見える人・見えない人
宗教的問題と被害、及び霊的な諸問題で相談にみえた方によく質問をされることがある。
『霊が見えますか?』と。
多くの人は、霊が見えるといえば感嘆の表情をみせるのだが、見えませんというと落胆のような心がうかがえる。何故、これほどまでに見えるということにこだわるのだろうか。
それは、見えるということイコール特別な能力があるという思い込みによるからです。
しかし、本来、見えるということは、正しい生き方である偏りのない中道の生活が実践できているなかで、心が調和された結果の二次的働きとして開花した能力なら信頼に足るものですが、ただ単に見えると自負する者ほど危険なことはない。
何故なら、動物霊が憑依していても、邪悪な人霊が憑依している心の不調和な人でも見えるという現象が起きるからである。
また、精神的病気を患って心療内科や精神科などに通院して投薬治療をしている人のなかにも『霊がそばにいる』、『家のなかに霊が出る』という人がときどきいます。
もうひとつは、小さな子でも周りを見て姿なき存在と語っている場合があるし、精神的に幼い小学生の子供でも見えている場合があるということ。
男性よりも女性の方が霊的な存在を感じるケースが多いということ。
大人でも人間的に心貧しい、執着をもった人でも見えるという人はたくさんいるということ。
見え方にも段階あり、見えることがイコール尊いことではないのであり、能力があるという評価にはならない。
人の道は見えることにあるのではないということをしっかり理解していただきたいものです。
つまり、見えるということは霊的心のステージが低くても、未熟でもおこることです。
逆に霊的な存在を見る能力がなくても人の心に安らぎを与え、導き、正しい生き方を指導している人間性の豊かな人たちがいるのである。
見えるということに拘るほどに人々は利用され、被害にあう危険性が潜んでいるスピリチュアルな世界だということを十分に承知しておかなければならないだろう。
私は相談者に対して霊的諸問題を自分で解決するようにその方法を正しく危険のないように教え実践させることにしているが、これまでその方法で解決できている。
その意図するところは依存心をなくし、自立心を持っていただく為です。
霊的な能力に依存して救いを求めることは道を誤るリスクが伴うことを知っておくべきである。当事者が自分の努力で解決することが一番のぞましいのです。
巷には、カウンセリングといって30分5千円だと誘導して実際は霊能力を前面にうかがわせたり、メンタルケアをうたいながら『浄化します。』、『浄霊します。』といって付加価値を語り2時間2万円を請求しているケースもあります。
また『遠隔操作で除霊します。』などとして一件2万円、口座振り込み確認次第除霊するというような営利を目的とするサイトには近づくべきではない。
しかし、すべてを承知で依頼するならこれも致し方ないこと。価値観の違いとしか言いようがない。
霊的世界と物質的世界
さて本題にはいりましょう。
一定レベル以上の魂である、あの世の霊人たちの場合、霊的な目を通して物事を眺めることができるという利点のおかげで真理のさまざまな側面、すなわち物事の本当の姿、成り立ち、人間の本質が見える立場にあります。
一方、私たち地上で生活する者は残念ながら肉体の中に閉じ込められているという不利な条件のために、あの世の霊人と同じ視点から物事うを眺めることはできないのである。
これは一般的には私たちが肉体の五官から見聞きするようにできているが故にその感覚でしか判断できないからです。3次元と4次元の相違がここにある。
この問題はスピリチュアリズム(心霊主義)という霊的な側面から、心すなわち魂を学ぼうとする人が理解しておかなければならない霊と物質という基本的なテーマである。
私たちは物質(肉体)をまとった存在であり、身を物質の世界に置いています。
そのことはそれなりに果たすべき義務があり、先ず、衣服を着なければならない。住む家がなくてはならない。食べるものが必要だ。身体の手入れをしなくてはならない。
身体は、望む仕事を、あるいは要請された仕事を果たすために必要なものをすべて確保しなければなりません。これが地上の生活です。
だが物質的肉体の存在価値は基本的には霊の道具であることを忘れてはならない。
魂(霊)なくしては肉体の存在はありません。そのことを知っている人、否、理解している人が実に少ないのです。
身体が存在できるのは第一に魂(霊)が存在するからです。霊が引き下がれば肉体は死滅し、崩壊し、分解します。即ち物質であるが所以です。
敢えてこのことを申し上げるのは、まだ未来(あの世の)のことに関して正しい視野をおもちでない方が多いからです。
ご自身のことを一時的な地上的生命をたずさえた霊的存在であるとはみておられません。
肉体に関しては健康や病気、障害について、人間関係においては最も世俗的なことを必要以上に重大視される傾向があります。
地上における人間的生活が大事なことは百も承知でいうのですが、私の言っていることは間違っているだろうか。
しかし、このことを自覚し、忘れずにいるということは難しいことであるかもしれない。
ですが、視野を一変させ、その肉体だけでなく、住んでおられる地球、それからその地球上のすべてのものが存在できるのは霊のおかげ、見えないエネルギーの存在があるからだということです。
あなたも肉体を持った霊的な存在であり、霊人であるがゆえに唯一なるものの一員としてすべてを宿していることに得心がいくようになればこそ、はじめて前途に待つ困難のすべてを克服していくだけの霊力(心のエネルギー)をさずかっていることに理解がいくはずです。
これは心の在り方によって人生が如何様にも変わるということをいっているのです。
人間は肉体レベルで解決できない問題も霊的存在を自覚することで難なく乗り越えることができる存在なのです。
生命の起源、存在の起源、永遠の起源は霊的エネルギーの中にあります。
自分で自分をコントロールする要領(コツ)さえ身につければ、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出すことも可能となるのです。
霊的なエネルギーは物質的エネルギーの限界を超えたものであり、全生命の原動力であり全存在の起源であります。
このエネルギーは、私たちの地上生活において必要なものをすべて供給してくれています。あなたは、そのことに気づいておられるだろうか。
いまこのコラムを読んでくださっているあなたはどれだけ理解を持っておられるのでしょうか。
ほんとうは地上生活の目的はきわめて単純なことです。
死後に待ち受ける次の生活に備えて、本来のあなたであるところの霊性を研磨するのです。
身支度を整えるのです。
開発するのです。
そのための試練があり、逆境があります。
辛さのあまりに、人生の目的にさえ気づけないでいる人たちは多いのですが、すべては自身の『霊性の向上』のためであることを悟ったとき辛さを受け止める気根が調うものである。
となれば、良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆることがあなたの霊性の成長の糧となるのです。
心を病んでいる人よ。あなたは人生の目的が何の為であるかを忘れていませんか?
電子顕微だけを覗いていれば全体マクロの見方ができなくなります。
目先のことに心奪われて苦悩する時は、葉っぱを見て木の全体を見失っているときです。
心の向上のための人生であることが人類の目的だと気づくなら目先の出来事に執着している自分を改めなければなりません。
出来事、その一つ一つが心を向上する中で意味があり、それなりの存在価値を有しているのです。
いかに暗い体験も、暗く感じられるのは嫌だという思いがあるからにすぎないのですが、克服できないほど強烈なものはありませんし、あなたに耐えられないほどの試練や危機に直面させられることはありません。
その事を実感し実践していただくことができれば、その人は宇宙の摂理と調和し、日々、時々刻々、あるべき方向に進むことができるはずなのです。
ところが、残念ながら敵があります。取り越し苦労、心配、不安という大敵です。それが心の波長を乱し、せっかくの霊的協力を妨げるのです。
心は平静さと自信と受容力の中で初めて伸び伸びと成長し、そのぶんだけ日々の生活に要請されるものが供給されます。物的必需品は心(魂)が成長することで与えられるのである。
魂の成長のために何を心掛けるべきかとなると、身体の必要性にばかりこだわって精神ならびに魂の必要性に無関心すぎるということでは進歩は望めない。
身体へ向けている関心の何分の一かでも魂の向上へむけてくだされば、世の中は今よりもずっと住みよい環境となるでしょう。
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