知識を智慧に
二日間のおやすみさせていただきましたが、これまでと何ら変わることなく、今年も心のステージアップをテーマに投稿していきますので、これまで同様に当ブログを訪問いただければと思います。
新しい年が再びめぐってきました。新年を迎えると誰しも新春にふさわしい気概に心が引きしまるものです。
少なくとも人生がどうあるべきかを考え、調和こそ人間の生き方と思い至れば、それに向って自己の向上を願うのは当然のことでありましょう。
そこでブログを読んでいただいている皆さんに希望したいことは、今年はこれまで得た知識を智慧に変えて欲しいということである。
善く説かれた教えは心を導くものです。
善く説かれた教えを学び、
心に落とす人は、
越え難い死の境を超えて
悟りの境涯に至るであろう。
知識が知識のままでは何の意味も持たない。
知識が智慧に変わってこそ、正しい法則に沿った生き方が身についた といえる。
いったい智慧とは何かというと、物事を正しく処理する能力をいう。
正しくとは決して偏らずバランスの取れた対応ということだ。
普通は正しく処理する能力に欠けるために、迷いや、苦しみがおこってくる。
私たちの周囲は時々刻々変化してやまない。
歴史は繰り返すというが、きょうの出来事は昨日の延長ではないために、新しい事象に右往左往してしまう。
正しき智慧が働けば、猫の目のように変わる世事に心を動かすことは少なくなるであろう。
知識とは文字通り、物事に対する認識である。
認識が深まれば物事に対処できると思いがちだが、この認識は思慮分別の認識であり、これでは智慧とは成り得ない。
知識が智慧となり得るには、その知識を実際に応用しなければ智慧として身につかない。
換言すれば実践によってのみ、知識が 智慧に変わってくる。
経験は工夫を生みだし物事を成す働きをしてくれるのです。
ふつう物事を考える、思うことは頭脳で行う。その考えが四方に及ぶと頭のシンが痛くなり、疲
れを覚えよう。
ところが、パラミタ(智慧)はそうではない。頭ではなく、胸腹部のあたりから泉のように浮かんでくるものだ。
昔の人は頭で考えるな、腹で考えよという。
いかにも東洋人的な言いまわしだが、智慧というものも、頭ではなく腹から浮かんでくるものである。
智慧は知識の範囲をはるかに超えて、それこそ、自由自在である。
その応用は多岐にわたり、無限の広さを持っている。
百年かかって博学を身につけても智慧にはなり得ない。
智慧は心からわき出ずるものだし、知識は頭で理解するものだからである。
私たちが、偏りのない生き方(正法)というものを頭で(知識)で理解したならば、まず現実の生活にそれを活かしてみることだ。
八正道(八つの正しい基準)という生き方を心と行いで実践することだ。
そうすると、知識では割り切れない智慧が浮かんできて、物事を正しく処理できる能力が自然と備わり、迷うことが少なくなってくる。
今年は知識を智慧に変える実践に努力して欲しいと願うものである。
きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。
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