神社参拝で業が消せるという話し
パワースポットビジネス
パワースポットに関する開運のメリット(ご利益)を説明することから始まり、その一貫として神社に参拝することで自分の悪い業を消すことができるという。
聞く人によっては非常に興味というか関心を引くようなキャッチフレーズでPRすればそれに乗る人もいるのだろうか?
こういった広告やサイトを見る方のなかに、何かしら悩み苦しみを抱えている人、いろいろと良かれと思うことをお金も使い試してみたが何ら好転していない人にとっては、自分も悪い業を消すことが叶うなら行ってみたいなという気持ちが湧き出ることもあるかもしれません。
わくわくして興味をそそるような文章から始まり、最終的には、期待する気持ちまで駆り立てる内容でアピールすればその気にもなるでしょう。
「私が紹介する神社に参拝すれば業の解消が可能となります。」
「私の指定する日時、参拝時の願い事に関する言葉は私の指定する内容で口上すること」
「詳しい内容を知って業を消したい方は以下のボタンからクリックしてダウンロードしてください。」
「決済は銀行振り込み、入金確認次第ダウンロードできます。通常は29800円ですが今回は特別、サイト訪問者限定で先着20名に限り19800円で全ての内容をお分けします。」
おおざっぱですが、こういう流れで集客したらあなたは飛びつくでしょうか。
「とんでもない、私はそんなものには引っ掛かりませんよ。」という声が聞こえてきそうです。
実はこのような話しに乗った人がいましたが、結果は何も変わらずお金を散財しただけのことでした。
今の時代、ネット上でのビジネスは良くも悪くも進化していますから集客の為のホームページ、ブログのノウハウも相当手が込んだものが公開されるようになりました。
さて、神社に参拝すれば業を解消できて本当に運気が上がるのだろうかということです。
先ず、神社に参拝することの意味を参拝する人自身がどう考え、理解しているのかということを確認する必要があろうかと思います。
何事もそうですが、同じことを行っていても、それを行っている人の心の内で何を考え、思い、取り組んでいるかによって、途中経過や、後々の結果がまったく違ったものになってくるものだからです。
例えば1、「何としても宝くじで五億円を当てたいから宜しくお願いします。」といってお賽銭箱に百円をポンと投げ入れて参拝する人。
例えば2、ひとつの商売を起業するときに、
「この仕事を立ち上げて社員たちには福利厚生も整え、働く若い人たちの将来に役立つことができれば、それが社会にも貢献できるかと思います。
だから是非ともこの仕事で成功するよう自分の努力は勿論ですが、何卒、神様のご協力を頂きたくお願いにあがりました。」
こういう志をもって、お百度を踏み、真剣な決意で仕事に臨む人。
読者の皆さんが神様の立場なら、上記の1、2のどちらに協力をしたいと思うでしょうか。
参拝する神社にもし神様がおられるとするならば、神様の意に沿わない意思をもって参拝することは全く場違いな窓口に行って口上を述べるようなことだと思うのです。
誰も市役所の市民課に行って宝くじの当選をお願いをする人はいないでしょう。
しかし、これに近いことを日本全国の神社では行われているのです。
もっとも神社そのものが観光化やビジネス優先化して万屋(よろずや)になって、様々な願い事が成就するというように霊験あらたかだとしていることもその理由、一因ではあると思います。
神社に詣でることの収穫
神社に行くと何がよいのかといえば、参拝して自分の業(心の良くない癖、エゴ、拘り、執着)が消えるということではなく、その神社としての霊域が清浄で高次な波動を放っている所ならば、安らぐ気持ちで満たされるであろうし、心洗われる想いをも実感できるというところにあると思います。
そういった経験が私たちの心にとって、普段の生活の中では味わえない貴重な感覚を養ってくれるし、神仏と向き合う精神性を修養してくれる切っ掛けになると思うのです。
但し、神社とはいってもただ単に観光化して人間の出入りが多いだけで、有名な神社とは言っても実際に参拝してみると、境内も奥の院もそこで祭祀しているという〇〇〇之大神様の高次な波動すら感得できず、逆に邪気に満ちている境内もあります。
ですので、一般的にはそういった区別がつかずに、有名できれいに作られた建築物や周囲の環境だけをみて素晴らしいと判断する場合が多いかもしれません。
大切な事は、参拝したときに自分の私心のない感性でもって何を感じるかです。
先ずは出向いた折には礼儀をもって参拝しなくてはなりません。
このことは人間社会のなかでもまったく同じことがいえると思います。
誰かと連れだって訪れた場合などは特に、おしゃべりしながら境内を歩いていたのではその神社のもつ神聖な空気も目に見えない高次な波動も感じることはできないと思います。
心静かにゆっくりと謙虚な姿勢で参拝することで高次な波動と自分の心の波動が一致して感じるものがあるはずです。
先ず最初に、鳥居の前中央より少し左よりに立ち止まり、一礼して心で挨拶をします。
なぜ通路の中央より左かといいますと、後ろから来る方が右側を通過しやすくする為でもあります。
挨拶は、「〇〇市に住んでおります佐藤太郎(仮名)と申します。きょうは是非こちらの神社をおたずねして神様にご挨拶を致したく出向いて参りました。作法も何も分かりませんので、ご無礼がありましたらその点は何卒お許しください。」とこのように申し上げてから通路の左寄りを歩くのがよろしいでしょう。
こうして素直で謙虚な心で参拝するならば、その心は神社で祭祀されているところの神霊(唯一神の下の神格をもつ、人間としてこの地上に生まれない自然霊)に通じ「うん、よくぞ参った。」と親心で見守ってもらえるような縁ができるかもしれません。
人間の業というのは、今はやりの言葉でいうなら、ネガティブな思考です。
心の良くない癖の部分であり、私はそれを心の傾向性と呼んでいます。
こういった心の傾向性というのは相当な決意と勇気と努力をもって継続していかないとそう簡単には修正できるものではないということを私自身が実感しておりますし、これまでいただいた相談者たちも最終的にはそのことでご苦労されているのです。
正直なところ、神社に詣でたからといって「はい、調いました。」というようにはいかないでしょう。
それはあなたも十分に理解できるかと思います。
神社という一つの霊域に身を置くことでその清浄な霊域からクリーンなエネルギーを頂くことは、自分の心身の波動を高めるという意味で有効だと理解しています。
うまい話には気をつけなくてはなりませんね。
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