女の試練・男の決断

夫婦愛心の傾向性(癖)
A子さん76歳はうつ病を患い、眼は虚ろで言葉にも覇気がなく、食欲がないために体力もなく、5分とイスにも座っていることができず、すぐに横になりたがった。
投薬治療をするも全く改善がみられないということで訪ねてきたとき、手に震顫(しんせん・不随意運動の一つ。意思とは無関係に生じる律動的な細かい振動運動(ふるえ)のこと。)があるのをみて私は、薬の副作用を疑った。
確認すると全部で10種類の薬を飲んでいたが、そのうち3種類は向精神薬だった。
手の震えについて、ご主人に確認すると、心療内科の処方箋である向精神薬を飲み始めてから震えだしたという。副作用である。
反対されるであろうが、私は、主治医の先生に相談して薬を減薬してもらうよう提案することを勧めた。
やせ細った体力のない76歳の老女に対し、向精神薬を3種類も投薬することがどれだけ負担をしいているか、カウンセリングのなかで、このようなケースは一つや二つではなく、たくさんの事例に接して減薬を勧め、断薬を勧めてきた。
減薬や断薬を勧めるには家族の理解と協力がなければできないことであり、何よりも心のフォローが欠かせない。
この、A子さんがそうであるように、心を患う人たちの共通点は、一つの傾向性(癖)があり、この傾向性を修正する努力をするときに快方へと向かい始めるのである。
しかし、A子さんは、もう一度元気になりたいとは言うのですが、核心の心の闇の部分に触れることを頑なに拒んだ。
心を隠して開こうとしなければ前には進めないのだが、自分は心が原因して患っていることを認めようはしないのである。
この心の傾向性については、ブログ内で検索していただければ、それに関連する記事が出てきますから参考にしていただければと思います。 『うつ病は何故増えるのか』
さて、私たちの誰もが、自分で自分のことを一番よく知っていると思っているようなところがありますが、意外に自分のことはよく理解していない場合があるのではないか。

特に、自分の心の中にある、ずるい自分、弱虫な自分、短気な自分、傲慢な自分、認められたい自分、感情的になりやすい自分、優柔不断な自分……等々。

避けて通ってきたところはないだろうか。

勇気というと、何か特別な決心によって物事を為すときの勇気と思いがちですが、本当の勇気とは、そうではなく、自分の心の中にある、避けてきた部分を認めることなのです。

このことは、誰に見られるわけでもなく、誰かに伝えなければならないわけでもありません。

先ずは、そんな自分を認め、そして受け入れる勇気を持ちたいものである。

私も、そんな自分の心の弱さと向き合うようになってから、己の行動や考え方に変化が出てきました。

つまり、人生を前向きに捉えるきっかけが、自分の心の中の自分を知ることだったのです。

次に、己の心にある自分を認めることができたら、自分の「目的」を確認することです。

例えば、自分は、何のために生きているのか?

人生は何の目的があって生きているのか?

自分は何がしたいのか?

どんな社会が理想なのか?

でもいいでしょう。自分に問いかけてほしいのです。

この答えこそが自分を知ることなのです。

大事な利他の精神

自分の考え、目的がはっきりしてきたら、そのことは、自分一人だけの都合ではないのか、利他の精神に基づく目的であるのかも確認してみることです。

利他の精神とは、そのことを通して、社会が良くなる、多くの人に喜ばれる等々、ということです。

それは家族であってもよいでしょう。

あるいは、職場内の関係であってもよいでしょう。

そんな「目的」を一人ひとりが抱いているだけで社会が変わります。

爽やかで、朗らかで、心豊かな社会の空気を、私たち一人一人の目的と、自分を知ることで作ることが出来るのです。

そして、「目的」が明確になれば、私たちがそれぞれの人生において計画を立て実現への努力をしてよいのです。

      
どのような小さなことでも、一生懸命に行動している姿は美しいものです。

その姿は、多くの感動を与えてくれます。

そんな人に、人々は共感するのだと思うのです。

もちろん、その根底には、「世のため、人のためにつくしたい、利他の精神といったピュアな気持ちがあることも大切です。

自分を高める努力をする人、信頼される人、人のためにつくすことが出来る人、そして、常に爽やかで明るくいたいものです。

このような事のポイントは、己の心をしっかりと知り、受け止めることにあります。

そして、人生に目的を持ち、それに応じた目標を設定すること。

色々な目標があってしかるべきです。

どのような目的や目標も根底には相手を思いやるという、慈しみ、許すという愛がなくてはならないでしょう。

人生の「目的」に応じて、今を生きるために必要なのが「目標」であり「希望」です。

目標はすべてを達成させるということよりも、それに向かって行動することに価値があるのです。

その意味で「目標」は、己の潜在能力を導き出し、新たなる自分の能力を発見させてくれるものでもあります。

人生の目的に応じて、しっかりと目標を定め、毎日を生き抜くことに、人としての価値や社会の中での役割が生じてくるのだと思います。

目標に向かって行動することによって「志」が築かれていくのです。

何故なら、目的に沿った目標を設定し、それに応じて行動した体験・実践等は、自分の道をしっかりと築き、他に対しても感動を導きだし、共鳴を呼びます。

己自身がいかに自分を高める努力をするかです。

更に、男は女を寛容な心で包み、女は男を明るく支えることで調和が生まれるものだ。

知識がいくら豊かでも、真に人々の共感は誘えない。

正しい導きに必要なことは、

真実の体験だ。

なんとなれば

人の心に二つはなく

共感を誘うものは

そのひびきにあるからだ。

女性には

三つの試練がある

子供のときには両親に

嫁いでは夫に

老いては子供に

その自由を奪われる。

しかし、試練を超えさせるものは

太陽のように明るい心を顔に現わす愛以外はない。

男には三つの決断がある。

ひとつは親からの自立に

ふたつには嫁をめとるときに

みっつには家族を守ることに

しかし、その勇気と決断を

行いにするのは、寛容で深い、愛以外はない。

愛は何かというと大抵は観念的、抽象的、あるいは幻想的となり、近頃のように肉体的行動が愛だと思っている人も相当にいるようである。

そこでいったい愛とは何かということについて述べてみたいのだが、愛とは助け合うことであり、他を生かすということではないだろうか。

この地上界は自分独りでは立つことができないし、直接的な関わりを避けても、間接的には必ず誰かのお世話になっている。

こうしてみると、常に複数という関係の中で相互に働きかけながら他を生かすことによって成り立っていることがわかります。

現われの世界(地上界)は意識とは異なり、こうした相互作用の関係の中で生かされ、それは否定しようとしても否定できないものだ。

他を生かすとは自分の身を他に供養する、つまり、施すということである。

私たちは動物、植物、鉱物を囗に入れることによって生きているが、それらの身の供養がなければ、私たちは一日として生きることができない。

魚や野菜、飲料水はこれ皆、ことごとく生命を持ち、私たちにその身を投げ出していることに気づきます。

私たち人間関係についても、さまざまな職業、仕事を通して他を生かしています。

この地上に混乱が絶えないのは、これに欲望がからみ、欲に心が奪われるからで、他を生かす、助け合う愛の行為が深まれば明日にでも、この地上界は平和な楽園となろう。

は行為を以って成就するものです。
愛と憎しみとは 諸刃の剣のようにみる人もいるが そんなことはない、憎しみは自己保存であり 憎しみをかくし持った愛は愛とはいえない。

愛に自己弁護はない

愛に立場はない

愛に報償はない

愛に自我はない

愛に甘えはない

愛に苦しみはない

愛には天の心しかない

天の心とは調和である

助け合い 補い合い 許し合える その心が愛の心に通じ

その行為が 天の心につながって行く。

愛とは寛容であり、包容力であり、許すことである。
もし、この地上に愛がなければ、人の世は、水のない砂漠をゆく旅人のように、飢えと渇きに泣き、他をかえりみるいとますらないだろう。
愛は助け合い、補い合い、かばい合い、許し合う、そのなかに生きている。
愛は天の光りであり、あなたの中に宿る光である。
地上の灯、それが愛ではないのか。
闇夜にさ迷う人々の心に潤いをもたらし、生きがいを与えていくものである。
心の内から照らす愛は、正に灯台の灯といえよう。
しかし、愛に溺れてはならない。
愛は、自分に打ち勝つ者、向上を目指す者の、心の内から輝きだすものだからだ。
闇夜(執着)の世界は自らの進路さえ迷わせる。
前途に何が立ちはだかっても解らないし、いつ足を踏み外すかも知れない。
焦燥感に襲われることだってあるだろう。
この闇夜を支配している、ならず者の群れ、すなわち、驕り、傲慢、下心、脅迫、強盗、迫害、暴行、詐欺、殺人、裏切り、不誠実などは、そのまま恐怖の世界であり、すべて満足することのない苦しみの世界である。
それは、光明を失った人々の、悪想念が作り出したものである。
闘争と破壊、暴力、武力がまかり通る世界といえよう。
慈しみをもって、愛を施せる者は、自らが安らぎの心をつくり、人々の心に光明を与え、邪悪なものを退け、正しい道、天の道をゆく人である。
悪に勝る道は、慈愛の心と、行い以外にないであろう。
悪は己の心の中に潜んでいるものだ。
※きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。

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