供養
秋のお彼岸は9月20日~26日までの7日間ですが、もうすぐです。
春の御彼岸、お盆、秋彼岸、お正月という行事が近付くと、決まって何かしら原因の特定できない、体調が悪く辛い思いをする人もがいます。
その人たちは毎年、毎年そういった時期が来ると何故そうなるのかは分からぬままですが、この辺の事情を霊的な視点から述べてみましょう。
あの世の人たち(霊人)は、自分が生前に行ってきた通りの行動をあの世にいってもまだ続けようとする人もいますし、子孫にも自分への供養を期待する、魂ステージの低い霊達もいるのです。
古来の伝統によって成されてきた供養の習慣を私たちが行うことによって、またそのことをお盆や彼岸、お正月などの時期に意識することによって霊界の故人、先祖たちも同調し騒ぎ出すのである。
このような霊波動が地上で生活する敏感な人の場合は、身体のさまざまな不調となって表れるから辛いということになってくる。
したがって、そういう人を浄化してやると、これまでの辛い身体症状がスウーと抜ける。
霊界の住人達は、良くも悪くも、この世の人間の想念、意識のあり方によって影響を受ける存在であるということを知っておかなくてはならない。
丁度この時期でありますから、きょうは供養について少し霊的な視点から述べてみましょう。
供養というと、昔から仏とか、先祖の霊に物を供える、お香を焚く、読経をするご法事をすることのように思われ、そういう習慣を行ってきていますが、本当はこれでは供養にならないのです。
供養の意義は「先祖の霊よ安かれ」とする子孫の祈り心でなければならないからであります。
物を供え、それでよしとする考えほど安易なものはなく、真の供養からほど遠いものはない。
私たちが現在こうして肉体を持って生きていられること自体、親、その親と、それぞれの先祖が私たちを生み育ててくれたからであり、それに対する感謝の心は、報恩となって形(行い)の上に現われてこなければ意味がありません。
どこの親も、子どもが健やかに暮らしていればそれを最大の喜びとするのが人情ではなかろうか。
ということは、このブログを読んでくださっているあなたがあの世に行った場合、あなたの子ども、孫たち、すなわち子孫が心身ともに健やかに、幸せに生活している姿をみたならどれほど喜びであり、安心の境涯になれることでしょうか。
子孫の祈り心という供養の真意はそれゆえに、生前、学びもぜず、理解もしていない哲学的な経文の読経をすることではなく、物を供えるということではなく、まず家庭の和合、調和にあるといえる。
人間の霊魂は、死という肉体機能の停止によって、あの世で生活をはじめます。
世間の人は、肉体が灰となれば人の魂まで無に帰すと思っている人もいますが、それは間違いです。
人間の予知能力、天才児、霊の存在についてなど、その例は枚挙にいとまがないし、こうした諸現象は程度の差こそあれ人間である以上誰しも備わっています。
また知ることも出来ます。
こうした諸現象は、すべてこの世の人の心と、あの世の霊とが作用しておこるものです。
魂の永遠不滅と、転生輪廻ということも単に人間の願望としてではなく、事実として存在するのです。
あの世は三次元ではなく、四次元以上、多次元の世界であり、それだけに、普通はある人には認知できても、ある人には全然わからぬということもあり得ますが、だからといって否定できるものでは決してないのです。
法事で物を供えることは、本来、気安めにすぎませんが、死ねば無になると思いながらも、物を供えるその心を省みたり、確かめたことがあるでしょうか。
家庭の和合、調和が先祖の最大の供養という意味は、あの世に帰った先祖の霊が、その子孫の家庭をたえず見守っており、もしも先祖の霊が地獄に堕ちて自分を失っていたとしても、子孫の調和ある家庭をながめることにより、己自身の不調和を改め、その霊をして昇天させる原動力となるからであります。
つまり、親や先祖の霊達に安心していただけるような生き方を示すこと、実践することです。
子の幸せを思わぬ親はないはずです。
しかも、その子が親より立派であり、家庭が円満に調和されていれば、親は子に励まされ、その子に恥ない自分になろうとするのは人情ではないでしょうか。
あの世もこの世も、人の心に少しも変わりはありません。
もちろん、なかには例外がありましょう。
生前の心の不調和とその行いによって地獄に堕ちれば文字通り苦界にあえぎます。
類は類をもって集まるの喩で、その霊は自分と同じ思想、価値観、考えを持った人に助けを求め、いわゆる、憑依作用となって人の体、実際には意識に憑いてしまいます。
邪悪な宗教団体、カルト教団に属している人が、同じ宗教に入信していた故人に憑依される事例があるのはこういう事情があるためです。
すると憑かれたその人は、言動に感情の起伏が強く現れたり病気をしたり、精神的な疾患に陥ったり、自殺したりする場合もあります。
意外と思われるかもしれませんが、霊的な場として大変なのは精神病院、次に心療内科です。
特に精神病院の場合は、看護師さんたち自身が精神疾患に陥っているケースが多々あり、相談にみえる方もありますし、実際に精神科に勤務する看護師さんたちの告白でその実態を知ることにもなりました。
それと、本来秘密裏になっている精神科の医師の自殺者が間々見受けられることも霊的な視点からは無視できない重大な事案であります。
医師自身がよほど心の調和を図っていないと未成仏な霊たちによって徐々に蝕まれていくでしょう。
これらの原因は不調和な地獄霊たちの霊波動、及び、憑依による悪影響そのものである。
地上が調和されると、あの世の地獄も調和されます。
あの世とこの世は、いわば相関関係にあって、個々別々に独立して存在するものではありません。
先祖の供養というものは、このように、まず個々の家庭が調和されることであり、調和こそ最大の供養ということを知って頂きたいと思います。
とある会社の社長さんが社内の問題を相談に見えたときにたまたま話の流れから話した。
「家内はよく気がつくし、我が家の仏壇の給仕もよくやってくれています。先祖を大事にするという意味ではしっかりやってくれています」と。
それはそれで良いことではありますが、しかし、その奥様がなぜ会社に顔を出した時に特定の女性社員に対し辛く当たり、且つ、嫉妬に狂った言動をして社員からも不信感を買い、専務である息子からも注意をされるような非常識なことをするのですか?
先祖を供養しようという気持ちが本物ならば、会社の人間に対して心をくだき、人間としての良識ある行動をするのが役員としての奥様の立場ではないのですか?
愚かな嫉妬によって会社の空気を乱している人間が、先祖供養かなにかわかりませんが、因習のままに仏壇に水を上げようが、お香を炊こうが、そんなことはどれほどの供養にもなりませんよ。
と、厳しい言葉であったでしょうが70代という人生の先輩でもあり、地位もある方に進言させてもらったことがあった。
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コメント一覧
ある社長の奥さんのお話ですが、奥さんの供養は、実は形式的なものになっているのかもしれませんが、社長自ら「よく気がつく」と評価しているので、奥さんは、根は細やかな良い方なのではないでしょうか?それが何らかの理由で、非常に嫉妬深くなる…。もしかしたら、社長さんが奥さんに対する態度に、どこか不誠実な可能性はないのでしょうか? 本当の意味で、奥さんに感謝しているのでしょうか? ちょうど、奥さんが、先祖供養をしていても、本当の意味で「他に対して優しい」とは言えないように…。
tom様
いつもコメントをくださり、ありがとうございます。
「供養」の記事に掲載した件の奥様のことですが、
実は社長さんが言う「よく気がつく」という話しは、社長さんが日頃できない仏壇への給仕についてのみのお話しであって、実際には私生活においても浪費や、金に対する貪欲など、あるいは会社における言動には目に余るところが多々あり、その詳細についてはとてもブログ上で公開できる内容ではありませんので割愛した次第です。
人間は、本来、悪な心をもって生まれてくるのではなく、何かに囚われ、拘り、執着したりすることで心を汚していくだけのことだと思うのです。
tomさんがいうように、社長さんの奥さんに対する態度、行動、言葉、不誠実などに根本的な嫉妬の原因があるのかもしれないと思うのも十分理解できます。
失礼かもしれませんが、とても鋭い洞察力に感心しました。
それと併せてといいましょうか、それ以上の根本的な原因といったらいいでしょうか、奥様自身の魂の癖、すなわち、業(カルマ)に引かれた言動によるものだといったほうが大きいのでは思うところです。
実際の面談では、今後の奥様への対処、ご夫婦の会話、相互の信頼関係を見直すようお話しさせていただいた次第です。
貴重なご意見をありがとうございました。
観童