魂という純金

 
夢「あなたは何の為に生きているの?」と幼い子どもに聞かれたお母さんが「生きる為に生きているのよ」と真顔で答えていた。
たしかに間違いではないだろうが、これではよくわかりませんし、幼い子なら尚更です
私もカウンセリングの中でよく問いかけるのだが、十代、二十代だけでなく、中年の人たちでも、「幸せになるために」という言葉が返ってくる。
これもまたうなづけますが、「幸せになるために」これは実に不確実なものであります。
この世での幸せの条件が何故、不確実であるか。
それは、お金があれば幸せが買えるという考え方の人、物があれば幸せと考える人、地位や名誉が得られたら幸せと考える人、様々な幸せの物的条件、形式的条件が満たされたときに幸せとするなら、これほど不確実なものはないでしょう。
形ある物は時とともに壊れ、お金の多寡によって幸せとする考えも結局お金が少なければ不幸ということになります。
しかし、実際は経済的には余裕がない生活をしていても「私は今がいちばん幸せです」と言い切っている人がいます。
こうなってくると、幸せの条件は非常にその人によって違うということがわかります。
地位があるから幸せとする価値観も、会社を去り地位を失ったらただの人となり、不幸せということで嘆いてしまうことになります。
こうしてみると、自分からすべてを取り除いたときに何が残るのか、最後に残った形のないもの即ち心の内にある財産こそが幸せの最大条件ではないだろうか。
物やお金、地位や名誉に執着せずに、足ることを知った生活観、そして何事にも慈愛を持って謙虚に素直に生きること、これこそが幸せを感じられる条件だろうと思うのです。
「あなたは何の為に生きているの?」という問いへの答えは、「幸せになるために」ではなく、実はどのような境遇でも幸せと感じられる心作りのためであるということではないだろうか。
すなわち、幸せと感じることのできる心の原点に目覚めるため、覚醒する為に地上で生きているということです。
こういうことから、「幸せになる」ということはあくまでも魂の向上をはかるための一つのファクターでしかないということがいえます。
「幸せ」だけでは奥深い魂の学びにはならないのです。
人生には山あり谷ありですが、失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くもありますし、諦めの気持ちに埋没して立ち上がれない時もあるのですが、実はそこから人生が始まるのです。
私たちにはまだまだ発揮されていない力・・・それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されています。
それは楽な人生の中では決して発揮されません。
どん底に落ちて辛酸をなめた人、苦痛と困難の中にあってこそ内面にある力が発揮されるのです。
鉱山から採掘されたばかりの金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみをそぎ落とすという試練を経ないと出てこないのです。
そして心に蓄積された余分な土や余分な金属、鉱石を取り除くこと、これが人間でいえば心の執着を捨てること、余分な欲望を捨てること、言い換えるなら心の曇りを取り払う作業と言うことになります。
自分の内面にある純金の宝珠を拝するにはそれ以外に方法がないのです。
人間の生活には過ちはつきものです。
その過ちを改めることによって魂が成長します。
苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。
何かにすがり真言を唱えて御利益があるとする教えは危険この上ありませんし、邪道です。
お守りを買った、お札を買った、祈祷してもらった、波動修正するという機器を買った、セミナーを受けて波動修正すると運命が好転する、神社巡りのツアーを組んで神様と縁結びをして悪しきカルマ上げてもらうと人生が好転する、等々、本当に他力本願のビジネスが大流行りである。
しかし、相談者たちの話しは何一つとして問題解決していないのです。
解決していないから相談にくるのでしょう。
いつも私がお伝えすることは同じです。
物事の道理、法則、真実、ブレのない考え方の基本、男と女のあるべき姿、心の癖を修正すること、足ることを知ること、心から感謝できる人間になること、人の心がわかる人間になることです。
苦労せずに順風ばかりの人生、日なたばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は磨かれませんし発揮されません。
何かに挑戦し、苦しみ、宇宙の一部であるところの地球という恵まれた環境下において、魂の扉を開き、自身の内に潜在する崇高なる意識を持ち出すこと、それが悟りを開くということでしょう。
困難にグチをこぼしてはいけません。
困難こそ魂のこやしです。
むろん困難の最中にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。
辛いのですから。
しかし、あとでその時を振り返った時、それが私たちの魂の目を開かせる為に、このうえない肥やしであったことを知って天に感謝するに相違ありません。
この世に生まれてくる霊魂がみな楽な暮らしを送っていては、そこに進歩も開発も個性も成就もありません。
これは酷(きび)しい辛い教訓ではありますが、何ごとも価値あるものほど、成就には困難がつきまとうのです。
自らが光り輝く魂となるためにはそう容易く気づきが得られるものではありません。
私たちの魂は日常の活動は勿論のこと、眠っているときでも完全休息はなく、霊界に移動して宇宙の光りエネルギーをチャージしてきます。
そして宇宙も一瞬たりとも休むことなく働き、全存在のすみずみまで完全に通じて光りエネルギーを供給しております。
宇宙の意識は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日もすべては宇宙意識の働きです。
私たちは宇宙に感謝こそすれ、有限なる人間に宇宙を裁く資格はないでしょう。
地球を破壊する資格もありません。
そして自分自身さえも裁く資格もありません。
物的尺度で物事をみるような心を以って自分を小さくしてはいけません。
物的尺度で見ることをやめない限り、世の中は不公平と、不正と、邪道と、力の支配しか見ることができないでしょう。
ごく当たり前の道理です。
しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。
だが現実は地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。
なぜなら地上は肉体と物質の世界であって原因と結果の法則は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。
時間がかかるのです。
ですが地上生活を超えた輪廻という長い目で見れば、原因と結果の法則はこの世にいる時だけではなく、あの世に帰ってからでも一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。
ですから、この世で罪を重ねて悪を為し、物的な栄華を極めたとしてもそれは輪廻のなかであの世に移動したあとに原因と結果の法則に沿って必ずや修正されることになります。
霊的に見て、あなたにとって何が望ましいかは、あなた自身は気づいているだろうか。
もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌な現実が実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることもあり得るのです。
ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度、つまり、偏りのない中道の精神、思考、価値観で判断するように勤めることです。
人間だれしも自分にとって都合の悪いことがあれば、最大の悲劇と思うでしょうが、天から見れば幸運だと思えることがあり、あなたにとって幸福と思えることが、天から見れば不幸だと思えることもあるのです。
これは何故かというと、霊的判断による違いであって、地上的価値観と霊的、精神的、神的価値観の違いによるものだということです。
また祈りという行為にはそれなりの人それぞれの回答が与えられます。
しかしそれは必ずしもあなたが望んでいるとおりの形ではなく、その時あなたの心的成長にとっていちばん望ましい形で与えられるでしょう。
相応しくない結果ととしての回答を与えられることはありませんが、しかし天は決して我が子を見捨てるようなことは致しません。
宇宙が人類に施されることを我々人類が地上的なモノサシで計り、不満を言い、批判することはやめなくてはいけません。
最後に、絶対に誤ることのない霊的成長と真実について述べておきます。
一つは、動機が純粋であれば、どんなことをしても決して魂は被害をこうむることはないということ。
もう一つは、人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。
この二つです。
志を高く持つことの意義はここにあります。
事を急いてはならず 焦ってはいけません
何ごとも慌てずに気長に
執着せず
昨日に拘らず
明日を憂えず
今を生ぬくこと
私たち人類が地上に意識をもった生命体としてが誕生するのに想像を絶するだけの長い歳月を要したのですから。
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