恵を与える大自然


大宇宙の意識について前回は述べてみましたが、私たちは、そうした偉大な天の意思(慈悲)によって生かされ、生きていると思うのは私だけであろうか。
万象万物は悉(ことごと)く天の意思の現れであり、その慈悲の下に生活しているといえるだろう。
例えば私達の肉体は、動物や植物や鉱物などのエネルギーを吸収することによって、その保存が可能であり、地球の自転、公転によって春夏秋冬の自然現象が起こり、安定した生活ができるのもその一つであると言える。
太陽の熱、光のエネルギーが、地球に調和された環境を提供しているからです。
このエネルギー代については、何を求めることもなく、私達に三百六十五日、休みなく平等にその恩恵を与えている。
太陽は人間に、ああしろ、こうしろ、とは言わない。只、黙って熱と光を放射している。
太陽は大宇宙を司(つかさど)る意思の現れであると言えるし、そうして、そのこと自体、慈悲でなく、愛でなく何であろうか。
太陽の限りなく無所得の供給は、赤ちゃんを抱えた母親が乳児に無所得のままに、おっぱいを与えている姿そのものであろう。
そこには母に抱かれて愛を頂き、乳を飲み満足する赤ちゃんと、すべてを与えて、自らが満たされる母の姿しかない。また、夫はそのような母子を守る大きな愛で包み支えなくてはならない。
人間の造り出した電力、ガス燃料は、使用量を払わないと、無慈悲にストップされてしまう。支払い能力のある人にだけは与えるが、金のない人には使えない。
当たり前といえばそうだが、これが経済社会の原則であろう。天の心とは大分へだたりがあるものです。
世界人類が均等割りに、太陽の熱と光の料金を負担するよう、太陽に請求されたらどうなるのか、おそらく、全人類がすぐに破産してしまうであろう。
そうしたことを考えると、これは、本当に慈悲深い天の心の現れであるといわざるを得まい。
人間は、この大慈悲を受けているにもかかわらず、雨が降れば文句をいい、天気が続けば続くで文句をいう。つまり感謝の心がどのようなものかを真にわかっていないのである。
昨年、被災された沿岸の漁師の話しを聞いたが、『何もかも全部を波にさらわれて失ったけど、海を恨むことはできない、今まで海の恩恵で生かされてきたから。』と言っていた言葉に、真に感謝する心を感じ、私の胸に響いた。
もし太陽がなくなったら、地球は氷結してしまい、私達の生存は不可能だろう。太陽のない世界を想像したくも出来ない相談だ。
自然に対しては、程よく天気であれば、ありがたい、とは言うが、日照りが続いたり、雨が降りすぎると、すぐに愚痴や恨みの言葉がでてしまう人間のご都合主義は真の感謝とはいえないだろう。
それは自然に対してだけではない。人間同士のなかでもいえることである。
『まことこの世において、怨(うら)みに報(むく)いるに、怨みをもって為すならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ怨みは息む。これは永遠の理(ことわり)である。』
 感謝の言葉を述べる者に怒る人はいないが、恨みをいえば必ず恨みをかうことになる。
最後にもう一度、話を地球にもどしますが、地球が生きている理由として、この内部には莫大なエネルギーが共存されている。火山、地震の現象をみても、それはわかる。
太陽の熱に比較すればわずかであるが、地熱というものがある。温泉などは、そのために生じている恩恵といえよう。
私たちの肉体も同じことである。動植物のエネルギーが吸収されて胃に入り、消化されて各諸器官を通り、血となって心臓から血管、毛細血管に通じて五体の調和を保っているのである。
私たちは、そのお陰で生活できているのです。私たちは、このような大自然の恵というものに対して、感謝の心を忘れている。大自然の恵みを当然のように思ってはならないだろう。
古来、太陽を拝め、先祖に供養せよ、という説教は、これまで多くの宗教家たちによって説かれてきたが、形式ではなく、感謝の心、それに伴う行為が必要で大事ではなかろうか。
大自然に感謝する心があるのならば、私達は一人で生きているのではない、社会の一員として存在しているのだという自覚を持ち、社会人類のための施しを為す、報恩の行為が大事だといえよう。
一人ひとりが、自らして普遍的な天の慈悲の有り難さを悟り、心と心との大調和による平和な社会を築く、その感謝の念と報恩の行為が大切ということである。
こうしてみてくると、地球を含めた大宇宙体は、意識そのものであり、意識が働いているとすれば、心が存在しているといえるだろう。
何故なら、意識とは心を包む機能であるからだ。この大宇宙の意識を人は神と呼ぶものもいる。
即ち宇宙はこの意識によって回転している。
この宇宙の秩序は、太陽の引力下にあって惑星群や衛星群、小天体の集団がそれぞれの軌道を規則正しく周遊し回転している。しかし、その中心には太陽という恒星があり、周囲の星群は太陽の力によって支配されているのだ。
マクロとは逆のミクロの世界、極微の素粒子にしても核があって、その周囲に核外電子が回っている。もしそれがバラバラに動いているのなら、原子という形態すらなさないであろう。
このように物にはすべて中心がある。
私たちの体もそうだ。肉体の中心には魂(心)がある。その心の奥にも潜在意識という中心がある。
この私たちの魂(心)が宇宙の中心の意識(神)とつながっていることは、人間には慈悲と愛が根底に備わっていることをみれば明らかであろう。
何故なら天は慈悲と愛が意識の全てであるからにほかならない。
私達、人間はそこから生まれてきた分け御霊(わけみたま)、つまり分霊であり、神の子である。
また未来においては、このような精神世界スピリチュアルなことも科学によって、より具体的に証明される時代がくるであろう。
何故なら、科学も精神世界も根源的には軸を同一にするものであり、すべては全宇宙の意識から発生したものだからだ。
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