自傷行為
自らの身体を意識的あるいは無意識的に傷つける事を言う。
日本ではリストカットの子供が多い。虐待のトラウマや心理的虐待及び摂食障害、低い自尊心や完璧主義、自己存在のアピール、愛情欲求、自己否定との相関関係によるところが大きい。
しかし、その根幹は家庭環境の影響によるところが多い事を注目しなければならない。
生き抜いて
いのち、不思議なものです。
望まなくても与えられ、望まなくとも、いずれ失われる。
でも、ほんとうは望んで与えられたいのち。
いのち、すばらしいものです。
生きているから、たくさんの美しいものと出会え、
生きているから、多くの素晴らしい出会いを手にします。
いのち、哀しみです。
いのちを失うこと、死は
すべての人の心に、深い哀しみを刻みます。
いのち、喜びです。
新しいいのちの誕生は、
すべての人の心に無上の喜びをもたらします。
いのち、大切なものです。
私たちは、生きているからこそ、
幸せに、なれる。誰かを幸せにできる。
与えられたいのちを精いっぱい生き抜く
この頃は朝の冷え込みも厳しくなってきた。岩手山麓での朝六時。愛犬の散歩はしっかりと冬装備しないと上着を通して肌まで寒さがしみ込んでくる。
それでも来月の2月5日頃には立春を迎えます。
厳しい寒さの中でもほんの少しずつ芽を膨らませ、やがて4月には桜が春の到来を告げる。
春の強い風に耐えて雄々しく咲き誇る花びらも、風にさらされて川面に舞い落ちる花びらも、どちらも美しい。精いっぱい生き抜いた桜花の姿は潔さを想像させて私たち日本人に愛される。
桜もいのち。
いのちは、どう生れたかとか、どう失われたかの生や死で語るより、どう生きたかを習い、語りたいものと桜の散り際に思う。
人間の生れに東西南北はあっても、国の違いがあっても、心には東西南北や国の違いはない。
心には国境がありません。
去年の震災からもうすぐ一年になるが、生きたくても生きられなかった多くの尊い、いのちを思う時、哀しい、辛いという言葉で語ることは簡単ですが、
しかし、それではいけない。みんな与えられたいのちを精いっぱい生き抜く。
吹雪のなかの木々に思いを馳せてみると、生き抜くことの大切さと命の意味を私に教えてくれている。もう少しで春が来る。
自傷行為は身体を傷つけるがその前に心が傷ついている。大人はこどもたちを知らなすぎる。
かつては自分が歩いてきた道、大人は先ず自分を知らなければならない。
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