日本人の心理的特性
少し難しいかもしれませんが、今日は心の気質とでもいうか、日本人のものの考え方、古来からの文化や伝統のなかで出来てきた心理的な特性について述べてみます。
2500有余年前、現代仏教の始祖であるインドのゴーダマシッダルタ釈迦牟尼世尊(お釈迦様)は「諸行無常」と「煩悩に執着してはならない」ことを説かれた。
形に現われている現象はまさしく時と共に変わりゆくのですから常では無い。
つまり無常である。片時として一定の姿をとどめることはない。自分のものだと思っている肉体もやがて朽ち果てて灰となる。
日本人はこの「諸行無常」という言葉から「この世ははかないものである」という、悲しい淋しい感情を生み出してしまったが、本来の真意は、形あるものはやがてその姿を変えて繰り返すという宇宙の循環の法則、生命の輪廻転生をいったものである。
淋しく、悲しいもの、儚(はかな)いものという、そういう考え方をしてしまったのは般若心経の中にある「色即是空 空即是色」の空を一切は空に帰する、なくなるのであると解釈してしまったことによる。
もっとも空(くう)を無(む)に帰することであると最初に解釈したのは竜樹という僧侶であった。
この竜樹の誤った解釈が日本に伝わってきて日本人の「はかない」という感情を作り出した。
平家物語に出てくる冒頭の一節に
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
『※一節の説明・お寺の鐘の変化する音を聴いていると、すべては変わりゆくものだということを思う、沙羅双樹の花も色あせて散りゆく様は、栄えている者たちもいつまでも続くものではなく、やがて衰退する ことを現しているようだ。人も驕り高ぶってはみても、それは一時の事、まるで春の短い夜の夢のようなものだ。どんなに勢いよく威張ってみたって滅びて死にゆくのだ。』
平氏が源氏に敗れる源平の合戦によって生まれた平家物語の文面の影響も、潔く散る侍の心情と相マッチして、後には武家社会に親しまれたことにも諸行無常が、儚いもの、淋しいもの、虚しいもの、悲しいものと解されたのだ。
そして、桜の花を見て「美しい」と思う人よりも「やがて散りゆくはかなきもの」と感ずる人の方が奥床しく上品な高等な文化人であるというような風潮を作り出したのである。
中国から伝わってきた仏教は無霊魂論、一切は空に帰するというのであったから、日本仏教はこの世限りの生命と見て霊魂は永遠に存在することを認めなかった。
例えば茶道の心得として使われる「一期一会」という言葉がある。
「人生は無常である。今日は主人となり客となって茶の手前を楽しむことが出来ても、この茶会が終わって別れると、明日はどちらかが死なぬとも限らない生命であるこの茶会がお互いにこれっきりの機会であるかも知れない。
今生でたった一回きりのこの機会を大事にしなければいけない」という思いを持って、主人はお客の後ろ姿が見えなくなるまでこの機会を持つことが出来たことを感謝するというのが「一期一会」の心得であるとされている。
ここにも人生のはかなさを泌々と心の奥で味わうという、はかなさを楽しむ心がある。
外国人にない日本人だけの心理的な特性である所の悲しさを悲しむ、寂しさを寂しがる、はかなさをはかなむという感情は「諸行無常」がつくり出したものである。
この「諸行無常」はまた「あきらめ」の感情を生み出した。
「あきらめ」の感情の中にあるものは、人間の運命は既に生まれてくる前に決められているのであって(こういう考え方を宿命論という)、どんなに努力してもどうにもなるものでもない。
それはもはや忍従(にんじゅう)して諦(あきら)めて従うより外はないという、人生を改善しようという努力を完全に放棄した無気力な姿勢である。
このような心を生み出したのが武士による士農工商の封建支配体制であった。
こうした「はかなさ」と「あきらめ」の上に生まれて来たのが法然(鎌倉時代初期の僧侶)、親鸞上人(鎌倉時代中期の僧侶)の念仏信仰であったが念仏信仰がまた「はかなさ」と「あきらめ」を増幅してしまって現在に至っている。
景気のいい時には威勢の良かった人が、ひとたび挫折すると、とたんに意気消沈して自殺するというのも「あきらめ」の感情からである。
そこには、運命は人間がどんなに努力してもどうにもならないものだという考えがある。
もっともこの「あきらめ」の感情は、いつどこで戦いが始まって討死するかも知れないという鎌倉時代以後の武家政治によっても培われた。
武士は一歩家を出ると夕方には死骸になって帰るかも知れないという、とにかく毎日毎日が死を予期し覚悟することなしには生きられなかった社会体制もまた「あきらめ」の感情を生み出した。
しかし、現在はもう封建的な武家政治時代ではない。
一つの時代の中で、その時代に適応する為につくり出された信仰や道徳は、時代が変わったら変わることが当然なのであるが、現在の日本人の心情の中には、未だに封建時代につくられた信仰や道徳が流れている。
親不孝の息子が出来ると、どうしてそうなったのか原因も知ろうともしなければ、何とかしなければならないと思うことはあっても、現実にはこれが運命だと諦めて何もしようとしない親。
嫁と姑との不調和があると、これも運命だと諦めて、身体は息子夫婦と一緒に暮らしていても、心の世界で逃避して、心の中で自分だけの世界をこしらえて、そこに逃げ込んで孤独を楽しんでいる悲しい年寄り。
「後生の一大事を願え」という浄土真宗は、み仏の名において苦しみを強制し、現実改善への努力を失わしめてしまった。
「あきらめ」は信仰の救いとは全く正反対の心情である。
東西本願寺の坊さん達が説いている『南無阿弥陀仏』と唱えることで救われると説いていることは一時の気休めであって本来のお釈迦様が説かれた生老病死に対する人間の生き方や知恵による救いではない。
南無阿弥陀仏の意味は阿弥陀仏という悟られた方の教えに帰依(順守)して執着のない生き方をします。ということであるが、南無阿弥陀仏と何べんも唱えるということは『阿弥陀様に帰依します』と、同じことを繰り返し唱えていることになるのだ。
その光景を想像したら滑稽としかいいようがない。帰依をするなら日々の生活の行いを大切に当たり前の生き方をしなさいと阿弥陀様がいいたくなるだろう。
結局、日本人の心の中に流れている所の武家政治と諸行無常感によってつくり上げられた「はかなさ」「あきらめ」の感情が正しく整理されない間は日本人は正しい信仰を持つことは出来ない。
日本の宗教界には教義自体が間違っていたり、矛盾していたりするところがたくさんある。
ある宗教では「現実を見ず実相を見よ」という教えをしている。現実に改善しなければならない問題が一杯あるのに、実相を見なさい。この教団は実相を見る教えである」といって現実の間違いを改革し改善しようとすることは悪いことであるという結論になってしまっている。
それはしかし、この教団だけでなく、どこの宗教団体にもあることだと思っている。
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