正しい視野


『色即是空 空即是色』(しきそくぜくう、くうそくぜしき)という言葉が示すもの。
(しき)は色(いろ)のある世界で目でみえるもの、物質のことです。
(くう)は反対に色(いろ)のない世界で肉眼で見えない状態のことです。
即是(そくぜ)は、すなわちこれは、ということ。
まとめますと物質と非物質は科学的には循環して存在すること、形のあるものはやがて形のない相に変わりゆくもので、形のない相から再び形がうまれてくるものだという宇宙の法則を言い表しています。
これが自然界の法則であり、宇宙の秩序であるということになりますが、これを言ったのは現代の科学者ではなく、古代の聖者だというところがすばらしく深遠に思います。
この法則を人間にあてはめますと、形のあるものは肉体で、形のないものが心(魂)となります。従って、人間は形のあるこの世と、形のないあの世を行き来する存在だということを示唆した言葉でもあります。
『色心不二』という言葉も同じで肉体と心は不二ではない、つまり二つではないとなりますから、一つだということですね。
私は心の目を通して観る習慣のおかげで物事のさまざまな側面をうかがい知ることができます。
人間の心(魂)は肉体の中に閉じ込められているという不利な条件のために、どうしても肉体感覚を中心とした視点から眺めることが殆どです。
例えば、老いる、病気をする、死を迎えるなどのなかで眼、耳、鼻、舌、身の五官に左右されやすいところがその代表的でしょう。
私たちは物質(肉体)をまとった存在です。身を物質の世界(3次元)であるこの世に置いています。従って衣服を着なければなりません。住まいがなくてはなりません。食べるものが必要です。身体の手入れをしなくてはなりません。
身体は、為すべき仕事を果たすために必要なものをすべて確保しなければなりません。
物質(肉体)の存在価値は基本的には心(魂)の道具であることです。
心(魂)なくしては身体の存在はありません。
そのことを正しく認識している人が実に少ないのです。
身体が存在できるのは第一に心(魂)が存在するからです。心(魂)が離れれば身体は崩壊し、そして死滅し分解します。
このことを申し上げるのは、他の多くの人たちと同様に、このブログを読んでくれているあなたもまだ未来(4次元)について正しい視野をおもちでないのであればという前提にたってのことです。
多くの人はご自身のことを一時的な地上的生命をたずさえたスピリチュアル(霊的)な存在であるとはみておられません。ですから身体にかかわること、世間的なことを必要以上に重大視される傾向があります。
このことの意味をよく考えてみる必要があるでしょう。
心と身体の問題は難しいことであることは私もよく知っております。
ですが、視野を一変させ、その身体だけでなく、住んでおられる地球、それからその地球上のすべてのものが存在できるのは、それらを生かしめる絶対的意識のおかげであること。
あなたも心(魂)であり、心(魂)であるがゆえに絶対的意識の属性のすべてを宿していることに得心がいくようになれば、前途に横たわる困難のすべてを克服していくだけの心(魂)の力、つまりスピリットパワーをさずかっていることに理解がいくはずです。
正しく生きる力のことです。生命の根元、存在の根元、永遠の根元はの中にあります。
自分で自分をコントロールする要領(コツ)さえ身につければ、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出すことができます。
心(魂)は物質によって牛耳られてばかりはいません。全生命の原動力であり全存在の大始源である絶対的宇宙の意識は、あなたの地上生活において必要なものをすべて供給してくれます。
その地上生活の目的はきわめて単純なことです。
それは死後に待ち受ける次の生活(4次元)に備えて、本来のあなたであるところの心(魂)を強固にすることです。
身支度を整えるのです。知識だけではいけません。開発するのです。実践するのです。
となれば、良いことも悪いことも、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆることがあなたの心(魂)の成長の糧となるのです。
その一つ一つが絶対意識とつながって存在価値を有しているのです。
いかに暗い体験も暗く感じられるのは意に沿わないからで、克服できないことほど影をおとし強烈なものはありません。
しかし、あなたに耐えられないほどの試練や危機に直面させられることはありません。
ところが、残念ながら敵があります。取り越し苦労、心配、不安、絶望という大敵です。それが心の波長を乱し、せっかくのガイド(守護霊)からのスピリットヘルプを妨げるのです。
心(魂)は平静さと自信と受容力の中で初めて伸び伸びと成長します。
日々の生活に要請されるものすべてが供給されます。別に難しいことではありません。
身体へ向けている関心の何分の一かでも心(魂)の方へ向けてくだされば、世の中は今よりもずっと住みよくなるでしょう。
一般的に言って人間は肉体のことは甘やかしすぎです。必要以上のものを与えていると思います。
私たちが文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし、それに対応するためにまた新たな慣習的行為を背負い込むという愚を重ねております。
肉体にとって無くてはならぬものといえば光と空気と食べものと運動と住居くらいのものです。衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません。慣習上、必需品となっているだけです。
私はけっして肉体ならびにその必要条件をおろそかにしてよろしいと言っているのではありません。肉体は人生航路のための、心(魂)の大切な乗り船ではありませんか。
肉体的本性が欲求するものを無視するようにとお願いしているのではありません。
私は一人でも多くの人間に“正しい視野”をもっていただき、自分自身の本当の姿を見つめるようになっていただきたいのです。
まだ自分というものを肉体だけの存在、あるいは、せいぜい霊を具えた肉体だと思い込んでいる人が多すぎます。本当は“肉体を具えた霊的存在”なのです。それとこれとでは大違いです。
“無駄な取り越し苦労”に振り回されている人が多すぎます。私が何とかして無くしてあげたいと思ってお手伝いしているのは“不必要な心配”についてです。
絶対的存在の意識は何かというと無限なる叡智と無限なる慈愛です。
われわれの理解を超えた存在です。が、その働きは宇宙の生命活動の中に見出すことができます。驚異に満ちたこの宇宙は、狂いもなく一定の秩序をもって円運動を基本として活動していることは科学でも証明されるところです。
いま存在する自然法則はかつても存在し、これからも永遠に存在し続けます。なぜなら、完璧な構想のもとに全能の力によって生み出されたものだからです。
宇宙のどこでもよろしい。よく観察すれば、雄大(マクロ)なものから極小(ミクロ)のものに至るまでのあらゆる(営み)が自然の法則によって生かされ、動かされ、規律正しくコントロールされていることがお分かりになります。
海をみても、山をみても、天をみても、地をみてもその中にはいつも秩序があり、意識があります。
途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、あるいは変転きわまりない大自然のパノラマに目を向けても、さらには小鳥、樹木、花、川、湖のどれ一つ取ってみても、ちょうど地球が地軸(ちじく)を中心に回転することによって季節のめぐりが生まれているように、すべての相(営み)とのつながりを考慮した法則によって統制されていることが分かります。
種子(たね)を蒔けば芽が出る。この、いつの時代にも変わらない摂理(せつり)、決まりこそ天の意識の発動による典型です。
逆境にあるものよ、天があなたを突き放すのではない。あなた方が天に心を向けないだけです。
私は、多くの人に自分を知る視野をもっていただきたいと願っています。
そうすれば取り越し苦労もなくなり、恐れおののくこともなくなります。
いかなる体験も心(魂)の成長にとっては何かしらの役に立つことを知ります。その認識のもとに一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していくことでしょう。
その“さ中”にあってはそう思えなくても、それが真実なのです。
誰もがいつかはあの世の世界へ還るのですが、還れば感謝なさるのはそういう辛く苦しい体験をされた方なのです。
それはあの世では価値判断の基準が物や金や地位や名誉ではなく心の成長という視点に変わることによって、暗く思えた体験こそ、その“さ中”にある時は有難く思えなくても、心の成長をいちばん促進してくれていることを知るからです。
今ここでそれを証明してさしあげることはできません。あの世に行けば自ら証明なさることでしょう。
こうしたことはあなたにとって比較的新しい理論でしょうが、これは大へんな真理であり、また多くの側面をもっています。
まだまだ学ばねばならないことが“沢山”あるということです。探究の歩みを止めてはいけません。歩み続けるのです。
ただしぜんぶ鵜呑(うの)みにしてはいけません。あなたの理性が反発するもの、あなたの知性を侮辱するものは拒絶してください。
理に適っていると思えるもの、価値があると確信できるもののみを受け入れてください。
何でもすぐに信じる必要はありません。あなた自身の判断力にしっくりくるものだけを受け入れればいいのです。
私たちは誤りを犯す可能性のある道具(肉体)を使用しています。それが理性や知性を欠くことになったりします。うっかりミスを犯すことがあります。
私たち自身も誤りを犯す存在だということを忘れてはなりません。
私も知らないことが沢山あります。が、少しでも多く知ろうと努力を続けております。
私がこのようなことを、お伝えする任にはないのかもしれませんが、体験をし、知り得たことの真実を少しでもお伝えしたいという一念で書き記しております。
長い文章を最後までお読みくださってありがとうございます。
 

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Posted by kansindo