医療現場の理不尽

 
怒る医師
最初に申し上げておきたい。きょうの投稿内容は、批判のために記述するのではなく、嘘偽りのない事実を知っていただくことで、読者の身に置き換えてみて、いつかはお世話になるであろう医療に対する向き合い方を考えていただければと思います。
私はこれまで、自律神経失調症、うつ病、躁うつ病、不安障害、パニック障害、統合失調症、心身症、対人恐怖症、社会恐怖症、過食症、拒食症、チック障害、テンカン、等々の精神科、及び心療内科が対応するこのような諸症状の多くの人たちと向かい合ってきました。
きょうは心療内科や精神科に通院している方々、あるいはかつて通院していた人たちのやり場のない思いと、こういった医療現場の現実について取り上げておきたい。
精神科と心療内科
心療内科の定義⇒心療内科は心身医学(心因性の肉体不調)を内科の領域において行う診療科。だから心療内科と呼ぶ。
(過敏性腸症候群、過敏性膀胱、胃潰瘍、神経性胃炎、神経性嘔吐症、狭心症、月経不順、高血圧、不整脈、緊張性頭痛、偏頭痛、慢性疼痛、関節リウマチ、気管支喘息、じん麻疹、円形脱毛症、等々)
精神科の定義⇒精神科は精神疾患(心の病気)を専門に扱う科。
(不安、抑うつ、双極性障害、パニック障害、広場恐怖症、社会恐怖症、対人恐怖症、急性ストレス障害、適応障害、心的外傷後ストレス障害、拒食症、過食症、不眠症、イライラ、幻覚、幻聴、妄想など)
精神科・心療内科の未熟
Aさん事例
『先日、心療内科で、帰りにボロ泣きしてしまうような酷い言葉を言われ続けました。
(仕事休んで一日中なにやってんですか?とか、他にも責めるような言葉が中心)
引越を期に転院したのですが、心療内科の対応でかなり気持ちが乱れてしまったため、今は緊急でまえの心療内科にもどり薬も頂いたので、気持ちも落ち着いてきました。 』
Bさんの事例
今は別の精神科で、パニック障害と診断されています。
最初に行った心療内科では、まだあまり話もしてなく、私が「最初は電車でめまいと、動悸と、」と話し始めたところで、「もういいです。」と遮断、「ようするに、仕事が嫌なんでしょ?行きたくないんでしょ?私はそんな怠けた人の味方にはなれません」と言われ、唖然・・・。
あまりにも悔しかったので、ボロボロ泣いてしまいました。
多分私が20代前半というのもあったのか、何も話してないのに勝手に仕事が嫌だと決めつけられました。
それからしばらくは、病院に行くのが怖くなりました。
メンタルクリニックという名前の場所から、まさかそんな仕打ちをうけるとは思いませんでした。
Cさんの事例
私が行った心療内科で酷い言葉を浴びせられ、今は転院しました。
元の医院は、医者自体が精神的に病んでいたので、患者に対して優しい言葉がかけられないような人でした。
開院した当時は、熱心な医者として人望もあったようでしたが、年月が経つにつれ、医者自身が病んでしまいました。
私生活が治療にも影響をするような、自己中な医者で、私も転院する前は幾度となく泣かされました。
医院は、患者のプライバシー保護のため番号で診察室に呼んでいたんですが、その呼び声が聞き取りにくく、間違えていくと「集中力がない」とか「何回も同じこと言わせるな」とか、私が「今、辛いんです。薬を替えていただけませんか。」と頼んでも「この薬で効かなかったら、もう終わりやね!」と、医師として信じられないような事を言われました。
私の両親の育て方が悪い。とかも言われました。書ききれないほど、酷いことを言われ続け最後、転院するきっかけとなった言葉が「広汎性発達障害」って言葉でした。
Dさんの事例
初めて母親に連れられて心療内科を受診したときのことです。
私が症状をつたえると、医師は『で?あんたはどうしたいわけ?』と発言されました。
1ヶ月も眠れず、食べられていない状態だったのです。
黙ってしまいました。
病院を出るまでこらえていましたが、道で大泣きし、母親を振り切って逃げました。
もちろん、薬の処方もなしです。
Eさんの事例
私はパニック障害なんですが…
主治医がパニック障害の人達のことを、「奴ら」と言いました。
「奴らは倒れる時は必ず頭を打ちつけないように、柔らかい所を探してそこへ向けて倒れる…」と。笑いながら…
転院して、他の主治医は一人で買い物に行けれない私に、「周りの人をカカシと思ったらいいじゃない?」と言いました。
思えるわけありません!
Fさんの事例
心療内科に通院しており嫌な経験をしてます。
転院前は医者との相性も良く、何でも話せる医者でした。
事情があり引越しの為に転院しました。
転院後の心療内科で、あなたは仕事が嫌いなんだな、働く事嫌いか?嫌なら他の病院に行けばいいだろ、あなたは治せない、とか、医者として言葉や対応も良くなく最悪です。
また転院したらいいか考えています。でも実際どこのの心療内科に行けば良いかどうか疑問もあり分かりません。
以上が通院された方々の極一部の事例です。
人間、気分が沈んでいたり、悩みがあったり、病気をしているときは、少しの言葉でも責められたように感じたり、突き放されるような言葉に感じてしまう事もあるものだ。
医師が攻撃的な言葉をかけるというのは全く個人的感情に走った言動であり、道義的にも、モラルの観点からしても、ましてや医師という立場にあっては、患者に与える影響も強いため、あってはならないことである。
心療内科も身体症状を対象に診察するものではあるが、特に精神科の場合は患者の心の分野に深く関わる仕事であり、どこまでメンタルケアに関わるかはその医師の姿勢にあるといえるだろう。
医学上は精神科と心療内科は定義分類されてはいるが、現実は精神科の領域である諸症状であっても心療内科に通院している人たちは多い。
上記のように通院者の声を聞くにつけ、また、公開できないような事実もあり、心ない医師の配慮に欠けた無神経な対応には驚かされるが、話を受け止めてくれることも殆んどなく、薬を取り替えるだけ、あるいは増える一方の治療法に疑問をもった人たちの窮状は本当に気の毒な状態でみえるのである。
厳しいかもしれないが、薬を大量に処方するやり方は利益優先の患者無視の対応と言わざるを得ない。
何故なら減薬の奨めと心のあり方を学ぶことによって、最終的に断薬できているからだ。
医師自身が医療従事者として偏った驕りや傲慢さを振りかざすのではなく、一人の人間としてのモラルは勿論であるが、心の在り方を学ぶ必要があると思えてならない。

医学的解釈では『うつ病』とは気分や感情の障害による身体症状であるとし、臨床現場では抗うつ薬を投与することでセロトニン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質の働きを促す治療が行われているが、あくまで対症療法的なものであり、原因の解明は成されていない。

薬物による治療の場合は避けられない問題として副作用というものがあるが、この副作用によって体調が低下することで朝の起床がダメになる、倦怠感が増してきた、集中力がなくなった、日中も眠気が抜けない、食事が以前より摂れないなどの症状を訴えるケースもある。

うつ病の予防するためには、普段から仕事などであまり無理をせず、十分な休養を取ることが大切ですと医学ではいいます、勿論、休養は大切です。

しかし、注目すべきは十分に休養を取れていたら発症しないのかとなると必ずしもそうではなく、また、休養をとったら回復するのかとなるとそうでもなく、同じ職場のなかで、同じ条件で働いているのに発症する人としない人があるということも見逃せない。

ここに家庭環境の問題や個人の心の傾向性(癖)という問題が潜在しています。

これは社会情勢の急激な変化や仕事だけではなく、家庭内のライフスタイルやプライベートでの人間関係などにおけるストレス、あるいは根本的には、良くも悪くも個性があり、心の傾向性(癖)という根本的原因がある。

私のところに相談にみえる方々には、これまでの精神科や、心療内科での内容とは異なる手法で、ご本人の幼少の頃からの家庭環境、親子関係、自身の心の傾向性(癖)についても深くアプローチしていくことによって、通院歴3年、5年のような人でも変わり始める。

物事に対する考え方、価値観、拘り、執着、生真面目、頑固、求めすぎ、といったことを解放することで心の負荷が徐々に解消されて、うつ病は改善できるのです。

投薬による治療を受けて、一度うつ病が治ったかにみえても、「遅れを取り戻そう」と仕事で頑張りすぎて病気が再発することもあり、復帰してこれまでより仕事量を減らしても間もなく再発するケースも多いというのが実情でもある。

となると、必ずしも仕事量の問題だけではない理由があるということになります。

やはり最終的には心の在り方心の使い方対人関係の在り方、を根本的に見直していかなければ本当の回復には至らないでしょう。

なかには夫婦のトラブルや夫婦として機能していない家庭、本来の夫婦のあり方から逸脱した状況にあり、その苦しさから宗教に救いを求める人たちも多く、そのような人たちとも対応してきた。

しかし、他力本願の教えに洗脳されて、お経を何時間も唱えることを日課としてしている人たちは多く、そのようなことで本当の意味での心の安らぎを得ることはない。

お経をあげなければ苦しい、眠れない、心が定まらない、うつ症状がひどい、お経に熱中していると楽だ、お経をあげると眠れる、こうなってくると末期症状的信仰スタイルである。

お経をあげなくても普通の生活ができるようでなければ心が安らかであるとはいえない。

お経をあげずとも安らかであるような心の学習をすることが本来の信仰でなければならないのである。

現実の生活から意識をそらしている生き方で落ち着きを取り戻せると考える読経や祈りでは、現実の生活に対応できない心を造ってしまうことになるだけで人間破壊の信仰としかならないだろう。

精神科、心療内科の薬も過ぎればアヘンと変わらないが、誤まった宗教界の教導もアヘン以上に恐ろしいものとなるから狂信、盲信の信仰とならないように疑問をもって臨むことが必要である。

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