女性・復元納棺師の死生観
「写真、細く見えるように撮ってくださいよ。お願いしますね。いや、そんなこと、『カメラマンに任せておけ』って感じですかね」屈託なくそう言って、朗らかに笑う。初対面の私は、意外な印象を受けた。取材・文 平出 浩氏
株式会社「桜」代表取締役・笹原留似子、四十歳の納棺師。
岩手県北上市に住み、県内全域や宮城県北部、秋田県南部まで車を走らせ、故人を送り出す仕事をしている。
2011年3月11日に起きた東日本大震災の直後には、岩手県の三陸沿岸にも足を運び、亡くなった人たちを送り出すボランティア活動もした。
精神的に大きな重圧のかかる仕事をしているのだから、重々しい雰囲気を漂わせた人に違いない。勝手にそう思っていた先入観は見事に覆された。
映画『おくりびと』によって、 納棺師という職業は多くの人に知れ渡った。
大勢の人に感動を与えた作品だが、基本的にはフィクションである。
しかし笹原さんは日々、実際の現場に足を運び、故人と遺族に向き合う。
そこは誰にとっても人生最大の悲しみの場。
いったいどんな思いで納棺の仕事に従事しているのか。
「心がけているのは、どこまでも亡くなった方の味方でいること。故人に恥をかかせずに、格好よく、その人らしく、素敵に旅立っていただくお手伝いをすることです。」
もちろん、遺族にも最大限の配慮をする。しかし亡くなった方がいちばん大事との思いが常にある。
「グリーフケア」という言葉がある。グリーフ、すなわち大きな悲しみや嘆きを癒し、支える行為のことだ。
笹原さんによると、身内などが亡くなった場合、故人とどのような話をしたいかを問いかけることが日本では多い。そうすることで、残された人のグリーフケアを行なうのだ。
しかし、笹原さんは違う。故人はどう思っていると思うか、遺族に問いかける。「たとえば、こんなことを言われます。
『お母さんに伝えたいことを伝えられなかった。笹原さん、お母さんは今、どう思っていると思いますか』と。
そのとき、私は自分の考えは言わないんです。代わりに『お母さんなら、どう思うと思う?』
『お母さんはあなたのことをどんなふうに?』。そう聞いたりします。」
問われた相手は、お母さんはこういう人だった、と母のことを振り返る。好きな食べ物、お気に入りの服、思い出の場所、喜んだ顔、怒った顔……それらのあれこれを思い出し、囗に出す。
そのことがとても大切で、残され た人の心が幾分か和らぎ、癒される。 だが、納棺の時間はそれほど長くはない。時間は限られる。
『亡くなった方の体があるうち』に最愛の人との時間を慈しんでほしい。そう願う彼女には。“あること“が求められる。
納棺は五感で感じてほしい
笹原さんは納棺の技術を自分で学んだ。当初は人に習った納棺法で行なっていたが、現場で体験を積むうちに、独自の方法を生み出していった。
彼女の納棺の根幹には「故人との対話」がある。
亡くなった人はどういう人生を生きてきたのか、何を思うのか、そして、何を望んでいるのか。そのことを亡きがらに対面し、見て、話して、考え、感じる。
遺族の声に耳を傾け、また考え、感じる。全霊を注ぎ、「こういう人だったんだな」、「こういうことを望んでいるんだな」と理解するよう努め、心を尽くして、納棺の作業に取りかかる。
故人は、当然ながら、天寿を全うした人ばかりではない。交通事故死、転落死、 溺死、孤独死、自殺……。 幾とせもの齢を重ねた人 だけではなく、若い人も、赤ん坊もいる。
体の一部が白骨化した人も、目や囗、鼻の中などにウジ虫がわいている人もなかにはいる。
「お母さん、明日のお弁当、お願いね。忘れないでね」。そう言って床に就いた翌朝、 目を覚ますと亡くなっていた「お母さん」もいる。
これらの凄絶で冷酷な現場にも、笹原さんは向い合う。
しかし、そういう死を迎えた故人に、遺族が向き合うことは極めて困難だ。
このとき、大きな力を発揮するのが「技術」なのだ。
「目が開いていて、囗も開いていて、臭いがして、『穏やかなお顔ですね』と言っても、なんの説得力もないし、『どんな思い出がありますか』と言っても、誰も聞いてはくれない。当たり前ですよね。
でも、優しい微笑みをたたえた顔を見ると、私の言葉にも耳を傾けてくれる。だから、納棺師には技術が絶対に必要なんです」特に笹原さんが行なう「復元納棺」、そして「参加型納棺」に高い技術は欠かせない。
復元納棺とは、事故や災害などで傷ついた遺体を生前の姿にできるだけ戻し、清め、棺に納めることだ。生前の姿のように戻す、復元する点が一般の納棺とは異なる。
笹原さんは遺体の出血や体液の漏出、腐敗臭を止め、顔のマッサージや整髪などを行なって、故人を復元させる。生半可な技術で務まるものではない。
参加型納棺とは、納棺作業の一部を遺族が行なうことだ。
笹原さんは納棺に死化粧の時間を設けていて、簡単な化粧や整髪は遺族にしてもらうようにしている。
「亡くなられた方に話しかけて、触れて、五感で感じていただきたいんです。そうすると、深い悲しみの中に埋もれていた思い出がよみがえってくる。
時間はかかるかもしれないけれど、その思い出はきっと、その人の『お守り』に変わるんです」
命の意味を子供たちへ伝えたい
「悲しみは人を成長させる」。笹原さんはそうも言う。
その信念があるから、子供たちにも、できるだけ納棺の場にいてもらう。
「葬儀の場にも、納棺の場にも、最近は子供を立ち入らせないんですよ。まるで排除するように。
たとえば、その子のおじいちゃんが亡くなったとき、『あっちに行ってなさい』って。
でも私は、小さな子にも、お手伝いしてもらいたい。実際、『ちょっとお手伝いして』と言うと、みんな、喜ぶの。 一所懸命、おじいさんやおばあさんのお見送りをしようとするの」
この点、笹原さんには原点がある。大好きだった近所のおばあさんが亡くなったとき、「私も三途(さんず)の川に一緒に行く。」と言って、泣き叫んだ。
亡きがらに触れ、頬にチューをし、一緒の布団にも入った。おばあさんの唇に紅も塗った。
それを周りの大人たちは、温かく見守り、一緒に悲しみ、一緒に笑ってくれた。
その記憶と思い出が彼女の心にしっかりと根づいている。
死はとても悲しいけれど、悲しいだけではない。その思いの原点の一つが、ここにある。
死の意味、命の意味を子供たちに伝えたい。このことは、笹原さんの夢だった。
その夢を今、彼女はかなえ、実践している。
中学校や高校に赴き、命について、講演している。ほとんどの子供にとって、死は想像と妄想
の中だけにある、と笹原さんは言う。
死は現実ではない、と。
しかし、人は誰しも必ず死を迎えるし、明日生きている保証もない。
今、生きていること自体が奇跡だと、子供たちに話す。
この奇跡をどう充実させるか、どう周りとつながって生きるか、それが人生の大きな課題だと話す。
講演の際、絶対に囗にしない言葉がある。
それは「自殺」と「いじめ」だ。「生徒の中には、家族を自殺で亡くした子もいるかもしれない。
いじめられている子もいるかもしれない。多感な年頃の彼らに、そうした言葉を使わず、もっと根底にある、命の意味を私は伝えたい。私自身が死の現場で学ばせてもらっている命の意味を……」
北上市にある笹原さんの事務所には、彼女の講演を聴いた生徒たちが立ち寄ることがある。
親友を自殺でなくした子も、親を自殺でなくした子もいる。
「どうしても防がないといけないのは、自殺の連鎖なんです。
妙な噂が飛び交って、それが子供たちの耳にも届く。その噂が子供たちをいっそう苦しめる。
だから、噂はあなたのところで止めて、とお願いするんです。
そして、一緒に考えよう、と」笹原さんも、中学時代と高校時代につらい思いを経験している。
友人を自殺で亡くしているのだ。
ショックで落ち込み、悩み続ける日々の中、心を少し晴れやかにしてくれたのは、近所のおばあさんたちだった。
「ばあちゃん、友達、自殺しちゃったんだ……」。そう話す彼女の言葉をおばあさんたちは静かに聞いてくれた。このときの記憶と思い出も、笹原さんにはしっかりと根づいている。
死は不幸なことではない。
それにしても、と思う。納棺師を仕事に選び被災直後の三陸沿岸、寝るひまを惜しんで走り回った、その思いはどこから来るのか。まだ何かあるのではないか、という思いも脳裏をよぎる。
笹原さんを紹介するプロフィールには「幼いころ、キリスト教の日曜学校に通い、聖書の教え、マザー・テレサの精神を学ぶ」などの文言がある。
彼女の心の軸には、キリスト教とマザー・テレサがあるのだろうか。
「母は仏教の尼なんです。母には、幼いころから『いろいろな宗教を勉強しなさい』とよく言われました。キリスト教の日曜学校に通っていたのも、その一環です。
それぞれの宗教の考え方がわかるし、人の悪口も言わなくなるから、という考えがあったのでしょうね。おかげで今、私はすべての宗教や宗派に好きなところがいっぱいある。でも、ここは自分には合わないな、と思うところは記憶の中から消しますけどね」
そう言って快活に笑う。実際、笹原さんは巫女として神社に奉職していたこともある。
神道も、仏教も、キリスト教も受け入れ、自らの糧にしている。
『マザーテレサも私にとっては非常に大きな存在ですね。』特に『愛されることより、愛することを』や、『大切なのは、どれだけたくさんの事をしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。』という言葉は尊く、今も私の人生の指針になっています。
さらにもう一つ、大きな経験があった。二十代半ばで受けた大手術でお腹の子を亡くした。
悲嘆に暮れ、死をも考える日々。支えてくれたのは、看護師長だった。「いっぱい話を聞いてもらい、いっぱい泣かせてもらいました」。この体験は重く大きく、笹原さんの心の奥底に深く染み入っている。
「亡くなったんだから、もう忘れなさい。そう言う人もいます。でも、私はそうは思わない。
悲しみは決してゼロにならないし、ゼロにする必要もない。悲しみと一緒に生きていいし、むしろ、ときどき思い出したい。思い出すことが供養にもなるから」
そして、笹原さんは思う。死は生きていた証だ。不幸なことではない。さらに、死は怖くない、と。
話を聞きつつ、私も思う。人の死は、その人の生と自身のこれからの生を考えさせる。
死は生のあり方を私たちに問いかけてもいるのだ、と。
今回はPHPの取材を行った平出 浩氏の記事を転載させていただきました。
ただ単に復元納棺師としての職業をするためでない。死というものの現実、実情を少しでも理解していただきたいということ、死にまつわる私たちのさまざまな想いは悲しみだけで終わってはならないだろう。
死の際において如何に向き合ったか、それまで如何に生きたか、私たちは故人の想いをくみ取ることが旅立つ者への謝意となるのではないかと思うのです。
死は私たちの心を育んでくれます。
それは一粒の麦がこぼれて、多くの麦を実らせることのように。
きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。
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