霊現象・独り言
霊的現象
家にいても、車を運転中にもひとりでブツブツとつぶやいているKHさん女性37歳。精神病院に2か月入院したが全く改善がみられずそのまま退院した。
頭痛、肩こり、腰痛、倦怠感があるということに加えて、独り言が深夜まで延々と続く様子をご両親が心配して私のところに連れてきた。整体を数回して肉体的な症状は改善できた。
しかし、施術中も小声で独り言をブツブツ言っているし、時にはニャッとした表情をするからスタッフが薄気味悪いという。
身体の症状も改善できたことだし、KHさんにカウンセリングをすることを親御さんに提案したら是非お願いしたいとのことだった。
一通り、独り言についてやり取りをしてから私はKHさんに光を入れた。
ほどなく彼女の表情と様子が変わった。これまでの彼女の表情ではない。
『この女性の心を支配している者よ、あなたはどなたですか?何故この女性に憑いているのか?訳を言いなさい。』
『・・・・・・・・・・・・・・。』
『なぜ黙っているのですか?この女性の身体を借りて語りなさい。』
『話を聞いてくれますか?話をしたら信じてくれますか?』
『あなたの話しを聞きましょう。事と次第によってはあなたの話しを信じましょう。だからちゃんと憑いている訳を話しなさい。』
『私はこの女がとんでもない危険な人であることを知っています。だからこの人に憑いて守ってきました』
『この女性にいつから憑いていたのか?』
『子供のころから一緒にいました。』
『子供の頃からというのは何歳のときなのか?』
『中学生の頃から一緒にいて守ってきました。私が守らなければこの人は死にます。』
『あなたはこの人を守るために憑いていたというが、それは違います。あなたが憑依することによってこの女性はあなたと会話をし、自分の心を乱してきたのです。話しかけられて心が乱れたこの女性は本当の自分では居られないのです。あなたのように既に亡くなった人間がこの世の人間に語りかけたり、心に憑依することは決して許されることではないのです。』
『私は神様の許しを得てこの人と一緒にいます。この人を守っています。』
『それは違います。嘘をいうのはやめなさい。あなたはこの女性を守っているのではなく混乱させているのです。そのことがわかりませんか?全くあなたの都合です。』
『私が一緒にいなければこの人はとんでもないことをします。自殺します。』
『自殺をしたのはあなた自身でしょ。そのあなたが憑いていることでこの人は心が乱れること、自分でいられなくなること、この人が自分でいるためにはあなたのような亡くなった人が憑いてはならないこと、このことを理解しなさい。そしてこの人から抜け出しなさい。』
『・・・・・・・・・・・・・・・・。離れることはできません』
『死者がこの世の人に日常的に憑依して心を支配したり、語りかけることは絶対にしてはいけないことです。神様はそのようにこの世とあなたのいるあの世を創ってはいません。あなたはこの世とあの世の規律を完全に破ってこの人に憑依しているのです。神の許しを得て一緒にいるなどといいかげんなことをいうのはもうやめて離れなさい。そもそもあなた自身が自ら命を絶った人ではありませんか。そのような心不調和なあなたがこの世の人間憑いて守るなどとできようはずがありません。まして、地上の人間に憑いて自分の思いを遂げようとするなど許されることではない。このことだけでも重大な罪を重ねているのです。』
『・・・・・・・・・・・・・・。』
『どうしても離れないというなら強引にあなたを引き離してして然るべき施設に強制的に送り込みます。それでもいいですか?』
『それは勘弁してください・・・・・・・』
『ならばこの女性から抜けなさい。そして自らを反省して神に心から詫びなさい。そのことによってあなた自身もやがては然るべき世界に帰ることができるでしょう。あなたが今この場で悔い改めて自分の犯した罪を詫びるならば、あなたも然るべき霊界に入れるように協力をします。どうですか?』
『・・・・・・嗚咽の涙・・・・・。』
女性の目から涙がひとすじ流れた。自分の為した過ちと、かつての人生での悔いから流れた憑依霊の涙である。
私は神に祈り、且つ、守護霊の協力を願い、この憑依霊の帰幽を願って体から抜けるべく処置を施した。
やがて正気に戻ったKHさんに忠告した。
自身が日頃の不調和な心の改善を図らない限り次の霊に憑依されること。
心のバランスを保つために学習をしなければならないこと。
しかし、この女性は自我心が強く、自分の思いのままにならないことがあるといつもイライラして自分を見失い、拘り、その不調和な心の隙間に同調した不調和な霊が憑依したのである。
一時的に憑依を外しても慢性的な頭痛に鎮痛剤を服用するようなもので、根本的には何の解決にもならないのである。
おそらくこの女性は明日には新たな霊によって憑依をされるであろうことは容易に判断がつくし、再び私のところに来れないだろうと思われる。
何故なら、憑依する霊自身が外されることを事前に察知するために、行かせまいとしてあの手この手で邪魔をし、行く手を遮るものだからである。
こういった霊的現象に対して、ある人は催眠術だという人もいるようだが、しかし催眠術であるとしたら、被術者と術者との間に、暗示という交渉があるはずである。
また自己催眠術だとするならば、やはり己白身に暗示をかけなくてはならない。
しかし、このようなパフォーマンスをしている時間は私にはない。
霊的現象というものは、経済や物理的な考えから離れた心の中のできごとで、目的に対して自分の意志が働いたとき現象化されるものである。
また憑依されている人の体調や言動とは違って、守護霊や指導霊の働きの場合は個性もはっきりと認められ、そういった善なる光りの指導霊が協力をしてくれる時というのは、自分自身の心に大きな安堵感やゆとりが感じられるものだ。
しかし、現世の幸福のみを、我欲のままに追求する者には、霊の守護も困難である。
しかし、自分の犯した罪の種は自分でいずれは刈りとらなくてはならない。
これが神仏の子としての掟であり、私たちの魂がそのように仕組まれている。
上記の現象のように、あの世もこの世も、厳然と存在していることを私達は悟らなくてはならない。
そんな世界があるはずがないという人々は、睡眠中の夢の世界を何と解くのであろうか。なぜ、という問いに答え得るであろうか。
人間は、もともとそうした霊的能力(潜在意識の能力)を持っている。
ただ肉体的な煩悩に支配され、想念が調和されないために、潜在意識の90%と、表面意識の10%のダイヤルが同調できないだけなのである。
正しい心を持って日々の生活をしているならば、その能力に個人差や高低、種類の違いはあっても、誰でもある程度の能力を発揮できるのである。
人間は、正しい想念と行為にもとづいて、各自の目的に専念することが大切です。
そうすれば、その人間の目的に相応した指導霊が、私達の意識の中で協力してくれ、良く人々のいうカンを与えてくれることを知るべきである。
催眠術は、白分の意識の中心である心の王国を、自分以外の支配者の暗示によって明け渡す行為といえるだろう。
これがもし、不調和な暗い世界の霊に支配されてしまうと、狂人になってしまう場合だって有り得る。
私達はしっかりと、自分自身を失わないように心がけた生活をしなくてはならない。
真の理は、私達の智と意と情の三体、それに実践行為が伴って調和されるものだ。
私達はその調和によって安らぎの人生を送ることができるのである。
肉体的な六根煩悩(眼、耳、鼻、舌、身、意)に振り回されることなく、正しい想念と行為の積み重ねによって、私達の心は調和されて神仏の光に同調し、霊域が浄化されて、心の安らぎか生まれてくる。
このときに、次元の異なった4次元以上の世界から、肉体を持っている人間の心に比例した、すなわち後光(オーラ)と調和した守護霊や指導霊が、魂の修行者である私達をその人の魂のステージに見合った段階へと導いてくれる。
また、必要とあれば試練も与えよう。
だが、煩悩にほんろうされている不調和な心の窓に動物霊辛地獄霊が入りこみ、自分を失ってしまった人々も多いのである。
このような人々は、己の心の王国を不調和な霊に占領されて、自分自身の心のコントロールができない人々である。
霊的な現象も、このように調和のとれた光の天使によって協力して貰えるものと、不調和な暗い想念によって、地獄の霊や動物霊に支配され、狂人同様になってしまっているものとに分かれてしまう。
地獄の霊や、動物霊に支配されている人々の多くは、自我が強く、心に安らぎを失い、我欲のままに言行一致しない貪欲な生活をしている。
このような人や宗教指導者は、怒り、そしり、妬み、怨み、増上慢、偶像崇拝、祖霊を祀って祈らせ、不幸になると言い、信仰が足らぬ、布施が足りぬ、さらに罰が当たるなどと、弱い心の人々に恐怖を与えるようなことをする。
このような人々は、その予言にも心なく、易学的であったり、己の心も分かっていない人々が多い。
本人が迷い、常に疑問を持って暮らしている人々が多いのである。
祀る神と称するもののための人間か、人間のための神か、正しい信仰への道を迷っている。
こうした人々は、己を客観的に見て反省し、不調和な霊に憑依されていることを悟り、一日も早く正しい心の法則を身につけなくてはならない。
一方、調和されている者は、安らぎの霊域に包まれて、自在な能力が与えられ、霊的な力を開花するようにもなる。
距離の遠近を超越し、この地上界の諸現象を見ようと望めばそれも可能となり、それに対してアプローチすることもできるようになるものだ。
さらに、高いステージまで魂を進化させた人の場合は、将来起こり得る現象を、未然に見る能力も備わってくる。
天上界の光りの天使のついている人々の心は、やはり綺麗で、必ず神仏の光によって覆われているものだ。
反対に霊的能力者の中にも、動物霊に支配されている人があり、そういう人の波動は非常に荒く突き刺すように伝わってくるし、その場の霊域が生臭い動物的な臭いを発することがある。
現代社会では、こうした動物霊に支配されている人間が、神だ、仏だ、菩薩だといって、多数の人々を迷わせている実例が少なくない。
信者達は、動物に手を合わせて崇拝しているようなもので、分からないこととはいえ、愚かしくも虚しいことである。
私達は、天の子、即ち神の子たることを自覚し、こうした飾り付けた神ならぬ″紙”に祈らせるような偽善者に心を売ってはならない。
彼らもまた救われざる人間であることを、良く知らなくてはならないのである。
動物霊であっても、予言が当たったり、病いを一時治すようなことはある。
しかし、真の法則である調和された教えの心がないため、自らを救うことができないものであることを、私達は悟らなくてはならない。
邪法に迷ってはならないのである。
次回は7月17日(木曜日)投稿の予定でおります。
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