魂の先祖&soul brother

 瑞光 様のコメント: 2013年9月20日 9:19 PM

観童様のブログを昨年の一月から拝見しております。

私は僧職にある者ですが、得度して五年ほどの新参者でわからないことばかりです。
ぜひお尋ねしたいことがあります。 教えて頂ければ幸いに存じます。
私は、仕事で先祖供養ということを日常的に行っているのですが、観童様のコラムを拝見して、供養ということに対するこれまでの私の考えを、今一度点検しなければという思いがしたところでもあります。
日本の仏教界では、親や先祖、そして、縁者というように、血縁の肉体先祖を供養してきたのですが、魂の先祖魂の兄弟という言葉の意味をもう少し分かりやすくご説明頂けませんでしょうか。
宜しくお願いいたします。
返信
瑞光さま。いつもブログを訪問していただきありがとうございます。
先ず、ご質問の魂の先祖、魂の兄弟ということの前に、肉体先祖ということについて少し触れさせてください。
これまでの仏教界では因果律については触れてきておりますが、魂の存在や輪廻転生などのことについては殆んど説くことがなかったのではないでしょうか。
まして、魂の兄弟とか、魂の先祖、そして、守護霊や指導霊という言葉もとなると全く別分野の話しという観があったかと思います。
肉体先祖とは、文字通り肉体の系譜であり、肉体の系譜には、さまざまな個の魂が関係してきます。
この世の肉体上の親子関係は、過去世においての約束、あるいは、あの世で約束を交わし、縁を持ったもので、魂の関係からみると親子というものではありません。
現世の親子関係は、過去世やあの世での友人であったり、知人であったりと、深い契を結んだ縁者であります。
しかしながら、私たちの魂がこの世に出生し、地上調和をつくるための修行にいそしめるのは、先に生まれ、この世に出生している親のおかげであり、そうした意味では肉体先祖なり、親には感謝しなければならないでしょう。
こういうことで、自分が現在ここに存在するということは、魂の先祖や、肉体の先祖の関係においてあるわけです。
これは現実の親子関係を通した俗にいう家柄、血筋をいうものであり、これまでの先祖供養についての観念は肉体先祖のみでした。
ところが同じ親子であっても、魂はみなちがうのです。
その証拠に、自分の子であっても自分の自由にはなりませんし、性格、考え方、生き方は異なります。
肉体は遺伝されますが、魂は遺伝されません。
似たような考え方、興味を持つ親子もおりますが、これは類似の傾向を持った魂なのであり、肉体に遺伝されたものではないということです。
このように、肉体と魂は違うのであり、魂にも肉体とはちがった先祖があるのです。
その意味で、魂の先祖というのは、自分自身の過去世といえば理解できるだろうか。
たとえば、あなたが今世で男性として生まれていても、五百年前、千年前に、中国に生をうけ、あるいはインドに生まれ、あるいはアメリカに生まれ、今世と同じように生活していたかもしれません。
また、その時は今世とはちがって、女性であったかも知れません。
過去世というのは、こうした五百年前、千年前の自分自身の生活の記録であり、それは親から受け継がれたものではないということです。
その記録は自分自身の魂の中心である心に、記憶という形で内在されています。
ただ、通常、一般的には過去世の記憶を認識することがないだけです。
過去世の自分を知るには魂全体にある、表面意識と中心部分にある心(潜在意識)の間にある想念帯を通り抜けて同通する必要があります。(下記の図表面の表面意識、中心の黄色潜在意識、グレーが想念帯心の仕組み
 
この記憶は、人にもよりますが、偏りのない正道の生活を行なうことにより、心が調和されてはじめて可能となり、潜在部分が表面化して自覚できる場合があるものだということです。
いわゆる過去世の記憶がよみがえるという場合です。
また、過去世で暮らした外国の地に惹かれて再びその地で永住する人もいます。
このように、魂の先祖がわかりますと、いまの生活に対する自覚が生まれ、魂の先祖すなわち過去世の自分に劣るまいとする向上心に燃えるものです。
もちろん、人によっては、今世は過去世以上の恵まれた生活をしている人もありますが、そのときは、昔の苦しい生活に思いを馳せ、謙虚な自覚が芽生えてくるものである。
こうして過去世の自分を知ったときは、人生に対する目的と役割に目覚め、人の一生は今世だけのものでないことがわかり、愛の生活に徹することができるようになるでしょう。
この意味で、魂の先祖を知ることは社会の平和に貢献する、人生の大転換になるものです。
守護霊・指導霊
ここでもう少し、魂の先祖、魂の兄弟ということに関連して、一般的に聞きなれている守護霊や指導霊という言葉の意味について述べておきたいと思います。
守護霊や指導霊という言葉は聞いたことのない人はいないほど知られた言葉かもしれません。
まず結論から言いますと、守護霊は心の潜在部分に内在しているものであり、その殆んどが自分の過去世であるということ。(まれに肉体先祖が務めるケースもある)
『あなたに徳の高い守護霊をつけてあげます。守護神をつけてあげます。そうすればあなたはこれまで以上に何事もうまくいき幸せになれます。』という甘い言葉に誘われて大金を支払ったという人がいます。
実は、守護霊は人間がこの地上に生まれた瞬間から誰にでも公平についてくれている存在ですから、営利を目的とする人たちが後から取り付けるようなものではありません。
4次元世界と3次元世界の関わりには厳然とした摂理と秩序が存在していて、何人たりともこの秩序を破ることはできない。
したがって後付するような霊は邪悪な霊か地獄霊でしかないのです。ご注意ください。うまい話はいつも誘惑と疑惑に満ち、危険がはらんでいます。
私たちの背後(4次元)にはいろんな役目の霊が存在しています。
目的がいろいろとあるからですが、しかし、その霊がすべて同じレベルにあるわけではありません。
各々の霊に割り当てられる守護霊や指導霊としての役目は霊的な成長と発達の度合によって異なります。
例えば、物理化学について詳しい霊がいても、あくまでその時点までの経験の結果としての知識で協力するということで、まるで知らない霊界の仕組みや政治行政のことについては協力できようはずがありません。決してパーフェクトではないのです。
ですから知らないことは何一つないような霊は決していないということです。
物理化学に精通している霊は高等な思想上の問題についてはよく知りませんし、高等な思想・哲学を説くことを使命としている霊は物理化学に関しては苦手かもしれません。
このような意味から、霊をぜんぶ同一水準に置いて考えることは禁物です。
どんな霊が背後霊(守護霊・指導霊)となるのか。
多くは魂の先祖、魂の兄弟(同義語)が受け持ちます。魂の先祖と兄弟は別な存在として表記したのではなく、同義語であり、別な言葉を使用しただけとご理解ください。
また地上的な縁故関係はまったくなくて、果たさんとする目的において志を同じくする者、言ってみれば霊的親近感や霊的使命感によって結ばれる場合もあります。
先のように、多くは魂の先祖、魂の兄弟と上述したのは、守護霊は、まれには地上での血縁関係によって担う場合もあるからであります。
そこには民族や国家の違いはありません。地上を去り4次元世界に行き、地上的習性が消えていくと、民族性や国民性も消えていきます。
魂には民族も国家もありません。あるのは地上生活のときの肉体上の差異だけです。
背後霊として選ばれる基準は何か
4次元世界にいる段階で地上世界(3次元)のために為すべき役目があることを自覚して、みずから買って出る霊もいますし、ある霊的な発達段階まで来ている霊が、人類啓発の使命を帯びた霊団から誘いをかけられる場合もあります。
誘われた魂は困難を承知で人類愛のために引き受けるのです。
また自分から進んで背後の指導を買ってでたとしても、その霊の人間性が未熟ならば叶わないことです。
あの世においては、心から発するオーラ、すなわち色彩、光輝の大小がその霊人の本性を全て示しているのです。
あの世では地上人間のように嘘は隠せませんし、心の状態がすべてオーラとなって表れているからです。あの世における霊体だけの生命はこの地上のような肉体はまとっていませんから心の状態がすべて丸見えなのです。
守護する力量のないものがその任を担うことはできません。その人には協力できないことが明らかなのですから。
ですから、地上のあなたが人類のための仕事に志を抱く霊を呼び寄せようとしても、あなたご自身が霊的成長によって霊格の高い指導霊を引きつける力を具えていなければ、それは叶えられないということです。
指導霊にも段階ありです。殆んどは自分と同等レベルの指導霊が背後にいると解釈してよいでしょう。
つまり、自分の魂のステージに見合った霊が守護霊や指導霊という立場で背後の協力をするのです。お判りでしょうか。
この世においても資格のないものにはやりたくても出来ないことがあるのも道理でしょう。しかし、ここでいう資格は学歴や運転免許や国家試験で得るような形の資格ではありません。魂の成長度合の意味です。
偉大な聖者たちは大学をでたでしょうか?
先ずは私たちが心磨きを実践して魂のステージを上げることが先です。そのことによって段階的に指導霊が入れ替わることがあるのです。
私たちが意識するしないに関わらずです。
仏像や曼荼羅に向かって真言を唱え、読経をして拝むことは、本来の仏教からすれば御利益求めであったり、他力本願で依存型信仰の代表と見えてなりません。
実際に、このような考えと行動が邪悪な霊人を引き寄せるケースが多いことを知る一般の人たちはとても少なく、災いに苦悩する人が後を絶ちません。
人間に必要なものはすべて生れ落ちるときに備わっていることを悟らねばなりませんよね。
※きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。
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