98%の信頼と2%の許し

友人

あばたもえくぼと言うが、好いたもの同士の間ではすべてを美化してみようとする傾向にあるようで、人間の心とはどのようにも変幻自在に変われるものである。

あばたとは、天然痘の水ぶくれが治った後にできる皮膚の陥没(かんぼつ)のこと。

恋する者の目には、相手のあばたでも可愛いえくぼのように見える。

つまり、ひいき目で見れば、どんな欠点でも長所に見えるということのたとえです。恋は盲目とはよくいったものだ。

『信じていたのに、悔しい、彼は私を裏切ったんです・・・・・・。』

よくよくこの女性の話しを聞いていたら『なるほど、ここまで意識を向けられたら息苦しくて逃げ出すかもしれない。』と思えるところがいくつかあった。

人間は一人ひとりの「人格者」

自ら判断して、その判断に基づいて選択、決断して、その決断したことに対しては責任をとる、そういう人が人格者と呼ばれるに値する。

右を向けといわれてただ右を向き、一人では渡らないのに、みんなが渡るから赤信号でも渡る。

大勢の部下の前で一人の部下に怒鳴り散らす。そういう人は人間だけれども人格者とはいえないだろう。

人間である限りは、あなたと相手は違いますし、私もあなたと違います。

相手もあなたと同じ考えを持たないで当たり前。「君は君 我は我也 されど仲よき」という、武者小路実篤さんの言葉があったと思います。そういう気持ちが大事なのです。

自分の価値観と相手が同じ価値観と思わないことだ。

自分が一個の個性をもった人間であると同時に、一人の人格者である時、初めて他人とも真の愛の関係に入れるのではないか。

みんな自分は自分、あなたはあなた。

私と違うあなたを尊敬する。

相手の人も、自分と違う私を尊重してくれる。

そして、その間に愛というものが育っていきます。

一人ひとりは別な存在ではあるが理解や共有、尊敬や尊重、そして愛し合える立場にある。

失恋にしても、あなたが失恋した時の淋しさや悲しさと、失恋をしたお友だちの淋しさと悲しさは違います。

しなかった人と比べたら、ある程度、理解できるかもしれないけれど、「私も経験したからわかるわ」といい切るのは思い上がりかもしれません。

親を亡くした友人に何と声をかけてやったらいいのか。ただ傍にいて手を握ってあげるしかない。

何をいったら相手が慰(なぐさ)められるだろうかじゃなくて、本当に相手を思い遣る気持ちになると言葉がないほうが良い場合があるものだ。

手を握らないでも傍にいてあげるだけでいい。『私も父親を亡くしたよ。だからあなたの悲しさはよくわかる』なんていうことはあまり安易には言えない。

自分が親を亡くして悲しかったその悲しみと、友人が親を亡くしての悲しみとは、決して同じではない。人生の機微が皆それぞれ違うからだ。

機微とは、表面だけでは知ることのできない、心の微妙なおもむきや事情のことをいう。

お互い別々の人間だから、共通するところもあるけれども、わかり切れないところもあるのです。

その意味で、人間は決して完全にはわかり合えない。

だから、どれほど相手を信頼していても、100%信頼をすることは後々ダメージが大きくなる場合が多い。その意味でいえば実は、全幅の信頼ということのなかには憎しみや恨みの側面もはらんでいる。

だから98%にしておくことがよい場合がある。

何故なら、あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておいたほうが良いからだ。

人間は不完全なものです。それなのに100%信頼するから、許せなくなる。

100%信頼した出会いはかえって決定的なダメージで壊れやすい側面を持つことになる。

これは猜疑心とか駆け引きの心を持つことではなく、余裕を残しておくことで相手との人間関係を壊さないため、あるいは最悪の状態にしないための、バランスのとれた賢い心の置き方でもあります。

「あなたは私を信頼してくれているけれども、私も万能じゃないから間違う余地があることを忘れ
ないでね」ということ。

「私もあなたをほかの人よりもずっと信頼するけど、あなたもパーフェクトじゃないと私は知っているから、間違ってもいいんだよ」ということ……。そういう「ゆとり」が、その2%にあるような気がします。

間違うことを許すという「ゆとり」、それは、友人関係、恋人どうし、夫婦関係、会社の人間関係、等々、全ての人間関係のなかにおいても大事なことです。

誤解のないようにしていただきたいのですが、決して不信感を植えつけさせる為に述べているのではありません。

それはないとは思いますが、私自身は100%信頼されたら正直申し上げてしんどいです。

私は人間です。神ではありません。巷には、『我は○○の神なるぞ!』と言っている人もいますが。

私は逃げるつもりはないが、間違う余地を残しておいてほしいし、誡実に生きるつもりだけれど、間違うこともあるかもしれません。

約束を忘れることもあるかもしれない。

そういう時に許してほしいから。

2%の余裕をいただきたい。

許すことのわずかな余裕は自分へも、相手のためにも持っていたい。

相田みつお
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