ほんとうの幸せ

花
自分が孤独だと感じたり、一人だと感じたときは寂しさがつのってくるものですが、一人ぼっちではないと実感できるとき、人は幸せだと感じています。
しかし、幸せのかたちはこれだけではなく、いろいろなかたちがあるはずです。
また、生きていると様々な苦しみがあります。
でもそれを乗り越えられるために、自分の努力は勿論ですが、やはり多くの人たちの温かい支えであったり、励ましである場合が多いのではないだろうか。
人間は、何時でも幸せだと思えるのです。
人との繋がりは生きていると広がるものですし、深くもなるものです。
しかし、決して人数の多さではありません。
少ない友であっても、それを有り難いなぁと思えることが幸せではないかと思うのです。
夫との出会い、そして子ども達と出会い、これからも又生きている限り、人との出会いがあります。
あなたと出会えて良かったと喜んでくれる人の居る幸せが、あなたをより幸せにしてくれるでしょう。
誰しも持って生まれた幸せがあります。その幸せは自分の心の中にあるということを決して忘れてはいけません。
人間、どのような境涯にあっても、気づくことで幸せを実感できるものです。
ということは、気付くことが大切なのではないでしょうか。
「幸せは喜び」です。
喜びを喜びとして感じられないことは不幸といえますね。
ですが、幸せのなかにいても幸せと気づいていない人もいます。
幸せの原理がわかってくると「今の幸せを喜べない人は、何時までも幸せにはなれない」と言えます。
そして、「何が嬉しいことか知らない人は、喜びが訪れてもその幸せに気付かない」かもしれませんね。
幸せだから不幸を知らないということはないし、不幸だから幸せを知らないわけでもないはずです。
幸せだけしか知らなければ、何が本当の幸せか分かりません。
「幸せ」だと言えない時があるからこそ、『幸せ』が分かるのではないだろうか。
相反する境涯があるから幸不幸があり、それを感じることができるのでしょう。
「幸せ」は基本的に比較概念でり、他人との比較、 または自己、過去、現在、未来、想像などの 比較においての判断基準でもある。
 本当の幸せを知らない人は たとえ幸せが訪れても その幸せに気付かない。
では、本当の幸せとは何だろうか?
小さな喜びをどれだけ「有り難い」と感じることができるかではなかろうか。
人一倍恵まれた環境にいながらも、「有り難い」と思えない人もいます。
大変なご苦労をされていながらも「有り難い」といって感謝の言葉を忘れない人もいます。
この違いは何かというと心のステージが違うということです。
言い換えれば、感じ取れるという魂向上の段階の差ということでありましょう。

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