震災・一枚の葉書から

東日本震災東日本大震災2011年3月11日の発生から2年と5カ月が経過した。
小さな出会いから始まった人を思いやる暖かい心が、震災を機に、一枚の葉書に込められ郵送され、新たな絆をうみだした。その葉書を頂いた方は東日本津波の被害者だった。
葉書から希望をいただいたこの内容に感動しましたので、今朝はPHPから原文のまま転載させていただきました。
一枚の葉書から 木村富美子 (宮城県石巻市・主婦・六十六歳)
私は、あの三月十一日で、平凡に暮らしていた生活が一変した。
あの日、主人と家の中にいた。
地震がきて、あまりにも激しい揺れなので、普通ではないと思い、急いで外に出た。
なかなか揺れがおさまらないでいるうちに、町の防災無線のサイレンが鳴り「津波がくるので高台に避難するように」と流れた。
でも家はわりと高台にあったので、まさか家まで津波がくるとは思ってもいなかった。
すべてを津波に奪われた
「津波がきたぞ~」と叫ぶ声を聞き、まさかと思いながら道路のほうを見に行こうとしたところ、もう家の前まで波がきていた。
「早く逃げろ~」の声と同時に主人が私の手をとり、愛犬のリードを引きながら、夢中で自宅裏の階段を駆け登った。
途中、後ろを振り向いて見たら、もう車は何台も流され、家は「バリバリ」と音を立て、グルグル回りながら流されていた。
「ああ、家が流されていく」と悪夢でも見ているようで恐ろしかった。
山の上から見た光景は一瞬のうちに何もかも流されて、なくなった住みなれた家や集落を思って呆然となった。
その晩は集落の人達とともに山で木を焚きながら一夜を過ごし、次の日、避難所へと落ち着いた。
避難所は混んでいて、私と愛犬は玄関の中で一枚の毛布にくるまって休んだ。
その時、「ああ、私は助かったんだ」と我に返ったのだ。
まだ、あたりの様子は何か何だか分からなかった。
次の日から愛犬は外に出され、私は廊下で毛布一枚で休むことになった。
気がついたら、着のみ着のままになっていた。
何一つなくなってしまったのだ。
主人で十四 代続いた古い家は、昔は肝いりだったようで、蔵には昔の大事な物や古文書なども入っていた。
何百年にもなる大きな松の木も跡形もなく流されたのだ。
それから色々考え始めた。
子供達は無事でいるのか、兄弟は、親戚はと案じながらも、電話は通じず、安否も分らないで、ただ悶々としていた。
そんな中、風の便りで、実家も流され、、兄夫婦や姉夫婦も亡くなったことを聞いた。
でも、その時はただ夢中だったし、信じることも出来ず、現実を受け入れることも出来ず、涙さえ出なかった。
だんだんと色々なことを考え始め、思い出の写真や、大事にしていた物もすべてなくなったことを思うと、悔しくって、悲しくって、空しさだけになってしまっていた。
手元に届いた旅行アルバム
そんな時に、私に一枚の葉書が届いた。
誰だろうと差出人を見たら、その人は震災二年前にスイス旅行のツアーで一緒になった人だった。
彼女は一人で、私は娘との旅だった。
朝の食事の時、隣になった人だった。
私が「どちらからですか」と聞くと、彼女は「秋田からです」と言い、「私達.は宮城からです」と言い、話が弾んだ。
いつも一緒の行動になっていた。
葉書には「私に何か出来ることがありましたら言ってください。
必ず電話してほしい。待っています」と電話番号が書かれていた。
その一枚の葉書を読んで、嬉しいのと同時に希望の光のように感じた。
すぐ電話をかけてみると、彼女は「よかった……。木村さん、助かっていて」と、すごく喜んでくれた。
そして彼女は「私に出来ることがあったら言ってよ。力を落としては駄目よ」と励ましてくれた。
私は被災した日からのことを話し、また、スイスでの写真も一枚も残らず流されたことを伝えた。
なぜかその時、現実に戻されたような感じとありがたい気持ちで複雑になり、涙が溢れ出た。
その数日後、彼女からスイスでの旅行写真が届いた。
集合写真や、私達が写っているところや、風景やパンフレットまでが一つのアルバムになっていた。
その中には、「離れていて何も手助け出来ませんが、スイスでご一緒したというご縁を思いますと、あの時の素晴らしい景色、楽しかったことを思い出し、これから頑張ろうという気持ちの一助になればと思い、アルバムを作ってみました。
どうぞお手元に置いて、お心慰められますよう祈っております。お体くれぐれもお大事に」との便りが入っていた。
私は何もない手元に、こんなに大切な懐かしい写真が届いたことに何とも言えない希望が湧いてきたのだった。
心のこもった写真と便りを胸の中に抱いて、何度も何度も抱きしめ、「ありがとう!ありがとう!」と涙が止まらなくなってしまった。
それからも彼女からは何度も励ましの便りが送られてきた。
そしてその中には「これも何かのご縁と、お知り合いになれたことを大事にしていこうと思っています」と書かれてあり、私も彼女と知り合った縁を一生の心の宝としたいと思った。
今、こうして平穏な生活をしていられるのも、彼女からの一枚の葉書から始まった、何度もの励ましがあったからだ。
あの喪失感から「希望と生きる力」をくれた彼女に心からありがとうと言いたい。
(ここまで)
震災によって全てを失い、身ひとつになって失意のどん底に落とされ、それでも自分に鞭打って気力を奮い立たせている人もいますが、人間、そう簡単に希望を持てるものではない。
人は、自分一人で生きられるほど精神が強靭なものでもなく、また孤立してはいけない。
社会の一員として、人々と関わり合い、助けられ、助けていく仕組みのなかで私たちは生かされているものです。
震災によって文字通り、身一つになってしまったときに、心が奮いたち、逆境を乗り越えようと努力している多くの人たちの姿を見ましたし、話しました。
やはり人間は強いなと、心に火が灯る思いがして嬉しくなります。
不幸を癒す薬はただもう希望しかなく、希望は勇気を生みだす力であり、新たな意志であろう。
※きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。

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