聞き上手は話し上手
Tom様のコメントへ返信
あなたからのメールを拝見しまして文章の流れの良さにとても感心しております。
これほどの文章を書けるあなたは捉えどころが良く、論理的に物事を考えることができて素晴らしいと思っております。
そういうあなたがどうして「日々のちょっとした会話の中でさえ、他人を不快にさせてしまう自分にがっくりしています。」ということになるのでしょうか。
その辺のところを何故不快にさせてしまうのか。
あるいは不快にさせているのではないかと自身のなかで思い込んでいるだけではないのか。
コミュニケーションという言葉があります。
会話はというのは自分の意思を伝える手段でありますが、同時に相手の意思を確認する手段でもあります。
しかし、コミュニケーションを図ることは必ずしも上手に話すことでもないように思います。
会話の上手下手を問われれば、上手な人が少なく、下手な人の方が多いかもしれません。
アナウンサーや落語家、漫才師、講演の講師、等々の話しのプロならともかく、私は話が上手ですと言える人なんて限られたものではと思います。
昔から、「話し上手は聞き上手」とはよく言ったものです。
どれほど話し上手であっても、一方的、且つ、能弁にまくしたてる相手とはあまり話したいとは思わないでしょう。
コミュニケーションをとるということは聞き上手でありたいものですね。
例えば、私の場合、相談者との会話は、相手の話したいことをじゅうぶんに受け止め聞き役に徹します。
そのうえでアドバイスではなく、先ずは私から問いかけをします。
そうするとその問いかけに答えてきます。
そこに相手の意思、思いを感じ取れます。
聴いて受け止める⇒問いかける⇒相手が答える⇒問いかける⇒相手が答える。
このような連鎖があることで相手は話すチャンスがあり、聞き入れてもらえているという実感があると思うのです。
問いかけるときに自分の考えも入れながら質問すれば、それで十分自分の意見を言ったことにもなるでしょう。
先ず、完璧な会話を求めず、聞き役から始めて、問いかけることをやられてみてはどうでしょうか。
観童
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ディスカッション
コメント一覧
ご助言どうもありがとうございます。
相手の言うことを受け止める大切さはこれまで耳にしておりながら、実際の自分の行動を観察すると、「自分はこう思うが、それはどうだろうか?」という、自分の考えの妥当性を認めてもらいたいがための質問になっていたように思います。
本当は、自分の意見を言っているときは、自分で気がつかない限り、新しいことに触れる機会はないのですが、相手の言うことをじっくり聞いていれば、何かしら新しいことにふれることができ、自分にプラスなのに、損をしているなと思います。どうして自分の意見を聞いてもらいたいかというと、やはり、劣等感や不安から、「私の言うことに共感してもらいたい」という気持ちが強いのだと思いました。