運命の修正法
主婦のYさんは、二度の結婚をしたが最初の結婚生活にも増して今の御主人対して不満と愚痴と怒りを充満させて暮らしている様子が『私が何を悪い事をしたというのよ。』という涙ながらの感情的、一方的な話し方からうかがえる。
例え私が、この奥さんに全面的に味方をしたとしても何の改善にも、進歩にもならないだろうと思った。
この方の話しを聴いている限りでは殆ど御主人に非があり問題があるように聞こえるのだが、実際のところはとなると大いに疑問がある。
私は御主人に会った。『奥様に穏やかに暮らして頂くために協力してやってください。』と話した。
御主人は『女房には驕るなよと話したことがある。』と言っていた。この一言で家庭生活が理解できた。
仕事は何でもできるし、そつなくなくこなす、物知りで人に教えたがる。目立ちたがる。この奥さんの弁舌巧みな話しぶりは相手を圧倒する勢いがある。
御主人の生き方にも原因はあるが、そんな女房の押し付ける物言いに呆れて酒びたりになり、夫婦で会話することをしないのだった。
人間は前世の業(カルマ)を反省し、修正できてから生れてくるのだが、その時点で地上生活のときの魂の汚れを3割程度まで解消して生れてくる。
しかし、再び地上生活をすると多くの人は業の上塗りをし、生まれたときは3割程度であった業を5割、7割と魂の汚れを増して還っていく人が多い。
それは肉体をもったこの地上生活が如何に眼、耳、鼻、舌、身、の五官に囚われやすいか、物や金や職業や地位や名声、偽善に翻弄されやすいかということです。
だが前世でつくった業が全部そのまま今世に生じてくるのではない。
人間は死んだ時、自分がどのようにして生きてきたかを反省させられる。
この反省によって運命の修正が行われ、地上で重ねた業が再び生まれたときに、その通りに現れるということはなくなるのです。
多くの罪は反省と調和によって消えるが、重大な問題は、もう一度同じ条件で、あるいは全く反対の条件で人生を再演した方がよいのではないのか否か、自分の魂がその可否を決定する。
すると前世の業を修正するための事件がこの地上で起こるということになるのである。
予期しない病気、不幸というもののなかには、それも自分が決めてきたものがあるのです。
それほどあの世での決心や計画はこの世で現象となり反映されてくる。
ですからどうしてそうなったかをよく反省して、それまでの心の在り方、行為の在り方を変えると運命が修正されて好転してくるのである。
正しい心の教えというものは、自分で自分の運命を修正する方法を説くものでなければならない。
だから他人の力に依存したり、『御利益がありますよ。』というようなふれ込みで誘う宗教の教えには決して入信するべきではない。
他力で救われることはないのです。『運命が良くなりますように。』と祈れば運命がよくなると安易に幸福になれるような説き方をする宗教団体もあります。
また『先祖供養すれば運勢がよくなりますよ。』と説く団体もある。かと思えば『寄付をたくさんしなさい。私がよくしてあげますよ。』という教祖も、街の拝み屋もいます。
また護摩供養すれば運命が良くなるという僧侶もいる。そんなところでいくら金を積んでも、言われたとおりにやってみても少しも運命が良くならない、かえって悪くなっていった。
財産を無くした。破たんした。という人がいっぱいいるのです。
手相、人相、易、生命判断、墓相などの運命判断は花盛りである。
これで運命が良くなるのなら人間は努力をする必要がなくなる。しかし、現実は違う。
原因と結果の法則
100%確実に運命を良くする方法がある。
それは性格を変えることである。
心が変わると運命が変わるという人がいますが、心を変えようとしてもどのように心を変えたらよいか分らない人は多いだろう。
しかし、そんなに難しく心を変えようと力む必要はない。
性格を変えるとは、気の小さい人は大きく、怒りやすい人はにこやかに、せかせかした人はのんびりと、いつも自分本位であった人は相手の立場を考えてものを言えばよいだけのこと。
いずれにしても執着するから自分の我を通すことになるのです。
このような性格を変えるテストをするのに一番良いのが家庭である。
家族に対しての思いやりから変えてみることです。すると職場やその他の人間関係もうまくゆくようになるし、結果的に運命が自然に変わっていくのです。
その運命を早く変えようと思う人は禅定、瞑想を取り入れることをお奨めする。
詳しくお知りになりたい方は問い合わせください。
ここまで自分が変わるには他への依存ではなく自分自身の生き方にあることを述べてきました。
現在のあなたは、過去の輪廻転生の総決算であること。例え現状が不満足であろうとも、まぎれもなしにそれがあなたなのである。
運命を良くしようと思うならば、たとえ嫌だと思っている自分の人生であっても、先ずはそれを受け入れて、そのうえでどうするかを考えることです。
受け入れるべきことを否定すれば、その問題は生涯自分についてまわることになるだろう。逃避と否定からは何も生まれてこないからだ。
自分の現在の人生を嫌ったままで、嫌だから仕方がない、こうしようと思って逃避的な考えだと失敗に終わることになる。
我々は何人たりとも原因と結果の法則から逃れて生活をすることができないのです。
この自然の法則、宇宙の法則から逃げようとせずに、原因と結果の法則を上手にコントロールすることである。
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