ドキュメント・退会で得た安らぎ

登記上は宗教法人ではなく、一般社団法人という形態で認可を受け社会的には朝起き会という名称で知られている実践倫理宏正会という団体があります。
今回はこの団体に属していた会員の苦悩と、家庭内における夫婦間の深まる溝の実態をありのままに公開して皆様にも何かしら参考にしていただければと思う次第です。
尚、掲載に当たっては当事者ご本人からの、「私のような体験が皆様のお役にたてるのであれば・・・。」と、快く承諾をいただくことができました。
ここにK・A様のご厚意に対して心より感謝を申し上げたく思います。
以下やり取りの本文。(受信メールに対して私からの返信がない部分は電話による会話のため欠けてあります)
2014年4月25日  受信
私も実践倫理宏正会に入会して10年になります。主人はとても反対していましたが、私は押し切って毎朝集いました。
きっかけは良い子育てができると思ったからです。
しかし、主人は何度も入退院を繰り返してその度に辞めて欲しいと言う主人に逆らって生活をしていたと反省の日々です。
お役を全うすれば幸せになれると思い込み経済が苦しい中、仕事をしてほしいという主人の思いとは反対に頒布に出ました。
結果夫婦の溝は深まりました。
10年たった今借金がふくらみ目が覚めました。
只々主人の大きな愛に感謝しかありません。
まだ朝は集っています。昼間の活動はやめてフルタイムで働き借金を返しています。
どのように会と離れたら良いのか毎日悩んでいます。どうぞよろしくお願いします。 K・A
4月25日 返信
K・A様 こんばんは。
はじめまして。
あなたの信仰は「良い子育てができると思ったから」ということですね。
この点については親としての愛が根底にあったという意味において救いがあります。
あなたの心の中には元々、信仰に対する潜在的な欲求があったが故の行動だったのではないでしょうか。
しかし、あなたの信仰生活は正しいものではありません。
御主人の反対を押し切って集い、お役を全うすればということで頒布に出て結果的に10年間で残ったものは借金と病に苦しんでいたであろうご主人に与えたたくさんの気苦労。
「御主人の大きな愛に感謝しかありません」といっていながら何故、今でも朝の集会に行かれるのでしょうか?
感謝の本当の意味はどういうことでしょうか?
恩に報いること。
それは言葉や行動に表されたときにこそ真の感謝といえるのではありませんか?
しかし、あなたは今でも朝の集会に参加しておられるようですね。
何故ですか?
これまで関わってきた方々への義理ですか?
それともやめることが怖いのですか?
あなたは何を恐れているのでしょうか?
「どのように会と離れたら良いのか毎日悩んでいます。」とのことですが。
本当におやめになるお気持ちがあるのでしたら明日からきっぱりと退会する事を御自分の心と、一番心配しておられる御主人に誓ってはどうですか。
もし、ためらう理由があるとすれば、それは全てあなた自身の都合であり、それはそのまま業として消えることなく魂に刻まれていくことになるでしょう。
魂に業を上塗りしてこの世の人生を終えてはなりません。
何故なら、あなたもこの世に生まれる時は御自分に誓いを立てて下生したはずだからです。
「今度こそはしっかりと心を正しく調えてきます」と。
私はこれまで実践倫理宏正会に入信して随分悲惨な思いをした方々からも御相談をいただいてきました。
みなさん退会された方は、幸せに穏やかな生活をしておられます。
信仰を持つことによって自分自身は勿論のこと、家族、他人を幸せに導けるような教導なら、その教団に苦悩する信仰者はいないはずです。
しかし、現実は信者の苦悩は増すばかり、経済的な負担に苦悩し、犠牲を払い、ひたすら盲信し、自分の行っていることを正しいものと思い込もうとする愚か。
非を認めたくない心のエゴ。
こういった心がありながら「良い子育てのため」と弁解を逃げ口上にする弱さ。
自分を救えるものは他人ではなく、最終的には自分の心なのだということに気づかなくてはなりません。
あなたのこれまでの実践倫理宏正会との関わりを断つには惰性に流されてはいけません。
心から家族を思い、安らぎのある夫婦生活を希望されるなら今からでも決して遅くはありません。
どれほど立派なことを言って教導しても、信仰する人たちを苦悩させ、経済的負担の上に成り立つような信仰ならそれは邪教です。
邪教に関わっていてあなたの心に本当の安らぎがあろうはずがありません。
もう目を覚ましなさい。
あなたの心の内にある良心、神性仏性を信じております。
観童
26年4月26日 受信
観童様
早速のご返答ありがとうございました。
誰にも相談できずにおりましたが、勇気を出して正直に胸の内を話せて心軽くなりました。
見ず知らずの私に観童様の心あるお言葉に涙がでました。
主人に後ろめたい思いの日々に自分を正当化させたいという強い我がありましたこと、世間知らずで無知であったこと、何か強い恐れを感じていたことに気づかせていただきました。
今朝主人に朝起きを辞めたいと思っていることを話しました。
しかし10年の間お世話になった方へ申し訳ないという思いがあることを正直に話しました。
まだまだ今からしっかりと我をとる勉強だと思います。
私にとりましてはすごい一歩です。
私の中に間違った倫理観がマインドコントロールされているように思うので、素直になって主人に1つ1つ尋ねながら、主人に愛を返していこうと思います。
勇気のいる一歩を踏み出させていただき本当にありがとうございました。K・A
4月26日 返信
K・A様。よくぞ決心なさいました。
あなたには厳しい事もいいました。
それはあなたの心の中に純粋な善我があることを私は知っているからです。
あなたはこの善我故に信仰に走っただけなのです。
真の正しい信仰とは己の内にある善なる我を信じて生きること。
それは心のなかにある神性仏性のことです。
日々の家庭生活のなかには多くの学びがあります。
親子のやり取り、夫婦の何気ないやり取りのなかに失ってはいけないものがあります。
それが愛です。
「主人に愛を返していこうと思います。」この言葉こそが真実ですね。
愛は求めるうちはまだ小さなものでしかありませんが、与える愛となったときは広く大きな光りとなって全ての存在を活かすものです。
このことを忘れずに御主人と共に生きてください。
あなたの心の安らぎを心からお祈りしております。観童
2014年5月5日受信
観童さま
本日のお話し(5月5日投稿記事・AC・結婚・離婚・言霊の働き)に、言葉って文面でも言霊があるのかな?って思いました。
頭のいい方なんですね。でも愛を求めてるようにも感じました。
私もアル中の母に育てられましたが、いい子に育ちましたよ!
いじめも経験しまたが、いじめなかった友達がいたことに感謝でした。
私も普通に生きてる人が羨ましいとか、自分が一番不幸だって思ってる暗い時期がありました。
自分がこの世に生まれてきた使命はなんだろう?
子供をわたしと同じ思いをさせたくないと宗教にのめり込んだ10年も、先日観童さまに背中を押していただいたお陰様で、普通の生活の幸せをとりもどしつつありまます。
先日は本当にありがとうございましたm(_ _)m
私にはとてもとてもその方のお心を察する事は出来ませんが、お幸せをお祈りします。*・゜゚・*:.。..。.:*・’(*゚▽゚*)
観童さまお体に気をつけて頑張って下さい来週もブログのアップを楽しみにしております(*^_^*)
K・A様
こんばんわ。コメントを下さってありがとうございます(^.^)
こうしてあなたからメールを頂けること、とても感謝しております。
そして、「普通の生活を取り戻しつつある。」という言葉に何よりも喜ばしく思っております。
また、「アル中のお母様に育てられましたがいい子に育ちましたよ。」というお話しも、
たくさんの拍手をして差し上げたい気持ちになりました。
私ごとですが、あなたと同じように、私が物ごころついた時は、父が酒乱で母を追いかけまわして暴力を振るっていました。
5歳の頃には父親の前に立ちふさがり母を暴力から守ろうとしていたことを絵に書けるほど心に鮮明に記憶しています。
最悪の家庭環境でしたが、私もあなたのようにではないですが、何とか今の自分になることができました。
年を重ねるほどに親には感謝の心しかありません。
私からみたK・A様は愛に溢れた素晴らしい方だと思います。
いつまでブログをアップできるかわかりませんが、できる限り継続していきたいと思っております。
またK・A様のようにコメントを下さるかたがいることで気持ちも新たに励みとなります。感謝します。観童
電話で会話のため文章無し
2014年5月14日 受信
貴重なお時間(電話での会話)をいただきまして、本当にありがとうございました。そうだったんですね。
そういえば以前、お坊さんだったか、見えないものがよく見えるという方が、一度だけ会場に来られたことがあり、ここは邪念や霊がたくさんいすぎてとても居られないとすぐに帰った方がいました。
心がクリーンと言っていただき本当に良かったと心救われました(*^o^*)
主人は元々飾りっけのない素朴な優しい人でした。
いつもいつも家族の事を思って周りの人の事を考えて行動する人柄でした。
それがいつの間にか、怖い人になっていき、子供たちも怯える時もありました。
それもこれも、私の間違った心の気づかせだったんだと心にストンと落ちました。
主人は私にとりまして、本当にかけがえのない存在だったんだと改めて、観童さまのあたたかいお言葉にふれ、心から感謝が溢れて涙が出ました。
主人が心からくつろげる「ホっと」できる家庭になるようにさせていただきたいと心から思いました。本当にありがとうございました。
これから、本物の調和の心を磨いていく人生を歩もうと前向きになれました。
私は25年間美容師の仕事をしています。人に直接触れる事で、その方の波動を感じやすく体調を崩すことも度々あります。
(お客様はあなたにやってもらったら身体が軽くなったわぁ~~!次は指名するわね♪)と喜んでもらえるのは嬉しいのですがくたくたになり過ぎてお役に立てられた事を素直に喜べない時も多々ある未熟者なのですが。。。
観童さまも奥様おすすめで行っておられるとブログでお話下さったカットハウス的な短時間のお店です!
私の勤めている店はパーマもカラーもありますが、忙しい店で1日100人は来店されます。
改善として常に自分の波動を高める努力をしています。
観童さまの言われます、心の在り方をきれいに正しく受け入れることや鏡として自分を見ることなど。
でも、まだまだ自分をわかっていない未熟者で毎日修行です。
観童さまも人に触れられるお仕事をされていらっしゃいますが、どのようにご自分の体のケアをされておられますか?
いや、いや、今の観童さまの境地にはとてもおよびませんので(>_<)
観童さまのお若い時に心がけていたケアなどありましたら、よろしくお願い致します。(お時間のある時でかまいません)K・A
2014年5月31日受信
観童さま実践倫理宏正会をやめてから一ヶ月たちました。
10年間朝起き会に毎朝5時に集っていた私は、普通の価値観が取り戻せるまでにどの位時間がかかるのか、とても不安でした。
朝起きてから会場に足を運ばないことに罪悪感を感じなくなり人と接してもその人を裁く心がなくなり、穏やかに日々を送れている今に観童さまのあたたかいお心に感謝しております。
それまでの私は、朝起き会は、宗教ではなく正しい倫理観の教え、正しい生活生きる筋道を学べる場なのだと思って毎朝勉強しておりました。
そして、会に合わせることが自然の摂理にそった生活であるという教えにそうなんだと思い、主人の反対も全く聞く耳を持たず子どもと一緒に集いました。
子どもがいい子に育つと何の疑いも持たず盲信しました。
主人からは、朝起き会をやめてほしいと何度も言われその度に何にもわかってくれない主人だと、主人を責め、また実践が足りない自分自身を責め、家庭の中は暗くなり子ども達にもとても嫌な思いをさせていたと思います。
子ども達が集ってくれていたのは、母親の私を喜ばそうと健気に思っていてくれたからで、朝起き会が良かったからではなかったんだと、今では思えます。
主人は、この10年で何度も体調を崩し入退院を繰り返しそれでも、離婚せずにいてくれたのは、父親として子どもへの愛情の深さとこんな私にも愛情を持っていてくれた優しい人柄の主人に感謝しています。
きっぱりと辞める決心がついたのは、会に疑問を思いながらも集っていることを誰にも言えずに悩んでいることを勇気を持って打ち明けさせていただき、観童さまに(主人に感謝していますといいながら、ご主人の嫌がる朝起き会に何故今でもつどわれるのですか?)とご指摘いただき、決心がつきました。
それから様々な方から『やめたら、主人が地に落ちる』的な言葉や『子どもの受験が心配』などの言葉でしたり、又仕事場に親子でお客さんで来て、子どもさんがフロア中に聞こえる大きな声で、『K・Aさんは朝起き会のホープだぁー』など叫び(その子どもさんは精神科に通われており悪気はなかったと思うので子どもさんの心を傷つけないように、落ち着いてなだめました。)盲信しておられる方からの言霊に私自身がしっかりと毅然とした心でおられるかが課題でした。
この一ヶ月間観童さまのブログを何度も何度も読ませていただき、その度に心を調和し、なんとかクリア出来ました。
今朝も早朝から、私が辞めたことを知らない方から月末報告書の提出依頼の連絡が入り、私はやめましたのでと何の躊躇もなく返信出来たので心の整理がついたんだと気づき感謝のご報告をと思いました。
主人はあれから少しですが早く帰宅出来るようになりました。
でも仕事はハードな様で毎日クタクタになって帰りますが、先生のお陰様で以前のように寝ている時にあーとかうーなど叫ぶことはなくなりました。
本当にありがとうございました。
以前、言っていただきましたブログへのアップのお話今なら大丈夫です。どうか悩んでおられる方のお役にたちます様に。K・A
 
5月31日 返信
K・A様。こんばんは。
あなたからの御報告のメール拝見いたしました。
朝起きて会場に足を運ばなくなっても罪悪感を感じなくなったこと。
人を裁く心が無くなり、穏やかに日々を送れていること。
あなたが実践倫理をやめたことを知らない方からの連絡に対して何の躊躇も無く「私はやめましたので」と返事ができたこと。
こんな喜ばしいお話しはありません。
どれほ御主人やお子さんたちが安堵しておられることでしょか。
そして無理のないお母さんの姿にどれほど嬉しさを感じておられることでしょう。
特別な信仰がなくても人間は普段の生活の中でも気づかされることがたくさんあります。
そして学ばされることが多くあります。
不思議なもので、信仰生活は組織的になればなるほど真理とかけ離れ、素直さが失われ、競争意識が溢れてきたり、嫉妬や中傷が行きかうようになり、業の集合体と変わっていく傾向があるものです。
そしていつの間にか本来もっている優しさ、慈しむ心、思いやり、穏やかな愛という人間らしさを見失ってしまうのです。
しかし、あなたは自分の過ちを素直に認めて悔い改めてくださいました。
このことはどれだけ勇気がいったことでしょうと考えれば、無条件にあなたの思いと行動に感嘆と称賛の声を掛けたく思います。
「持ち物が少なければ少ないほど多くを与えることができる。」
おかしな話だと思われるかもしれませんが実はこの論理のなかにこそ愛の本質があるのです。
人間は物をたくさん持つとそれに反比例するように心見失いやすく、貧しくなる傾向があります。
反対に物がなければそれだけ心をもって尽くすようになります。
少ない食料をお隣に分け与える貧しい国の人々の行為にもそれがみてとれます。
この言葉は、何も物に限らず、心にも余分なものを持たないで軽くすると正しい愛を与えることができるという解釈ができるのではないかと思うのです。
いわゆる業とか自我とか、エゴとか欲とかいう煩悩のことでしょうか。
あなたはもう大丈夫です。
よくぞ決心してくださいました。
そして本当の感謝の意味を悟ってくださいました。
あなたと御主人と子どもたちの健康と安らかな幸せを願わずにはいられません。
神よこの御家族に愛の光りをお与えください。
そして心に安らぎをお与えください。
観童 合掌
感謝 
6月9日(月曜日)は『憑依はどうして起こるのか』を投稿予定しております。
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