成功を求めない生き方
書店をのぞいてみると、成功する方法、金持ちになる方法、有名になる方法、仕事がうまく行く方法など、ありとあらゆる成功哲学、啓発系書籍が溢れている。
そしてベストセラーになっている書籍もたくさんあります。
これらの成功哲学は宗教がベースとなったアメリカ的な西洋思想で、歴史を経る過程で、この社会の中でいかに富を得て成功し、活躍するかという現代成功哲学へと変容していきました。
しかし、私自身は、ビジネス書で提唱されている現代成功哲学には少し懐疑的な部分があります。
それは、本来の目的である霊性の追求と向上という要素が、世俗化の過程で抜け落ちてしまっているからです。
逆に言えば、その要素を復元させることで、圧倒的な成功哲学の方法論を確立することができるのですが、そうなってしまうと、もはや世俗的な意味での成功を希求する度合いが低下するため、成功の意味そのものが変化してしまうかもしれません。
そういう意味で、言い方が極端かもしれませんが、現代成功哲学、自己啓発、ビジネス書が提唱している世界観は、本質を失った、唯物的、経済偏重主義であるといえるだろう。
そして、それらの多くが目指しているものは、本来の霊性の追究ではなく、全く逆のエゴイズムの拡大、自我肥大でしかありません。
言い換えれば、金儲けをするためだけのハウツー本に偏っているということだ。
幼児的な万能感をいかに拡大するか、そのために世界をいかに制御するかという低次元の欲望に囚われている方法論です。
およそ欠いてはならず、メインとしなければならない霊性の向上について述べられているハウツー本は殆ど見当たらない。
当然、これらの方法論を実践しても、ほとんどはうまく行きません。
もしうまくいっても、あらゆるトラブルに巻き込まれるでしょう。
本質(心)を失った儲け主義偏重の偽物は、人を本当の幸せには導かないからです。
もちろん、成功哲学や自己啓発の中にも、本質を失っていない方法論はあると思います。
幼児的な願望を実現させるのではなく、自我意識を超越し、大いなるもの、霊性のステージアップへと人を真に導いていくものもあるでしょう。
しかしそれは、万に一つの本当に稀なる存在です。
誰もが成功、成功と経済的富だけを追求し、それが人生の成功者のごとく書き記すのだが、なぜ私たちは成功しなければならないのでしょうか。
それは目指すべきものなのだろうか?
本質を失った成功は、不幸への入り口です。
そんな偽のおもちゃを得るために、大切な人生を費やすような生き方ではなく、私たちは、真の成功を求めるべきであろう。
私が提唱する真の成功とは、世俗的な成功を求めることをやめることから始まるのです。
成功して、有名になって、チヤホヤされたい。
権力を得て、人を自由にコントロールしたい。
金と地位にまみれて、快楽しかない日々の生活。
それは一時の喜びを与えてくれるかもしれませんが、しかし、それは深い虚しさと共にあり、消えることがないであろう。
その虚しさから逃れるために、さらなる快楽を求める。そのために多くの人々に迷惑をかける。
しかし、どれほど物質的な富や名声や権力を得ても、死と共にすべてのものを失います。
物質的、世俗的快楽が大きいほど、それを失う恐怖は増大します。
死に際してはなおさらである。
圧倒的な虚しさと表裏一体である快楽を追及し、すべてを失う恐怖に慄(おのの)き、多くの人から批難と軽蔑と恨みの念を買い、死んでいく人生。
これが私たちが憧れる成功者の人生なのだろうか。
こういう現実をしっかりと見据えて、私たちの真の成功とは一体何かを自分の力で見出さなければならないと思います。
それは、どこかの教祖やグルやカウンセラーが教えてくれるものではなく、自分の人生で、自分の経験から少しずつ学んでいくものだということです。
もちろん、成功しても虚しいのだと気づくために、世俗的な成功を体験しなければならない人生もあるだろうという意味では、そういう人生を否定することはできない。
しかし、ビジネス書が提唱しているような方法論では、そういう世俗的な成功すら体験できようはずがない。
本一冊で金儲けができるほど世間の風は優しくはないものだ。
近年のアメリカにおいては、成功者の奉仕活動をする風潮が拡大してきていることをみても自分のためだけの富がいかに虚しいものであるかを知った人たちの活動であることが理解できるだろう。
自我の力というのは、わずかなものでしかありません。
成功を求める生き方は、自我肥大をベースにしていると言っても過言ではない。
たとえ潜在意識や無意識という言葉を使おうとも、本当の意味で潜在的な力を使うことはほとんど出来ないのである。
潜在的な力は、自我の範囲にはないため、自分が成功して、有名になって、現象をコントロールしたいという、相反する欲望がある限り、その力は顕現して来ないのです。
自我を超越する方向にあるのは、成功ではなく、「自然」です。
ここでいう自然とは私心がない事。私心とはバランスのとれた精神状態のことである。
バランスのとれた心が潜在意識を正しく、強く働かしめるのです。
すべてが自然に流れていく…そこに我欲、執着はなく、どのような小さなことにも心底から感謝の意志を表現していき、拡大のためだけの欲望追及もありません。
偽の成功は、拡大を追及する。
真の成功は、本質を追及する。
偽の成功は、我を拡大する。
真の成功は、我を滅する。
偽と真は方向性が真逆なのです。
そして、真の成功への道を進むなら、偽物つまり、我欲を捨てなければなりません。
相反するように聞こえるであろうが、世俗的な成功を追及することをやめ、意識の方向性を感謝と調和、すなわち、足ることを知って執着しない生き方、働きに変えたときに始めて活路が見えてくるものである。
成功を求めない生き方が、人を真の成功へと導くでしょう。
そこには我はなく、自然(調和)だけが圧倒的な存在として躍動しています。
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