現世と来世の相違
あの世があるだろうかという疑問に対し、『この世だけだ、死んだらおしまいだよ。何もないよ。』と思っている人も多い。
ただ生命の永遠は肉体子孫を通して保存されるので、そういう意味での永遠性を肯定するという考え方が殆どのようだ。見えないものは信じないという考え方が背景にある。
このような人々は唯物的な考え方に支配され、正しい生命の転生を知っていない人達だと
いえよう。
確かに肉体は親から、先祖からいただいたものであるが、先祖が魂・心まで与えたとしたなら、なぜ同じ母親から生まれた兄弟姉妹が財産問題で争ったりするのだろうか。
親と子の不調和な対立が起こり、あげくの果てに殺し合いまでに発 展するのだろうか。
子供が親の心と同じならば、世の中にはよくある例だが、 親の思っていることすべてを理解し親不孝などしないだろう。
親ができなかったことを、子供に託し、勉強勉強と自分の分身の様に教育する。
その子が親と同じ魂・心なら、なぜノイローゼになったり、親不孝をするのだろう。
そしてあれだけ面倒を見てやったのに裏切ったと愚痴をこぼす親がいる。
私はこのような説を信ずるわけにはゆかない。
両親の縁によって人生航路の肉体をいただき、育ててもらったが、親は魂・心まで与えたのではないということだ。
子供は子供としての個性を持つ。ましてや心まで一つだ、なんてこともないのである。
親子は、たがいに話し合って理解し、通じ合うものである。
親として淋しいだろうが、これが現実であり、子供は子供としての人生を、そして新しい自己完成への学習の場として現世を選んだのである。
すでに次元のちがったあの世でお互いに約束したことを忘れているだけなのである。
心の仕組みやその働きを良く理解し、偏りのない生活をすれば、人間はその事実を知ることが出来るのです。
心の問題は、多分に主観的であり、経験のない場合は理解しにくい面が多いと思う。
しかし経験がないからといって、これを否定することは、科学する現代人にしては正しい態度ではない。
古来から多くの聖者が、普通の常識では考えられないような奇跡、徳行を実践し、衆生を救ってきた。
右の頬を打たば、左をも向けよ、といったイエス・キリストの心情は、現代人には容易に理解できないだろう。
この言葉の真意は、ただ単に、非暴力や無抵抗を言っているのでも、犠牲的精神を訴えているのでもなく、相手に自分が何をしているのか気づかせるということの大切さを教示しているものでしょう。
その根底には、どのような弾圧や迫害にも屈しない、人類に対する深く広い愛があるからである。
一方、モーゼの大奇跡は、今日では神話の一つに数えられ、学者によってはモーゼを架空の人物としか扱っていない人もあるようだ。
また、仏陀の悟りについても、語りつがれた創作のようにみている人もおり、理解できない事柄は、すべて捨ててしまうようである。
今日、残されている文献の多くは、虚構と真実が入り雑り、真偽の判断がつけ難くなっているが、三次元的理解を超えたこうした徳行、奇跡というものを考えたならば、三次元以上の高次元の作用のあることを推量することができると思う。
三次元の現世の肉体に乗っている時は、私達の意識は、通常10%くらいしか表面に出ていないために、一寸先がわからず、盲目の人生を歩んで苦楽を体験することになる。
しかし、肉体舟から降りている時(眠っている時や、心が調和されて魂が肉体から離れている時)は、次元の違った世界に行っているため、私達の肉体の付属品である、眼、鼻、耳、舌、身の五官の作用は、人それぞれそれによってちがうが、外部からの振動には全く無関心であろう。
したがって記憶すら働いていない、といってもよいであろう。
記憶がないということは、一切の記憶は決して私達の脳細胞の中にあるのではないという
ことであり、肉体の船長さんである意識、すなわち魂ということになろう。
どんな喜怒哀楽があっても、眠ってしまえば、その時は忘れている。
これは三次元の肉体から離れ四次元以降に魂が移動しているために、各人の意識の90%が表面に出、10%が潜在して、はっきりと現象化して来ないからといえるだろう。
就眠は肉体と意識、つまり肉体の生命が人生航路の修行に耐え得るために行なうものである。
これは光の線、すなわち霊子線のようなもので、四次元以降多次元の世界にコンタクトされ、その光の線を通して、魂があの世である実在界(四次元以降)にかえっていくことなのである。
死は肉体が人生航路に耐えられなくなった時であり、肉体と意識を結んでいる霊子線は完全に切断されてしまうものだ。
二度と肉体を支配して三次元空間で活動することは不可能である。
船長を失った肉体舟は次第に朽ち果て、大自然界に還っていく。
一方、肉体を離れた魂は、四次元の乗り舟である光子体ともいうべき精妙なボディーを持っている。
生前における私達の原子肉体は、この光子体と共に生活しているのであるから、死は両者の訣別といってもいいわけだ。
私達の心の在り方によって、私達の意識は四次元以降多次元の世界にも通じるし、反対に、同じ四次元でも、非常に暗い世界にも通じてしまう。
慈悲と愛の心で人々に接している魂は、光のあふれた多次元の世界に通じ、自己保存、自我我欲の強い人々は、心が暗いスモッグによって覆われ、光をさえぎってしまうために、後光(オーラ)も暗く、苦しみ悲しみの中であえぎ、地獄界に通じている。
あの世の地獄界は、餓鬼、阿修羅、畜生、煉獄、無間地獄というように、恐ろしい世界である。
美しい心の状態によって、非物質的な精妙な霊囲気をつくり出している天上界は、この世の三次元の不安定な固体的天体の地球を包んでいる。
地上界に住んでいる人々の心と行ないが中道の調和された生活であれば、地球は、さらに光明化され、ユートピア完成の時期が早まろう。
地上界の人類は永い歳月を通して、混乱した闘争と破壊の業をつくり出してきたが、これまで非常に多面的であった思想も、社会主義と資本主義の二極にわかれ、ようやく調和への光明に向かって、進んでいるといえよう。
ある意味では、現在の混乱した社会は、人類が体験しなくてはならない業といえよう。
いずれにせよ、経済力、権力、武力によって支配しようとする人々の多くは、たとえ一時の支配はできても、人間本来の神性仏性である心の自由を支配することは出来ない。
人間の生活環境の経済的ルールが変わっても、やがては自由平等の、人類は皆兄弟という慈愛の心が平和な世界国家を完成して行くであろう。
人類はそのための厳しい学習を体験しているわけである。心のない思想はいたずらに、社会を混乱におとし入れ、人心を迷わせ不幸にするだけである。
心まで腐ってしまった思想家とその実践者は、最も厳しい煉獄地獄でその間違いに気がつくまで修行する。
その修行を他に転嫁することは出来ない。
この現象界(3次元)は、無から有を生ぜしめることは不可能なことである。
有から縁によって有が生ずることは、3次元世界において崩すことの出来ない現象であり法則だ。
私達の五官で感じないから無いという考えは、非常に愚かしいのである。
人間の生活の知識によってつくり出された物質文明は、公害という副産物を蒔き散らした。
大気の中に、窒素酸化物や硫化物その他の光化学スモッグという生物生存に危険な毒物をつくり出してしまった。
私達の肉体も両親の縁により、またその魂も次元の異なった世界において、因を結び、その縁生によって、この地上で有から有が生じたのである。
エネルギー不滅の法則も、質量不変の法則も、まったく有から有が生じ、その有が形を変えて現象化するに過ぎないということを示している。
私達の心と行ないについても、同じことがいえる。
苦しみ、悲しみ、喜びの原因は、すべて、五官と心がつくり出したもので、無から有が生
じるものではない。
想念は、現象を生み出す能力を持っているからである。
肉体的、精神的な諸現象は、そのために相互関係にあるということだ。
仏教でいう色心不二という意味を思い出して欲しい。
両者は別々には存在していないし、相互に関係し合いながら、現象を造り出しているわけである。
現代医学の殆どが肉体的条件だけを追究して一切の病気を治そうとしている。しかしそれは誤りである。
現代物理学の分野はすでに一つのある大きな壁にぶち当り、アルベルト・アインシュタインによる96年前の相対性理論、107年前の特殊相対性理論以上のものが出てこないではないか。
私達の肉体諸器官は、胃は胃として、心臓は心臓としての意識を持っているし、肉体の調和のために、各諸器官はそれぞれの使命を持って活動を続けている。
肉体の船長さんである魂と肉体意識の相互関係の大調和が、もっとも大事であり、病気はこの両者の不調和が原因なのである。
現代人にみられるノイローゼ、うつ病などの精神的疾患という病気も、肉体と心の不調和が原因になっている。
それは、偏ったものの見方、自己中心的な考え、そして心の中に不調和な想念をつめ込んで吐き出すことの出来ない情緒不安定な生活の積み重ねの結果、生じてくるもので、地獄霊や動物霊の憑依によって、人格が変わってしまっている人もいる。
暗い、しめっぽい場所にゴキブリやうじが湧く。このように明るい太陽のもとでは生きられない生物がある。
それと同じように心と行ないの正しい人々には、心の中に曇りがないため、明るさを避ける彼らは近づくことが出来ないのだ。
このようにして、三次元の物の世界と四次元以降の心の世界とは、切り離して考えることはできないということだ。
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