「長く」よりも「深く」

農夫
長命とか短命という言葉がありますが、普通は時間、年数の長さをもって長命、短命を意味するのだろうと思います。
「あの人は50で死んでしまった」とか「あの人のお父さんは95まで生きた」とか、年齢の話は日常よく耳にします。
なんといっても年齢は数字になっていますので、基準にしたり比較したりしやすいのです。
しかし、自分の思うようにならないのも年齢です。
長生きしたくても病気や事故で亡くなる方もありますし、生きていたくないと思いつつ生き続けている人もいます。
それに対して、その人の姿勢や努力で変わってくるのが、幅や深さでしょう。
人生は必ずしも長命、短命にあるのではなく、私は、生き方の深さにあるのではないかと思います。
人間はどういう死に方をするかという、ほんとうはどういう生き方をしたのかということの方が大事だと考えるからです。
もっとも、どういう死に方をするかということを突きつめていきますと、どういう生き方をするのかで死に方が決まってくるということも言えるでしょう。
そういう意味では、死に方は生き方にあると。
いずれにしても、生き方は必ずしも長さではなく、価値ある、深みのある生きかたでなくてはなりません。
そうなるとどうしても日々の生活のなかで、自分自身が納得できるような生き方が大事になってきます。
物作りでは丹精をこめて作ると言いますが、自分の人生も日々丁寧に、大事にという意味で、丹精をこめて、精いっぱい生きるということが必要だろうと思うのです。
心をこめて物事を処理していくということでしょう。
こういう生き方が、長さよりも、深い価値ある生き方をするということだろうと思います。
そうすると自然に、年を重ねた顔にも、人生の苦労を経た美しさが現れて、何とも威厳のある風格、魅力が額のシワ一本にもうかがうことができます。
茶道でいう、「わび」とか「さび」というのは、目に見える綺麗さではなく、そのきれいさという世間一般的な美しさを一度否定してしまったときに、そこにでてくる姿、様子をいうものでしょう。
人間も、表面的な容姿を超えて、そこにある「わび」と「さび」のなかにこそ長さではない、深さで生きてきた人間のもつ美しさがあるものだと思います。
幅のある人、器の大きい人、こういう人こそ深さも備わっているのでしょう。
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