心の寿命・ネガティブサポート

介護チャレンジ精神と心の寿命
最近は山ガールという流行り言葉が示すように、夏山登山をする女性がにわかに増えたようだ。
私が初めて標高2038メートルの岩手山に登山したのは30年前、34歳の夏だった。

登山した人なら誰もが経験することだろうが、登頂には感慨深いものがあります。
標高2038メートルの山頂から見る空はまるで海のような色合いに晴れ渡っていて、眼下には雲海が広がっており、その隙間から緑の平地が顔をのぞかせている。
その光景を眺めながら、私は思っていた。「次にこの場に立つのはいつだろうか」と。
わずかな時間でしたが、何かしら去りがたい時を過ごしたことを覚えています。
歳を取れば、できないことが増えてくる。それは当たり前のことです。
しかし、できないことを決めるのは他の誰でもありません。それを決めるのは自分白身だと思っています。
ネガティブサポート
社会では高齢者に対する支援や福利厚生を推進する声はたくさんあります。
それぞれの人がもっている足りないマイナスの部分に目を向けて、その人の行動を止めようとする。これをネガティブサポートと言っているようです。
不満をいう人たちもたくさんいるようですが、今の日本社会には、それがとても多くなってきた気がします。
年寄りに向かって若い人は言います。「もう歳なんだから、そんなことは無理しないでやめて。」「もっと自分の歳を考えて行動して」と。
あるいは親も子どもに言います。「そんな危ない遊びは止めなさい」「そんな場所に行ってはいけません」と。
必要以上にお年寄りや子どもの行動を抑制しようとします。
もちろん心配するがゆえのことだとは思いますが、こうしたネガティブサポートが行き過ぎることで、生きる力や意欲をも奪ってしまいかねないところが多々あるのです。
お婆さんのことを心配して、何でもやれることまで取り上げてしまうことで痴呆が進行することはよくあることです。
確かに歳を取れば、やれなくなることが増えてきます。それは自分自身がいちばんよく分かっている。
でも、可能性が無くなったわけではなくゼロではない。
可能性がゼロではない限り人間にはチャレンジするチャンスも権利もある。
小さなチャレンジでもいいでしょう。自分の可能性を捨ててはいけないと思うのです。
可能性を見限った瞬間に、心の寿命は尽きてしまうのだと思います。
テレビのニュースなど見たときに「60歳以上の高齢者」という言葉が時々きかれます。
ということは、私は社会的には高齢者ということになるのでしょう。
しかし、当の本人は現役で仕事の場にいるせいか、やりたいことがあるせいか分からないが、まったく以って64歳の実感がない。
「無理をしないでください」と、よく言われるのですが、若くて体力のあるときなら自然にできたことでも、還暦を過ぎると心の準備、身体を整えて準備しないとできないことが増えてくる。
だからこそ頑張るのです。気力が大切になってくるのです。
平地に比べると、2038メートルの頂上付近では、大きな石、小さな石、足場が砂利などで生息する植物もわずかなものに限られて、風が耳を通り抜ける音だけの静寂の世界。
静寂の世界なのに心が広がり、感動が満ちてくる。
8000メートル級の山に比べたら小さな山ですが、それでも一歩一歩登って行く苦しさ。それは言葉では言い表すことはできないものです。
諦めることは、とても簡単なことかもしれません。人生の中で遭遇するさまざまな困難、「自分には無理だ。もういいや」と諦めてしまえば、きっと楽になれるのでしょう。
しかし、ほんとうにそれでいいのだろうか。悔いは残らないのか。
年齢を重ねて諦めることが増えたとしても、自分を諦めてはいけない。
夢をもつことを諦めてはいけないと思うのです。
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