心のゆとり

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なぜそのひとの周りにひとが集まるのか?
わき目も振らず、仕事に邁進するひとがいます。
ひたすら仕事の能力を高めることにつとめる。
それ自体はとても良いことであろうと思います。
しかし、往々にしてそのタイプは、能力を評価されても意外と信頼感は得られない、といったこともあります。
「彼の能力は認めるよ。でも、腹を割って何でも話す気にはなれないな」周囲からそんな見方をされるのです。
一方、仕事の能力に特段すぐれているというわけではないのに、なぜか周囲にひとが集まり、何くれとなく相談を持ちかけられるひとがいます。
だれもが胸襟(きょうきん)を開くのは、信頼感がある証でもあります。
能力を高めることは、周囲とかかわりなく自力でできますが、信頼は何か周囲に訴えかけるものがないと得られません。
何が信頼を集めるのでしょうか。
わたしは「心のゆとり」だ、と思います。
こころにゆとりがないと、ひとに対してもどこかギスギスしてしまいます。
相手のミスが自分の評価にも及ぶといったことでもあると、あからさまに責め立てたりするのです。
自分の能力評価に拘るあまり、相手を認めたり、受け入れたり、許したりすることができなくなるのでしょう。
信頼が集まるはずはありません
ゆとりは執着からも自由になれる
では、こころのゆとりはどこから生まれるのでしょうか。
実は、心のゆとりは悩みや苦しみの賜物といってよいでしょう。
悩みや苦しみをごまかしたりせず、正面から引き受け、そのことによってこころを磨き、鍛えてきた。
いつも自分自身の心のあり方を大切にしておくこと、それは精神バランスを偏ったものにしないことという意味です。
悩み、苦しむ人はいつも何かに拘り、自分を縛っています。
また、人間は他人のことは批評しやすいのですが、自分自身の精神状態に関することとなると、自分が思ったより自分をよく分かっていないものです。
多くの経験、試練、逆境と正面から向き合って乗り越えてきたひとは自分自身をよく知っています。
だから、他人の悩みも苦しみも、実感として受け止めることができるのです。
頭で悩みを考え、苦しみを理解するのではなく、こころが相手の思いに感応する、といってもいいでしょう。
こころのゆとりは、執着からも人を自由にしてくれます。
仕事の成果にしろ、評価にしろ、自分が得たものは手放したくない、という心理はだれにでも働くでしょう。
しかし、それがあまりにも高じると、「だれかに奪われやしないか」という猜疑心にとらわれます。
執着でがんじからめになって、自分を守ることしか考えられなくなるのです。
これに対して、ゆとりがあると、他人に分け与えることができます。
仕事の成果でも、独占することはしません。
「決して自分一人の力じゃない。みんなの力、サポートがあったから、いい結果が得られたんだよ。ありがとう。これからも頼むな」そんな対応ができるのです。
ますます、信頼が厚くなるのはいうまでもないでしょう。
私は治療家になってまだ24年ですが、お付き合いの長いお客様はいいます。
「惜しげもなく人に無償で技術を教えて損じゃないのかい?」と。
確かにこれまで20人以上の弟子たちを育てて世に送り出してきました。
しかし私の技術は患者さんから学んだものであって、最初から私が持って生まれてきたものではありません。
人に技術を教えて自分が先細りになるようなら、所詮はそれまでの人間でしかないというということだと受け止めてきました。
心配してくださる方々の結果とは逆でした。
志す人たちには無償で指導し、世に送り出し、それでも年々お客様が増えて昇華できなくなり、それに応じてスタッフも増やさざるを得なくなりました。
江戸時代の儒学者・佐藤一斎氏は、こんな言葉を残しています。
「春風をもって人に接し、秋霜をもってみずからを慎む」
人間は、自分に優しく、人に厳しいものです。
その反対を佐藤一斎氏が鋭く無駄のない短い言葉で指摘しています。
春の風のように暖かい気持ちをもって人に接し、
秋の霜のように厳しく自分を見つめよ、と。
嫌な仕事でも同じことです。
自分がいやな仕事も誰かはしなければならないと。
そう思って取り組む、そういう仕事こそ自分の成長につながります。
何事も謙虚に素直に受け止めて、前向きに接することが肝要かと思うのです。
春風を以って人に接することができる人は人間力が高い。
「さわやかな」人だと言われる人は、こういう人付き合い方ができる人。
かくいう自分も人間力が低いのですが、自分がいやな相手にも優しく接することができるよう努力したいと思います。
ともすれば、易きに流れることになりがちな人間であってみれば、深くこころに刻みつけたいと思うすぐれた佐藤一斎氏の言葉ですが、こころのゆとりがなくては、この域に達することはできません。
わたしは初めて治療家を目指したときから、人の健康と心の健康に寄与すると、自身に誓って精進してきました。
まだまだ未熟者です。
そうして気づかされたのが「患者さんが我が師なり」ということでした。
つまり、身体が病んでいる人たち、心が病んでいる人たちから私は学ばされ、成長させていただいたということです。
いっさいの手抜き無しに、どうしたらこの症状を改善できるのかと来る日も来る日もそのことに没頭していたものです。
知識の及ばないところで、患者さん自身の反応が答えを出してくれました。
国家資格を取得した人たちも弟子入りを志願してくるのですが、彼らは学んだ知識が頭のなかにいっぱい詰まっていて、それが邪魔をして患者さんの身体の繊細な変化や声に気づけない傾向が多々あります。
どちらかというと、私の場合は知識よりも患者さんの身体の状態と変化、そして反応に心を向けてきました。
ここに知識や資格を超えた学びや気づきがたくさんありました。
自分を忘れてひたすらに患者さんの回復を願って施術をしている自分と出会うことができました。
それが自然体となったいま、少しはこころにゆとりが生まれているでしょうか。
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