易占いと正しい生き方


易、占い、運命鑑定、タロット占い、四柱推命、生命判断など、これらと人間の『正しい生き方と法則、秩序』との関係をどのように受け止め理解したらいいものか。
きょうはこの点について考察してみたいと思います。
先ず、易、占いと正しい生き方、人生の秩序、法則とはまったく関係が無く別分野であることをお断りしておきます。
易とか占いはどのようにして生れたのか、といえば、その原点は人間の幸せを求める為だったと思います。
人にはそれぞれに運、不運があり、明日の生命すらわからないのですから、易や占いによって、開運と誤ちの少ない人生を送りたい、と願うのは人情であり、仕方のないことだろうと思います。
しかし、易、占いは元々、過去の統計を基礎にして作り上げられたもののようであり、これをみたてる人の条件と、相手によって、その結果が違ってくるようです。
そのために、古来よりある言葉のように『確率七分』というような平均値がでてくるようです。
もっとも、人によっては、外れたことはない、と自信を持たれる方もあるようですが、しかし、当たり外れがあること自体が、易、占いの限界点を示すと同時に、易、占いが現世のみを基本に置いて『ものをみたてる』ことにも、確率高低の原因があります。
人が現世に在るのは、前世があるからであり、輪廻転生の歴史があるからです。この点は変えようのない真実です。
したがって、この事実を知らずして、過去世を考慮せずに、現世だけの運、不運のみを見立てようとするところに無理があるのです。
人の一生がこうした、占いや生年月日、生命判断などによって決められ、あるいは、変えられるとすれば、あまりにも人生そのものが粗末なものといえるし、いったい人は何のために生れて来たのか判断に迷います。
ことに、占いの目的が、人間の幸福を求めることはよいにしても、不幸を避け、常に安楽のみを追求するとすれば、問題は非常に大きくなるでしょう。
正しい生き方、秩序、法則からみた人生の旅は魂の研鑚、修業です。
これが宇宙秩序と法則のなかにおける人間の生きる目的です。
人生は己の魂を磨き、苦楽の執着から離れて、この地上に争いのない楽園をつくるためのものでしょう。
人間が過去も現在も未来も変わらぬ宇宙の秩序と法則のなかで存在できる事実を信ずるならば、こうした易や占いに一喜一憂して迷ってはならないと思います。
何故かといいますと、人生における絶対的不変の法則は、易、占いの域をはるかに超えてゆくものだからです。
『今月の方位は西南であって、東は鬼門にあたる。今年は厄年だから静かにしていよう。星占いからみた生年月日は青信号だから何をしてもよい』といって無茶をして取り返しのつかないことになった人もいる。委ね過ぎた結果であろう。
というように、易や占いは自己都合の御利益的な色合いが濃く、結果的に自己保存をつくりあげ、開運の名の下に、人は多くの執着を心の中につくり重ねてゆくことでしょう。
人間の一生は平坦ではありません。山あり、谷ありで、できれば難を避けたいと思うのは当然のことです。何も好んで難を受ける必要もないからです。
しかし、だからといって、開運に執着しますと、今度は不自由な人間ができあがります。
『ああしてはいけない、こうしてはいけない』では、そのうちに開運のための占いが、不運を招く原因をつくってゆくでしょう。
ここで重要なことは、人の目的が魂の修業とするなら、生年月日、占い、タロットなどで悪い!という結果が出ていても、必要があれば、あえて決行しなければならないこともあるわけです。
それを恐れては魂の練磨はできません。
逆境をチャンスと捉えて、失業した人が、新たな職場に就けるチャンスだと就職活動をしたことで素晴らしい会社に就職の出来た方がいます。
何が彼に好結果をもたらしたか、それは『新たな会社に就職できるチャンスだ』と受け止めて前向きに生きる彼の目が輝いていたのを面接担当者がしっかり見逃さなかったからです。
これは後日談として人事の担当者からご本人に知らされたということです。
一方、私の場合は、世間でいうところの42歳の大厄でマイホームを建築しました。周りの人は『厄年だから』と反対しましたが、当の私は今が自分にとって最大のチャンスだと決心したのです。
その決心まで3年間の準備期間をかけて計画し、準備して実行に移したのです。
勿論、何も悪い事は起きませんでしたし、逆に良い方向に向いている実感がありました。
やはり厄年は年齢的に身体の節目であるというだけのことで、様々な思想や儒教などの影響もある迷信にすぎないのです。
魂を磨くと言うことは、幸運なときよりも、不運なときこそがチャンスであるはずです。
正しい生き方には必ずや、それに相応しい結果が表われてくるものです。
正しい法則、すなわち『偏りのない調和した生き方』を信じて正道を歩むならば、天の光りはその者の心に満ちあふれ輝くでしょう。
また不運さえも楽に乗り越える、勇気あるspirit(スピリット精神、霊)を得ることになります。