煩悩・嫉妬心と囚われ

嫉妬
いつの世も男と女であるが故に、ともに必要とし、寄り添い、ともに暮らしながらも行き違い掛け違い、傷つき、大切なことに気づく人もあれば、離れて別な人生をゆく者もいる。
人生の機微(きび)は美しくもあり、切なくもあり、また儚(はかな)くもある。
これからの季節、若葉が茂る林道を穏やかな木漏れ日と爽やかな風の流れをいただきながら生きたい。
道
 
『彼への執着を無くすにはどうしたらいいですか。好きな気持ちと憎い気持ちが心の中でグルグル回って苦しいです。彼の言葉を信じていたのに、仕事で忙しく連絡ができないとの事で連絡控えてますが、本当か疑う気持ちが出てきて気持ちがぐちゃぐちゃで苦しいです。』という若い子の話し。
何とも微笑ましくもあり、大いに悩みなさい。まさに青春としか言いようのない、顔がゆるんでしまう話しです。
彼があなたとの時間以外に仕事やその他の用事があるように、あなたも彼との時間以外の時間や世界を持ってみてはどうですか?
人は時間の過ごし方も様々で、例えば、趣味や仕事や友達との付き合いの時間などを満喫したいと考える女性なら、彼が自分以外に一生懸命になる事がある方がバランスが取れて調度よいと考える場合もあるでしょう。
疑いが無いのも淋しいかもしれませんが、仕事が忙しく夢中になってる時に色々言われるのもウザくなり冷める原因にという場合もあるかもしれません。
何か趣味や友達との時間などを満喫するようにしてみてはどうだろうか?
彼に重点置き過ぎて執着していませんか?
自分の心をどこに向けるか、どの程度向けるかでも気持ちに差が生じてきますよ。
さて、社会は相互協力のなかで成り立っているものですが、夫婦として一組の男女が共に暮らすことには、最小単位の相互協力関係という意味があります。
エゴ(自我)のままに身勝手な行動をとることは家庭環境を不調和なものにし、やがては家庭内別居や崩壊、最悪は離散の道を辿ることになるだろう。
嫉妬や悩みに振り回されている人と、嫉妬や悩みに振り回されない人の大きな違いは何かとなると、決して、知性の高さ、能力、財力、人格、年齢、健康状態などではなく、「時間の使い方」です。
嫉妬や悩みに振り回されない人達は、自分の長所(心)磨きに時間とエネルギーを費やすため、人よりなにかを成し遂げる可能性が非常に高く、それが嫉妬や悩みとどんどん無縁の人生になるのです。
成し遂げるということは、モノや金、地位、名誉、だけのことを言っているのではない。
つまり、心が広く成長しているといえば理解できるだろうか。
逆に、嫉妬や悩みに振り回され続けていれば、人生の貴重な時間を無駄に過ごすだけで、安らぎもなく、なにも自分の人生で成し遂げることはないでしょう。
そしてそれが更なる悩みと嫉妬となり増幅していくことになる。いわゆる負の連鎖です。
人間、誰しも嫉妬に心が向いているときは、心が小さな点になってしまっています。
点の心を視野を広めることで大きくすることができるのです。
時間が解決してくれることもあるものです。時間が必要なこともあるのです。
人は気づいて始めれば、決して遅いということはありません。
自分の我を通す「こうでなければ絶対やだ」とか「こうなってほしい」という思いも強く偏りすぎると執着となってしまいます。
私たちが何かに執着するのは、それを持っていたい、属していたい、一緒にいないと自分が保てない、相手のためと思う押し付けの偏り、自分に目を向けてほしいという偏った強い思い、これらがバランスを超えてしまうときに自らの苦しみ、執着となる。
失うことを恐れるから執着してしまう。人生を振り返って、自分が愚かだった場面を思い返すと、そこには必ず失う事への恐れが絡む。
または、先のことを心配して想像を膨らませ、ありもしないことへの不安感を増幅させてしまう場合もある。やはり、これも執着である。
執着心とは自分だけの幸福を望むという自分勝手な意思が働いても起こる苦悩です。
自分の小さな世界で自分のことだけを考えているがゆえに生み出しているものである。
自分の生き方をあまり考えない人は、自分の心が未熟でもあり、器としての心が狭く、周囲のことすべてが気になり、つまらない事に心を奪われて執着してしまう。
特定の事柄へ執着する思いが大きくなり心のバランスが悪くなると、肝心な事がおろそかになり、どこかにしわ寄せが出てしまい不調和が起こる。これもまた言葉や行動に出てしまうものだ。
過去の失敗や、他人に指摘されたことで自信を喪失し、その事に心を奪われて執着し前へ進めず、結果、心の成長がはばまれる。
ここで必要なのは自分に都合悪いことであっても事実は受け入れるという覚悟と謙虚さであろう。それができる人は心の器が大きく成長していくことになる。
こうしてみると依存や執着がなければないほど、相手の行動によって左右されずに済むことがよくわかるでしょう。
相手の言葉や行動に反応することは悪いことではないが、その言葉や行動に拘り、心にいつまでも止めてしまうから問題が発生するということだ。
ここで再認識しておくべきは、単なる依存心と相互協力は意味合いがまったく異なるもののだということ。
赤ちゃんや幼子は別として、大人社会では依存心の意味は一方的なものであって、相手を思う協力心や慈しみの心が欠如していることと理解していただきたい。
相互協力は相手を慈しむ心が原点であり、『これをしてやったからお礼を返してもいいだろう』では真の相互協力とはいえない。したがって見返りを望むことは相互協力とはいえない。
人生について深く考え、自分なりの正しい偏りのない生き方を持っている人は、他人になにを言われても気にしないし、なにが起きてもあわてることもありません。
執着のことを煩悩とも表現していますが、この煩悩、即ち自己都合のこだわりを減らし、やがて捨てて、心を調えることで欲を昇華し愛に変えていくことが心のステップアップにつながっていく。
きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ  にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ