ほんとうの自分

霊体
それは人によって異なる問題ですが、一般的に言って私たち人間は肉体のことはおろそかにはしていない。むしろ甘やかしすぎといえるかもしれない。
体に必要以上のものを与えています。人間が文明と呼んでいるものは、実は不必要な用事を増やし、それに対応するためにまた新たな慣習的義務を背負い込むという愚を重ねております。
日本もかつては公害問題で大気が汚染された時期があったが、今また中国の公害問題が相当に深刻な状況にある。
日本はいま、工場などの排煙を浄化する技術を中国に提供しようとしている。
呼吸器系の疾患で病院に駆け込む患者の数が増え続けているというニュースをきいた。
中国の車、1億台が品質の悪いガソリンから吐き出す排気ガスが問題となっている。
さて本題にはいりましょう。
肉体にとって無くてはならぬものといえば光と空気と食べものと運動と住居くらいのものです。衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません。
衣食住にこだわり執着するほどに自己の本質を見失うのが私たち人間の姿でもあろう。
厳密にいうと慣習上、必需品となっているだけです。いわゆる贅沢思考である。
私は決して肉体とその必要条件をおろそかにしてよろしいと言っているのではない。
肉体は魂(霊)の大切な道具です。人生という航路を全うするために必要な乗り船です。
ですから肉体的本性が欲求するものを無視するようにといっているのでもありません。
私は一人でも多くの人間に“正しい視野”をもっていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいと願っています。
まだ自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい霊を具えた肉体だと思い込んでる人が多すぎます。
本当は“肉体を具えた霊的存在”なのです。順番が違います。それとこれとでは大違いです。
無駄な取り越し苦労に振り回されている人が多すぎます。私が何とかして無くしてあげたいと思って努力しているのは相談者の不必要な心配です。
そして人の目を気にし過ぎる癖は自らを疲れさせ、やがては身体を蝕んでいき、うつ病になったりパニック障害を患ったりしている。
大きな目標を見失い目先の出来事に振り回されている人たちは、過ぎたことを引きずり、先のことに不安をもち、いまの自分を苦しみの中に追いやっています。
その根底にはいつもエゴがある。思い通りにいかないことに悩み、無理な欲求を満たそうとする自我心、他人の目を気にし過ぎて無理な迎合をして疲れる。悪く思われたくない。良く思われたい。
しかし、今いる環境の中で咲くことを受け入れると楽に生きられるのです。
そのような理(ことわり)に気づくことは叡智であり、大自然の意識とつながるものです。人間は自然のように生きなければならない。
宇宙の唯一なる意識は無限なる叡智と無限なる愛であり、人間の理解を超えた存在です。が、その働きは宇宙の生命活動の中に見出すことができます。
驚異に満ちた宇宙の営みが、かつて一度たりともしくじりを犯したことのない摂理によって支配され規制され維持されているのです。
その摂理の働きは一度たりとも間違いを犯したことがないのです。
変更になったこともありません。廃止されて別のものと置きかえられたこともありません。それが自然の法則です。
いま存在する自然法則はかつても存在し、これからも永遠に存在し続けます。なぜなら、完璧な意思と構想のもとに全能の力によって生み出されたものだからです。
宇宙のどこでもよろしい。よく観察すれば、雄大なものから極小のものに至るまでのあらゆる相が自然の法則によって生かされ、動かされ、規律正しくコントロールされていることがお分かりになります。
野の花は誰に知られることがなくも、置かれた場所でその命を最大限に表現しています。その野の花にも宇宙の営みと意識をみることができますか?
途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、あるいは変転きまわまりない大自然のパノラマに目を向けても、さらには小鳥、樹木、花、海、山川、湖のどれ一つ取ってみても、ちょうど地球が地軸(ちじく)を中心に回転することによって季節のめぐりが生まれているように、すべての相とのつながりを考慮した法則によって統制されていることが分かります。
種子を蒔けば芽が出る。この、いつの時代にも変わらない〝きまり〝こそ神の働きの典型です。
麦がこぼれたら、それは数百倍、数千倍の麦をもたらし民(たみ)の糧となるように、正しい理は人々の心に宿り、生きる灯となるでしょう。
正しい理とは過去にも現在にも、そして未来にも変わることのない営みとしての法則に沿った心の在り方をいう。
それは決して偏らない中道の精神、つまり、調和された、バランスのとれた想いであり、言葉であり、行いである。
このような思念は唯一なる意識と共鳴し、同調する生き方であり、あらゆる困難を乗り越える力となるだろう。
唯一なる存在は絶対にしくじったことはない。私たちの方から見放さないかぎり唯一なる存在は人類を見放すことはない。
しくじるという言い方はいかにも幼稚にひびくかもしれないが、人間が不安や心配を抱き取越苦労が絶えないということは、裏がえせば絶対的叡智に対する信じる心が不足していることを意味し、分かりやすく表現するためにしくじることはないと言ったのである。
私は、すべての人に正しい本当の視野をもっていただきたいのです。
そうすれば取越苦労もなくなり、恐れおののくこともなくなります。
いかなる体験も魂の成長にとっては何かしらの役に立つことを知ります。
その認識のもとに一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していくことでしょう。
そのさ中にあってはそう思えなくても、それが真実なのです。あの世の住人となったときに改めて暖かいエネルギーに満たされた愛のある環境に歓喜し涙することになる。
私たちの誰もがいつかは4次元の世界へ旅立ちますが、事の真実に気づかされるのはそういう間違った思考や暗い体験の方なのです。
視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、そのさ中にある時は有難く思えなくても、魂の成長をいちばん促進してくれていることを知るからです。
こうした記述はあなたにとって比較的新しい言葉であり真理でしょうが、これは宇宙の真理であり、また多くの側面をもっています。
まだまだ学ばねばならないことが沢山あるということです。探究の歩みを止めてはいけません。歩み続けるのです。
ただし、盲目的に鵜呑(うの)みにしてはいけません。
あなたの理性が反発するもの、あなたの知性を侮辱するものは拒絶してください。
理に適っていると思えるもの、価値があると確信できるもののみを受け入れることです。
何でもすぐに信じる必要はありません。あなた自身の判断力にしっくりくるものだけを受け入れればいいのです。
私も誤りを犯す可能性はあります。心に湧き出るものを精査して記述はしますが、うっかりミスを犯すこともあります。伝えたいことのすべてが伝えられないことがあります。
私の健康状態、潜在意識の中の思念、かたくなに固守している観念などが伝達を妨げることもあります。肉体を持っているということは障害ともなる場合があります。
私のこれまでの人生で知り得たこと、信じるに足るだけの内容に限ることをこうしてお知らせしたいと思うわけです。
私が知り得たことはごくわずかなことでしかありません。
私が知り得た知識と知恵をこうしてお知らせするのは、代ってこんどはあなた方が、それを知らずにいる人々へ伝えていただきたいと思うからです。
宇宙はそういう仕組みになっているのです。実に簡単なことなのです。
私は自分自身のことは何も求めません。
お礼の言葉もお世辞もいりません。
崇めてくださっても困ります。
私はただの媒体であり真実の伝言役にすぎません。
自分ではその役目にふさわしいかどうかはわかりません。
しかし、心の内から突き動かされてやまないのです。
私は力のかぎりその遂行に努力しているところなのです。
きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。
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