自分を育てる

夫婦間のトラブルから『私は何のために生まれてきたのだろう。』と嘆(なげ)いている人がいる。

人間は誰もが認められたいところもあるがゆえに、虚しさを感じることもある。

私も、あなたも、この人も、あの人も、人間は何かしら行うために生まれています。

何もしないために生まれたのではない。それなら何をしたらいいか。

それは自己を完全に生かすように努力すること。家族や隣人のためにつくすことです。

しかし、認められたいがために行うこと自体が根本的に違う。これは自己保存です。

この自己保存心(自我)が強いほど人間関係に反発が生じます。

自我は、『しなさい。してやったのに。お礼の言葉もない。お返しがない。奉仕活動をしていながら裏で不満や陰口をいう。学歴に拘る。職業に拘る。地位に拘る。経済的豊かさを誇張する。貧しい人を見下げる。自分にないものに嫉妬する。』等々あげればきりがない。

真に自分を正しく生かす人は、自己の完成のために働くと同時に他人の自己完成に役立つ人である。

自分を真に生かして、他人に真に生きる道を教えたものこそ、真に自分を生かしたものと言える。

ただ生きるのではなく、自分を生かすような何かができるといい。

自分を育てることで自分が幸せに暮らせるようになるだけでなく、その自分の能力を活かして何かの役に立つ、誰かの役に立つことができたら、さらに幸せなのではないか。

家族のためになれる、友達の力になれる、人の役に立てる、社会に貢献できる、このようなことは、生きている意義や自分の存在価値の根本にもつながるし、自分を生かすことではないかと思います。

人を幸せにするいちばんの方法は、育てることを手助けすることではないかと考えています。何を育てるのかというと、勿論、人間としての心です。

『ある人に魚を一匹与えれば、その人は一日食える。魚の取り方を教えれば、その人は一生を通して食える』これは中国のことわざです。

寿司屋の話ではないが、金を残す人は並み。仕事を残す人は上。人を残す人は特上。

人間を育てて残すことは簡単なことではないだけに、育てるものも大いに心の修養になるし、世に貢献することになります。陰徳を積むということはこのようなこともいうのです。

また霊的な視野から見た場合の価値観で最も崇高なことは心の成長に貢献することといえますし、その貢献は様々な分野で誰もがチャンスを与えられており可能なことです。

ですから「人を幸せにする」ことは、自分が幸せになる方法であり、自分を生かすことにもなります。

その為に先ずは自分が執着のない調和された生き方を実践できるところからすべてが始まる。自分が不調和なまま他の人の心を育てれることはできないのです。

自分を育てるためには 自分の感情・気分を知る。

自分を育てる第一歩は、「自分を知る」こと。

その中でも、まずは「自分の感情・気分を知る」ことです。

具体的な方法としては、自分を省みる時間をもつようにし、生活の中での自分の感情・気分を振り返って、次のような自問をしてみればいいでしょう。

「どういう時に、どんな悪感情が湧いたか?」(不満、愚痴、怒り・イライラ、嫉妬、不安、後悔、暗い気もち・落ち込み、恐怖心など)

「どういう時に、いい感情・幸せな気もちになれたか?」

「どういう気分で過ごしたか?」

自分の心の中に湧きやすい悪感情を知るだけでも、大きな第一歩です。

自分の気分にその場で気づくことは、はじめは難しいかもしれません。でも、慣れてくると、自分を振り返ってみることで気づけることも多くなるでしょう。

自分はこういう時(こういうことがあったあと)に、こういう気分になりやすいというように、自分の気分の傾向性(癖)を知ることができれば、今後に気分よく生活するために活かせます。

これらの自省をする時に、気づいたことをノートに書くようにすると気づきが明確になって更に効果的です。そこから、目標をもって、少しずつ改善していくことも可能です。

自分の悪感情の傾向性に気づいても、自分を責めたり落ち込んだりすることはよくありません。

自分を省みるのは、自分を育てるためです。自分を責めるためではありません。

気づいた時をスタート地点にして、長期的な目標をもって変えていければいいのです。

自分を責めずに、自分を甘やかすことなく何事も執着せずに淡々とこなすこと。

今すぐ変えられないことは受け入れること。

受け入れなければ苦しみに悶絶することになり、その問題は自分の影のように生涯ついてまわることになるのです。