イエス・アンドの会話

会話心が伝わる、伝える、ということはどういうことだろうか。
悩み抜いて為すすべもなく、途方に暮れた末にご縁があって訪ねてくる人。
自信喪失、失望、挫折、空虚観、そんな心の状態であれば表情に明るさも、眼の輝きもないのは当然のことでしょう。
まわりの人たちは口を揃えたように「命は大切だ、命を大事に」という。
しかし、そのような言葉を何千回、何万回いわれるよりも、「あなたが大切だ」、「あなたが必要だ」とだれかに言ってもらえただけで生きて行ける心の光を得られるでしょう。
話しを聴く
自分の要望を主張するだけでは、決して相手の心には響かない。
お互いにとって幸せな対話とは、どのようなものなのだろうか。
カウンセリングを希望しておいでになる人に対して、私がやっていることはとなると、よく聴くこと。
そして、できるだけ語らせたい。
それは、相手に心を開いてもらう為の必要欠かざる条件だからです。
そのためにまず、何を思っているか、悩んでいるかを徹底的に話を聴くこと。
実は、話しを聴くこと、というのは、聴きだすことでもあり、なかなか難しいのです。
ですから、相手に伝えたいことがあったとしても、先ずは、ひたすら相手の話を聴きます。
話させるといってもいいでしょう。
そこからいろんなことがわかってくる。
その人の価値観はどうなのか、何をしているときがいちばん楽しいのか……。
または、どういう時が一番苦しいのか。
話さなければ進展はしないが、話せば実態がみえてくる。
相手を否定しない
話してもらうためのコツがあるとすれば、こちらが心を開いて、相手の話しに興味を持って、且つ、共感しながら聴くこと。
そのときの主体は自分ではなく、あくまでも相手側にあります。
会話がスムーズに展開していくためには、「なるほど、わかります。・・・・じゃあどうしたらそれが改善できるか考えましょうよ。」と、先ずは受け入れること、すなわち、イエス・アンドの会話方式です。
逆に、相手が話したことに対して、否定の言葉を先にもってくると「ノー・バット」になってしまい、それは違う、と最初に否定されてしまうと会話をする気力など失せてしまうでしょう。
要は、相手の悩みにどれだけ寄り添えるかです。
悩んで相談にみえる人たちのなかには、人間関係のなかで信頼を失ってしまった人、失望、挫折、不信に陥ってしまっている人も少なからずいるのです。

そういう窮地に立たされた人たちが潜在的に求めるものは、認めてほしい、信頼であり、絆でもあります。

日本人が阪神・淡路、そして東北、の大震災を経験して実感したのは、こういう絆の大切さではなかったでしょうか。

損得や勝ち負けよりも、楽しさや喜びに共感し大事にすると、打ち解けることができる。

そうして皆の心がひらいていけば、信頼関係も生れてくる。

人間関係の絆は、受け止める、理解する、共感する、こういうことから始まるもののようです。

人の話を聴くことの難しさ、話したい人はたくさんいるけど、受け止められる人は少ない、自己主張する人はいるけど、聴いて共感できる人は限られている。

体験

苦しみも、喜びも、体験は尊い。
体験こそバランスのとれた生き方を学ぶ手掛かりとなるからです。
しかし、体験、体験といって、体を動かすことだけが心を学ぶ道ではないでしょう。
考えることも、人の話を聴くことも、体験の大事な要素であるからです。
何事によらず、一方に偏ると実りは少ないものです。
重荷
人の一生は重荷を背負い、坂道を上るようなものともいうが、そんなことはない。
何故なら、重荷も、坂道も、我がつくりだしたものだからです。
この我を捨てれば、心は軽く、人生の喜びを覚えるものです。
※きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ にほんブログ村 哲学・思想ブログへ