか。
それはやはり偏り過ぎた思考、執着という心の働きによるものではないだろうか。
素直な心というものは、「素」つまり、何も余分なものがなく、「直」つまり、真っ直ぐなこと。
真っすぐということは、自分の我に閉じこもるのではなく、寛容 にして私心なき心、広く人の教えを受ける心をいうのでしょう。
素直な心の大切さは、どのような場面でも、必要欠かざる人間の要件のように思います。
物事の一面だけしか目に入らず、他の面まで見る心の余裕もなければ、また視野したがって、素直な心がない場合には、物事のさまざまな面を見、考えることができず、単に一面のみを見てそれにとらわれるといった姿に陥ることにもなりかねないでしょう。
そしてそういうところから、ここで述べたようなさまざまの不幸な姿が生じることにもなってくると思うのです。
私心を離れてよく状況を見極める習慣が日頃から成されていなければ、いざというときに必ず感情的になったり、冷静さを失って暴走したり、様々な災いを招いたりすることになりかねません。
私心を離れるとは、自分だけの都合で物事の一面だけを見ないことです。
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