真の財産・心の借財

お金
心の財産&煩悩
11日は私の主催する月に一度の『心と体の健康教室』があり、今回は「心の財産」ということをメインテーマでハートスクールを開催した。
参加者は老若男女、職業問わずの自由参加、もちろん会費、会則なし。
身体の健康に関しては『自律神経失調症』『ガン発症した時の食事』をテーマにし、心に関しては、何が『人間の財産』であるかを話題に提案してみた。
先ず自律神経失調症について霊的な視点から事例を一つ紹介します。40代半ばのご婦人が、動悸、不眠、頭痛、が周期的に発症し病院で検査をしたが、これといって特に病態が発見されず、医師には、更年期による自律神経の失調ではないかと言われたといって私のところに来院してきた。
問診の段階で頸椎の5番に少しだけ捻じれが確認できただけでそれ以外は肉体的には何ら問題点が見つからなかったのである。
しかし、実はこの女性、霊的な影響のあることは問診時にわかっていたのだが、問診で霊的な背景が関わりあることを説明することはしない。
本人の希望どうり、整体をきっちりおこない、そのうえでカウンセリングルームに招き、生活の様子、症状が発症した頃の状況などを確認していく。
その会話の中には霊的背景を説明するキーワードが必ず含まれているものだからである。
原因は、ご主人が単身で岩手県の大船渡(沿岸)に赴任し、週末には自宅に帰ってくるという生活状態の中で、震災で亡くなられた方々の未成仏の霊波動をたくさん浴びて帰ってきていたことが影響していたのだった。
本人が希望したため、事情を説明し、浄化をして帰っていただいた。翌日「お陰さまで頭痛、動悸、不眠がなく、ぐっすりと朝まで眠れました」と連絡をいただいた。
現代医学で対処できない症状については、「自律神経失調症です」と説明すれば、大概のことは更年期によるものだと片づけることができるという現実。
ホルモン剤や、向精神薬など簡単に処方箋をだしているのであるが、読者の方々にもこの点はご一考いただければと思います。
『ガン発症した時の食事』については次回にゆづります。
さて、『菜根譚』(さいこんたん)という処世訓(しょせいくん)の書があります。
この菜根譚は中国の古典がベースとなって作られた思想書ですが、中国明代末期「処世修養篇」の随筆集として刊行されたが、中国ではあまり重んじられなかった。
この「菜根譚」は日本においては三教である儒教、仏教、道教の教えを短文にまとめた書として約230年ほど前に刊行された哲学書ですが、禅僧などによって盛んに愛読されてきた経緯がある。
さて、菜根譚からひとつ紹介しましょう。
「身を立つるに一歩を高くして立たざれば、塵裡(ちり)に衣を振い、泥中に足を濯うが如し。如何ぞ超達せん。世に処するに一歩を退いて処らざれば、飛蛾(ひが)の燭(ともしび)に投じ、羝羊(おひつじ)の藩(まがき)に触るるがごとし。如何ぞ安楽ならん。」
一人の人間として生きていくには、一歩高い視点に立たないと、まるで塵のなかで衣を振るい、泥の中で足を洗うようなことになる。
このような状態で、どうして世俗を超えていけるだろうか。
更に、俗世間とつきあうには身を一歩退いてつきあわないと、まるで蛾(が)が燈火に自ら身を投じるように、牡羊が垣根に角をつっこんだようになる。
このようなことで、どうして安楽に暮らせるだろうか。
物事に埋没して、捉われてはいけないということの教えでしょう。
どうしても現実に生きていると、現実にはまり込み、随分低いところまで心を落して生きているなということに気付きます。
自分では、塵の中で衣振るうような愚かなことはしていないと思っているし、泥の中で足を洗うようなことはしていないと思っている。
しかし、本当にそうであろうか。
常に高い視点、すなわち執着しない、偏りのない心で物事を捉え直すことが必要だと改めて感じます。
高い視点というのは、驕る、自惚れるということではありません。客観的に見ることで気付くことがあったなら、どんなに仕事中であっても、進んでいても、直ちに修正しなければならないということです。
一歩を踏み込むときと、一歩退くとき。
一段降りるときと、一段昇るとき。
歩も退くもしっかりと制御しなければと思います。
人間は、物を創造する智慧を頂いている生き物ではありますが、この智慧があるが故に苦悩というものも持ち併せております。
しかし、厳密には執着のない心、偏りのない想念、言葉、行動を以って智慧というのであって、これに沿わないものは智慧とはいわない。
真の財産は何も無いこと
お金はあるにこしたことはないが、さりとて無いのも困る。あることによって余計な心配が発生し、それに伴う苦労もあるだろう。
世にいう、『借金も財産のうち』という言葉がある。
親が亡くなって土地や預貯金を相続する段になると、子どもたちが一斉に遺留分を言いだすという話しはよくあることだ。
プラスの財産だけなら問題も少ないだろうが、借金が残っている場合、相続する人はその借金も同時に相続しなければならないことになります。
これが借金も財産のうちということになります。
また事業を為すにあたって、銀行から借り入れをし、やがては利益を生み出すまでに成長すれば、これもまた借金も財産のうちといえるでしょう。
自分の利己的都合だけでプラスの財産だけ欲しいというわけにはいかないのである。
心に余分な執着、拘り、囚われ、がなければどれほど清々しい生き方ができるであろうか。
人生は執着のないのが至高の財産といえるであろう。
したがって、何もないのが財産とはこのことである。
一転して、私たちの心というものを考えてみてほしい。
「損か得かは人間のものさし、うそかまことか、如来のものさし」
どうしても損得勘定に走るのが常でありますが、これが人間です。
しかし、よくよく悟った人は、人の言動に嘘があるか、真があるかをみて処するものだということでしょう。
この違いは人生に大きな差異となって現れるであろう。

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