生老病死・輝く命

診察

私はガンかもしれないといってうろたえ、家族にも八つ当たりして怒りをあらわにし、死にたくない、死ぬのが怖い、もっと生きたい、そう言って相談にみえた60歳のお母さん。

冷静さを見失い、夫にも乱暴な言葉を浴びせ、92歳の姑にも毒舌を吐き、うつ病で苦悩している二十歳の一人娘にも子離れできず執着している。

人生は何の為に生きるのか、その目的は?、生老病死をどう受け止めたらよいのか、このご婦人とじっくり2時間ばかり話し合い、日を改めて時間を設ける約束をして帰って行った。

私たちの誰にも訪れる生老病死、人間の命は限り有るものですから、誰でもいつかは例外なく死ななくてはなりません。

その意味でいえば人間は致死率100%といえます。

しかし、それは新しいいのちの始まりでもあります。

「生老病死」というお釈迦さまの言葉があります。これは、私たちだれもの生涯に存在しています。

「死」は遠くにあると思っている若者にも、この「生老病死」はいつかは自分に迫ってくるのです。

例えば、リンゴのなかには種があります。その種というのは何のためにあるのだろうか。

果物が熟して木から地に落ちる。雨や風が吹き、陽が差しこみ、やがてその種から新しい芽が育ちます。

これは次世代の命が生まれてきたということです。そういう意味では、果物であっても一度地に落ちて身が死ななければ種は新しいいのちを生み出せないといえます。

このように、私たち肉体細胞のなかにも次の世代に引き継がれるに、遺伝子があらかじめ組み込まれています。

人間の場合も子孫を残して親たちは土に還り、魂は異次元の世界に帰る。

死と生命の誕生は、あらゆる生命体の宿命として繰り返されているのです。

第二次世界大戦の最後、原爆によって、広島では約十四万の市民が犠牲になったと記録されています。

被爆したにもかかわらずその場で助かった人の多くは、その後三~四週間で死んでしまったとあります。第二次被爆のためです。

それは原爆投下後に降った「黒い雨」に濡れたり、その雨水を飮んだりしたことで放射線被曝を受け、骨髄が侵されてしまったからです。

そのために白血球を作ることができなくなってしまたのです。白血球の寿命は約四週間ですから、被曝してからは、新しい白血球が産出されず、ほぼ一月後には白血球はゼロになり、その時に死が来るのです。

筋肉や骨、内臓、脳など肉体的なものにはすべて寿命があります。

皮膚の細胞は一週間で垢となってはがれ落ちます。医学的には脳細胞は数年もつことがわかっているといいます。

白血球のなかのリンパ球は数十日、赤血球は百二十日の寿命。

このように、私たちの細胞にはそれぞれ決まった寿命があります。

だれでも死ぬのは当たり前のことだとはわかっていても、元気でいる私たちは、どうしても死は他人事のように思ってしまいがちです。

しかし、私たちのいのちは定められ、同時にいのちは巡って、とこしえに受け継がれていくものなのです。

これが循環の法則によって生かされた命であり、宇宙の摂理といえよう。

人間は病む生き物である

いよいよ死を迎える時に「生きてきてよかった」と満足し、最後に一言「ありがとう」と言うことができれば、こんなに幸福なことはないだろう。

残念ながら、人間には完全な健康はなく、人間は病む生きものでもあります。

私たちは生きていくうえでいろいろなマイナスの状況、逆境、試練に対面します。

そんななかでも、お釈迦さまの言われた「生老病死」についても、これを苦しみとして受けるだけでなく、如何によく生き、如何によく病み、如何によく老い、如何によく死ぬことができるかというように視点を変えて行動するべきでしょう。

病気になるということは確かにつらいことで、それが長期に療養しなければならないような場合には大変な精神的負担となるかもしれません。

私は58歳で過労で倒れ九死に一生を得ましたが、回復まで3年の歳月を要しました。

しかし、そのつらい経験があったからこそ、のちに患者さんを診る時には、患者さんに心から共感することができ、理解をもてるのです。

そして、いままで気づけなかったところにも配慮できるようになり、アドバイスもできるようになったのです。

私は、自分が3年の療養生活を通じて命の尊厳、喜び、悲しみ、苦しみ、というものを学ばせてもらったのです。そうなると病気も悪いことばかりじゃない。

患者さんの「つらい」という訴えを心からの実感として受けとめることができるのです。

この『つらい』ということは病気だけのことではありません。

経済の不況が続き、リストラによる失職、職場の人間関係とトラブル、家庭内の親子関係、うつ病、パニック障害など、世の中では大変なことが起こっています。

がしかし、そのような経験も『辛い』ことではありますが、その先にある輝く命人生に気づくためには欠かせないプロセスであります。

今のマイナスをプラスにするためには、長い時間を要するかもしれません。だからこそ心を調えることをしなくてはいけません。

人間は、心身が病んでいるときでも心を調えると光明が差してくることが実感できるものです。症状だけに振り回されると恐怖心、不安が増幅して自分を見失うなってしまいます。

また、自分を見失っているからこそ病気や怪我をするといってもよでしょう。

人生の終わりに『ありがとう』といえるような「有終の美」を飾れるようにするためにも日ごろから心身の健康を意識してもよいのではないだろうか。

病気も、老いも、人生の苦悩も、自分の心がどう受け止めるかによって随分と違いがでてきます。否、先ずは執着しない心の健康づくりを日ごろから心がけてほしいものです。

きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。
次回は『トラウマ・セックレス・宗教被害のドキュメントⅡ』を投稿いたします。
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