宇宙意識と心のつながり
人間は心の成長、魂のステージアップ、人間性の向上というようなことを目的として様々なジャンルにおいて多様な方法で工夫をしながら学んでいる方も多いであろう。
あなたが、もしも自分の魂の真実について頂上を極めたと自負されたのでなければ、このブログに少しの間お付き合い下さい。
人生は山あり谷ありで一つの冒険であります。
魂soulは常に新しき視野、新しき道と深さを求めてやまぬものであることは既にご承知のとおりですが、このブログを参考にしていただき、これまであまり目を向けることのなかった方には魂のステージアップの一助にしていただければと思います。
私が申し上げることは、古くからの正しい教えと何ら矛盾するものではありませんし、道に外れるようなものでもありません。
これまでの仏教界では魂の存在や死後の世界に触れることを避け、否定してきた経緯もあります。
しかし、私たちの地上生活と、死んでなおのちにも続く魂の旅路に必要不可欠の霊的な知識を述べることにしますが、その中には耳新しい内容の記述もあるでしょう。
だが、あなたの感情や理性を反発させ、あなたの知性を侮辱するものは何一つないと思います。何故ならすべては愛と奉仕の精神から発するものだからです。
私が利益とするものがあるとすれば、それは読者の心の平和と安らぎ以外にはありません。何事においても、かたくなな心、石ころのような精神では本当の理に触れることも気付くこともないでしょう。
受容性に富む心、素直に受け入れ、謙虚に学ぶ心においてのみ気づき、花開くときがくるものです。
私たちがそのような気持になるまでには、宇宙の真理、自然の法則を心の柱として受け入れ備えなければなりません。
日々の生活の中において、あなたの為に用意される数々の人生体験を耐え忍ぶというプロセスも必要でしょう。
身体の病気や心の病気など、または人間関係における諸問題、家庭内の問題等々、もしもあなたがすでにその試練を経ておられるならば、その時点においては辛く苦しく無情に思え、自分一人この世から忘れ去られ、無視され、一人ぼっちにされた侘(わび)しさを味わい、運命の過酷さに打ちひしがれる思いをされたかもしれませんね。
しかし、心は逆境の中にあってこそ成長するものであることは変わらない道理であります。
あなたが、もしもそうした体験をすでに積まれた方ならば、ここで私が述べる言葉の中に共鳴するものが随所にあることを発見されるでしょう。
しかし、そのことは私が語ることを受け入れるよう要求するものではありません。
あなたの理性と知性に反することは遠慮なく拒絶なさってください。
また常識的感覚にそぐわないものはどうぞお捨てになってください。
私もあなたと少しも変わることのない一個の人間です。
ただ私は、死後もなお続く人生の道があることを少し先まで探求し、そのことを先人から学び、また、ガイドからも指導をいただいて歩んできました。
これからのちに誰もが間違いなく直面することになっている新しい、そしてより調和された広大な人生がどのようなものであるか、死後の世界がどのようなものであるかをです。
私たちが天という宇宙の意識に向き合うとき、文明と科学と経済に、そして一時の自我に翻弄(ほんろう)されることなく謙虚さと畏敬の念があるならば深遠な自然の理を悟ることができるだろう。
ここでいう自然の理とは地球誕生の太古より偏りのない宇宙の営みのなかにある普遍的意識の存在と、人間の調和された心は一如(いちにょ)であり、そのことが真理であることをいうものです。
この真理を心に落し悟るこそが、あなたに自信と確信と理解力と、そして何にもまして、永遠に失われることのない、掛けがえのない霊的叡智(えいち)をもたらすことによって、あなたの心に太陽の如き未来永劫に輝く光が存在するでしょう。
天空の太陽も、あなたの心の太陽も共に、いつもその輝きを失っていないのである。
太陽は見えないところでも常に輝いていますが、あなたがねむっていても魂は光輝いているのです。
わたしのメッセージを読んで慰めを得たと言ってくださる方々、大事なことに気づかされましたと言って連絡をくれる方、それまではやり切れないほどの孤独な思いの中で生きてきたつもりが、本当は決して一人ぽっちではなく、他からの大いなる愛に包まれていたことに気づいてくださった方々に、わたしからささやかな言霊(ことだま)を贈りたく思います。
私のつたない言葉が、たった一人の方の魂の核心にふれて真我の目を覚まし、心に執着のない真の自由に気づいたことを知るだけで、私は何よりも嬉しく勿体なくも思います。
読んでくださった方が無明(心の闇)を追い払うごとに、迷信が退散していくごとに、頑固さが消えていくごとに、偏狭さが薄れていくごとに、不満や愚痴を言わなくなることが、わたしの喜びであります。
心の正しいあり方、ご利益求めや他力依存をやめ、霊的知識を正しく理解され、地上の善男善女が宇宙に遍満する慈愛の存在に気づき、その愛の摂理を正しく理解すれば、物的世界(この世)のいかなる力をもってしても、与えることも奪うこともできない豊かさを見出させてくれることに気づいていただきたいのである。
空を雲がよぎり、日の光が陰りますとやがて夜になり、星がまたたき、淡い月の光が夜空を照らします。
辺りが闇に包まれ、夜のとばりに被われますが、やがて又、太陽が昇り、豊かな光を放ちます。
太陽は輝きを失ってはいず、見えないところで輝いていたのです。
これと同じように私たちの肉体は睡眠に入っていきますが、実際のところ肉体は休息をとっても魂は一時も休むことなく動き、あの世の霊太陽の光をチャージしてくるのである。
ただ眠っているだけではありません。天の摂理は、たとえ私たちにそのすべてを理解できなくても、一瞬の途切れもなく働き、変わることがないのです。
自然界の宇宙意識と調和された人間宇宙の心はひとつです。宇宙即我とはこのようなことなのである。
人間、何はさておき、大宇宙とその森羅万象を想像し統(す)べる意識への感謝の気持が湧かずして、人間や仏像、教祖、曼荼羅を崇拝するべきではない。
過去も現在も未来も永劫(えいごう)かつ無始無終に存在する大宇宙の心。
人類は、その天をいっそう深く理解し、天の摂理をいっそう広く生活の中で実践することによって、わたしたち人間の一人一人に内在する、天の神性としての豊かさと美しさを、よりいっそう顕現しなければならないであろう。
宇宙の摂理と秩序の根底にある唯一の意識を理解するには、自然現象にだけ目をやるのではなく、その営みの奥にある見えない実態の相に心を傾けることで可能となってくるのです。
そしてその真実に対して理解が深まるほどに、自身の愚かさや、魂というものの素晴らしさに気づかされるでしょう。
きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。、下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。^_^;
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません