禅機・こだわらない行動
人間には思慮深さが大切な資質だとされています。
「薬は飲まなければ効かない」ということも言えますが、反面、「薬は飲まなければ副作用の心配はない」ということも言えます。
たしかに、是非の分別もなく軽はずみな行動、即ち、軽挙妄動はいい結果につながらないことが多いでしょう。
しかし、思慮深さを重んじるあまり、行動すること、実践することに慎重になりすぎて機を失するのもどうでしょう。
人間はどんなにいい考えを持っていても、また、知識を持っていても、持っているだけで何も行動に移さなければそれは活かされることがありません。
禅宗にこんな説話があります。
老師が法話をしているときに、突然、大雨が降りだしました。
あいにく粗末な法堂の屋根が傷んでいたため、雨漏りがし始めたのです。
弟子たちは雨受けになるものを探しに走ったのですが、手頃な器が見つからず、右往左往するばかりでした。
いちばん最初に、老師のもとに戻ったのは若い弟子でした。
手に何かを携えてはいたが、うなだれたまま雨水を受けようとする様子はありません。
遅れて兄弟子たちが次々に桶や鍋を手に駆けつけました。
法堂がどよめきました。
若い弟子が手にしている笊(ざる)を見て、兄弟子たちが吹きだしたのです。
雨受けになどならない笊(ざる)を持ってきた若い弟子の考えのなさをあざ笑っているのでした。
ところが、老師は若い弟子を戒めるどころか、兄弟子たちを叱りつけ、若い弟子を褒(ほ)めたたのです。
理屈からすれば、雨受けの役目を果たす桶や鍋を持ってくるのが正しいし、それが理屈です。
しかし、真っ先に行動したのはこの若い弟子である。
理屈抜きにとにかく体を動かした。
理屈にとらわれているおまえたち(兄弟子)は、まだまだだ。
それが老師のいわんとするところでした。
実は、禅の世界では分別(あれこれと思い煩う)する以前に行えという教えがあります。
これは、拘りや執着を捨てた行動のなかにこそ、仏性が出るものだということを、身を持って悟るために行じている心構えの教えであります。
「機」という言葉が示すように、その瞬間、今という時間に生きる訓練をしていく教えです。
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