孫に憑依した稲荷

稲荷神

憑依

きょうの話題は大分古い話ではあるが、私が霊的なことに関わるようになる以前に親せきで実際に起きた事件であり、名前は全て仮名にして投稿しました。

豆腐屋を営んでいた畑中家の喜一と、嫁の朝子夫婦は、まじめな働き者で早朝から豆腐の仕込みに精をだしていた。

豆腐も油揚げも味がとても美味しく近隣の評判の店として流行っていた。

そんな中で日頃健康であったお婆さんの畑中タエ80歳は急死した。急性心不全だった。

タエは晩年になってから何を思ったか急に信心深くなり、屋敷の隅にお稲荷さんを祀って商売繁盛を願い、日夜拝んでいるのだった。きっかけは知り合いの紹介で「商売をしているならお稲荷さんを祭れば繁盛するよ」という言葉に誘われて拝み屋さんに連れて行かれ、それでお稲荷さんを祭ることにしたのである。

当初、家族は反対したが、タエ婆さんは言ううことをきかなかった。

しかし、そのころからタエ婆さんは体の不調を訴えるようになり、胸が苦しいといっては病院に足を運ぶようになった。

家族の誰も屋敷の稲荷神の祠にはほとんど関心がなく、たまに訪ねてくる嫁いだ孫の秀子だけが、可愛がってくれたお婆さんと一緒に、稲荷神の祠に手を合わせているのだった。

秀子は幼いころから感受性の強い子で繊細な心の子だった。

タエの訃報を聞いた孫の秀子は嫁ぎ先から急いで駆け付けた。

自分を可愛がってくれたお婆ちゃんの死に顔を見て泣き崩れてしまった。

「お婆ちゃん、お婆ちゃん、どうして急に死んじゃったのよ。」

泣き崩れてお婆ちゃんの亡骸にすがりつき、ゆすりながら号泣する秀子の姿は周りの涙をさそった。

と、突然に秀子の様子が一変してしまった。

すがりついて泣いていた秀子の身体がスット起き上がり、みえた顔には涙がなかった。

普段はクリッとした目の秀子の顔が細目につりあがり、口がとんがり、もはや人間の顔ではない。

まるでキツネの目と口元そのものであった。

時折、顔をスット横に向けて睨み付けるようなそぶりをする。気持ちが悪いくらいだ。

泣き崩れた秀子の様子を見守っていた家族がこの異変に気づいたものの、うろたえるばかりで為すすべがなかった。

手に余した家族は、秀子のを可愛がってくれていた叔母であるサヨに電話してきてもらうことにしたのだった。

サヨが駆け付けたときには秀子は30歳という女盛りの身体のもろ肌をさらけ出し、上半身すべて裸になってあぐらをかいて座って家族を呼び捨てにしていたのであるが、かろうじて下半身だけはスカートを身に着けていた。

母の朝子と父の喜一に対して、

「朝子~、ここへきて直れ。喜一~、お前もだ~。」

秀子の両親は娘のあまりの突然の豹変に唖然として事態が飲み込めないでいるのだった。

普段から気丈な叔母のサヨが口火を切った。

「秀子。何故こういうバカなことをしているのだ。何があった?」

「おーサヨか。わしはお前など何も怖くはないぞ、お前が口出しをすることではない。黙って下がっておれ。」

「下がっておれといわれても秀子を放っておくわけにはいかないよ。あなたは誰ですか?」

「無礼者め!わしを誰だと思ってそのような口をきいておるのか。神じゃ。神じゃよ。」

「どこの神ですか?神様がこのような醜態をさらさせますか。」

「稲荷大明神なるぞ。サヨ、頭が高いぞ、下がれ。」

サヨは秀子のほっぺたを平手打ちして、

「秀子~、目をさましなさい。」と一喝した。

秀子を支配している霊は怒った。

「サヨ、お前は神に向かって何たる所業ぞ、罰当たりが」(サヨは私の母)

秀子の顔は険しいキツネの顔をしていて家族は只々怯えているだけだった。

この稲荷大明神と名乗っているものはお婆ちゃんの亡骸に泣きついてすがった瞬間に秀子の心の隙を突いて憑依し乗り移ったのである。

気丈な叔母のサヨが秀子の身体に憑依した稲荷大明神と称する者との問答を続けてはいるが、それ以上の為す術はなかったのである。

サヨは一計を案じた。

信頼する八幡神社の宮司に電話をして事の経緯を全部話し指示を仰いだのである。

宮司は、「秀子の身体を支配しているのは稲荷大明神の眷属(使い)として修行途中にある狐の霊体であるから、取りあえずは刺激しないように好きにさせて、これまでの非礼を詫びておきなさい。」というものだった。

そうしているうちに宮司が自宅の拝殿にて稲荷眷属の障りを外す祈りを奉唱してくれるということだった。

電話を切ってから程なく秀子の身体がブルブルと大きく震えだした。同時刻に宮司が眷属の霊を外すための法力を駆使してくださったのである。

寒い、寒い、そういってうずくまって背を丸くして震えていたが、間もなく秀子は気を失って仰向けになって倒れてしまった。

サヨはそんな秀子の姿をみてもまったく動じる様子もなく、毛布を掛けてあげていたが、両親はただ見守るしかなかった。

10分ぐらいして秀子が目を覚ました。すっかり普段の秀子の顔になっていた。

人間の限りない欲望

この一件で考えなければならないことは、信仰の在り方ということである。

本来は、稲荷明神の眷属であったはずの未浄化な狐霊が、タエお婆さんのご利益信仰という欲望の心の隙を突いて畑中家に居座ってしまったということ。

一生懸命拝んでいたお婆ちゃんが死んだあと、自分を祀ってくれる人がいないことに不満を持った眷属霊が秀子に憑依して自分の存在を知らしめ、祀らせ供養させようとしたこと。

こういった未浄化な狐霊は、所詮、動物てきで感情的になり、本能的欲望が強く、、起伏が激しいのが特徴であり、尽くしてくれているうちは静かだが、一旦、不都合が生じると牙をむいて災いを起こすというのが決まりパターンである。

稲荷信仰に崇拝される稲荷大明神とか、あるいは、竜神、竜王といった善神は存在する。

しかし、彼らは、動物霊達に、道を教える役職にある天使達であると同時に、その司の使命を担っているのです。
特に未熟な狐霊などは、霊的に強いものを持っているところに、神棚や神社、祠(ほこら)などで拝まれることをきっかけに、人々の心を不調和に導くことが多く、四次元世界がわからなく盲目な人間は、この修業途中にある未熟な狐霊を稲荷大明神として祭ってしまっているというのが実態なのである。
狐は、稲荷大明神ではないのだということを、私達は知らなければならない。
万物の霊長である人間が、この地上界を去って心の豊かさを修行するのだが、その環境を護持する使命を担って動物霊たちに正しい道を教えることが竜王たちの役目だといえる。
そして、それは、竜王たちにとって、最もきびしい修行所であり学習であるともいえる。
なぜなら、動物達は、感情の気性が強く、荒く、本能的で、指導はむずかしいからだ。
竜王、稲荷大明神と呼ばれている諸天は仏教でいうところの菩薩、すなわち、上段階の光の指導霊になるための修行過程の呼称である。
だが、失敗する機会の多い環境ともいえる。
何故なら、諸天善神にとっても蛇霊や狐霊達を指導することは非常に、むずかしい修行であり、この地上でいうと、約三百年近くも、きびしい環境で修行しなければならないからだ。
世間では、竜神だの稲荷大明神だとかいうと、実際は狐や蛇、竜などの霊体を指していっているが、それは誤りである。
本体は決してキツネや蛇の姿をしてはおられないということです。
人間が利益の為に利用してきたあの世の未浄化な動物霊達は、欲望に翻弄された盲目同様の人間をからかったり、また彼らも人間になりたいと思っているため、自分をアピールしたがり、当てごとに加担したり、物理現象を起こしたりと、いろいろな現象を出して気を引いてもて遊んでいる。
「コックリさん」という遊びが流行ったことがあるが、あの遊びで精神病院行きになった子どもや、大人もいること知っているだろうか。絶対にやってはいけないコンタクトです。
しかし、未浄化な動物霊達と関わり、それらを利用したりする者たちは自我我欲にふけり、偏りのない調和された人の道を失ってしまうというのが非常に多いということだ。
今回のできごとは、自分たちの努力、精進によって与えられたもののなかで幸せを感じられたら、それがこの上もない至福であるものを、目先のことに囚われた人間の限りない欲望というものが引き起こした霊障であるということだ。
タイトルには「祀った神の祟り」としましたが、本当の神は姿を見せるものではなく、まして祟るというものでもない。
災いをもたらすものは邪悪な人霊か人間の都合で祀りあげた狐や蛇の霊が多い。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ