離婚の危機・乗り越えるために
『あなたは、この○○子を妻とし、健やかなる時も、病める時も愛し続ける事を誓いますか?あなたは、この○○雄を夫とし、健やかなる時も、病める時も愛し続ける事を誓いますか?』
教会やそれを模したホテルなどで結婚式をされた方なら牧師によるこの問いかけに「はい」と答えたはずです。
同じ未来を見ていたはずなのに、いつの間にか溝ができてしまっていた……そんな危機を回避するためにもターニングポイントを知っておくことは大事です!
★子どもが生まれた時!
子どもの誕生をよろこぶ一方、日ごろの生活の中で夫と妻の感じ方にギャップが生じる時期でもあります。
たとえば、妻は出産を終えたばかりで慣れない育児に四苦八苦。疲労も重なり、不平不満も増えがちになります。
ところが夫のほうは、子どもと接する時間が短いこともあり、妻の苦労をなかなか理解することができません。
この時期は、それぞれが相手の立場に立って、お互いの役割を思いやる工夫が必要である。
思い遣りや、気づきの足りなさが距離感をつくってしまうケースは多いのです。
自分が要求することだけを考えるのではなく、パートナーが何を望んでいるかを知ろうとするなら思いに隔たりがなくなるだろう。
★妻が働き始めた時!
今まで専業主婦だった妻が働き始めるようになると、「私だって働いているのに」という気持ちが起こりがちです。
たとえ夫婦間の収入に格差があっても、家事の分担を強要したり「私も疲れているんだから!」とイライラしたりすることもあるでしょう。
夫はそんな妻の変化にストレスを感じ、売り言葉に買い言葉のケンカがはじまるのはよくあること。
いくら収入が増えるからといって、夫婦の平和が保たれなくなるようでは本末転倒です。
安易に働きに出る前に、家庭のことや夫婦のことをしっかり考えてみなければならない。また働きに出るにしても事前によく相談して双方が理解をしておくことが大事でしょう。
何も気にせず素直に笑いあえた新婚時代に比べ、何故か今は何を言っても棘々(とげとげ)しくなったり、反対に口も利かなくなったり・・・・「できればあんな時期もあったなあと笑い合える日がもう一度来ればなぁ、でももう無理なのかなぁ」と考えたことはないだろうか。
もしそうなら、夫婦として「病める時」なのかもしれません。このままにしておいてはいけない。
病める時も愛し続ける事は大変な事です。
しかし、本人同士でわからない点や御互いが努力をしようとする気持ちが見えれば、少しは許せるはずです。
夫婦は妥協、惰性という人がいますが、長い目で見てみる受容と寛容だと思えないだろうか。
これまでの「愛情」が一瞬にして「憎しみ」に変ったりするというが、それは何も大人だけではない。
老若男女、子供の世界でも友情から憎しみや怒りに変貌することがある。何故だろうか。
いろいろな意味で「愛」と「憎しみ」は隣り合わせといえる。
また憎しみから愛に変わることもある。
これは、まれなケースで憎しみによってお互いが傷つき苦しい思いをすることの愚かさに気づき和解し合えた場合のみです。
したがって愛と憎しみは裏表の関係であって別物ではない。
愛も憎しみも一つの心から生まれる働きだからだ。
お互いの長所諸短所を知り、許しあう。「愛」は相手があって育むものという意味では時間がかかりますが、「憎しみ」は一瞬の自我感情で起こりうるのだ。
愛が相手に受け入れられない時、その愛が憎しみに変わるといいますが、しかし、これは身勝手な考えです。押し付けの想いは愛ではない。
自己都合による愛の押し付けは、喉が渇いていないのに水を飲めと強要するようなものだ。
愛は相手に心からの安らぎを与えるものでなければならない。
妻を思い愛しているのに、専業主婦の妻は『あなたと一緒にいると疲れてしまう。』とひとこと言い放ったきりセックレスになった結婚12年目の夫婦の危機。
夫は妻を愛しているとは言うが、夫の都合での思い込みや理路整然とした語り口調、自己満足でデリカシーのない強すぎる夜の生活、妻は耐えていたのだった。
愛するということの夫の勘違い、心得違いが家庭内別居に発展していた。
争いや憎しみは個々の持つ愛の食い違いから発生するもので、厳密にいえば愛に行き違いがあってはならない。
本当の愛にはこのような行き違いを超えたところに信愛として在るものです。
相手を許せなければ別離も避けられないだろう。
順調だったはずの夫婦生活が一転して、離婚を考える間柄に発展してしまうのには、ターニングポイントともいえる“きっかけ”が存在しています。
★夫の職場が変わった時!
夫の多くは、妻に仕事の細かい話をしないものです。妻は、夫の収入や処遇については気になるものの、毎日の仕事についてはそれほど興味が持てないということもあります。
すると、いざ夫が転勤や転職、人事異動になったとき、夫には自分なりの仕事についての考えがあるものの、安定を求める妻はそれがなかなか理解ができず、夫婦間に溝をつくってしまう場合があります。
このような場合、夫は、仕事に対する考え方や事情などを妻に説明し、妻はそれを理解しようと努力することが望ましい。
★妻がセックスを拒んだとき!
夫がセックスを求めたときに妻が拒んでしまうと、その場が気まずいムードになるだけではなく、意外と大きなダメージを残すことになりかねません。
夫のプライドは傷つき、最悪の場合、その欲求を外で果たそうとすることもあります。
女性の身体はガマンができても、男性の身体はそうできない仕組みになっている点を、妻はわかっておかなければなりませんが、何故、妻が拒んだかを夫自身が考えることも必要であろう。
これまでセックスで一方的な都合で要求してきたという場合も意外と多いからだ。
夫婦のカルマ(結婚・離婚・セックス)を参照ください。
★夫が勉強を始めたとき!
資格取得や昇進のための試験など、何かの勉強に真剣に取り組んでいるときは、誰でもプレッシャーやストレスにより気分がイラだちます。
そんなとき、勉強をしている夫に対し、「そんなことくらいで……」という勉強を軽視した態度を妻がとれば、夫の神経を逆なでするのも当然。
お互いにトゲトゲした気持ちのまま、ふたりの溝は深まっていってしまうでしょう。夫の勉強を他人事と思わず、一緒に乗り越えていくことを目標に、支えていく態度を見せることも愛のうち。
★子どもの教育について意見が食い違ったとき!
子どものいる夫婦の場合、子どもの教育に対して夫婦が同じ温度で接していれば問題は少ないのですが、どちらか一方が教育熱心の余り、監督ママやパパだったりする場合、とくに妻だけが熱くなっているときは、夫が妻に対して不満を募らせるケースが多い。
子どもの幸せを願う気持ちに変わりはないのなら、話し合いを重ねて歩みよることで解決できる問題です。決定的な亀裂になる前に、子育てとは何なのかを話し合うことが必要だろう。
夫婦の仲がギクシャクしはじめたり、致命的なヒビが入ったりしないためにも夫婦愛や子育てについて日ごろからよく考えてみることも大事です。
愛には喜びと安らぎがあります。
『愛してる』とはいっても、相手がそれを感じることができなければ、受け入れることができなければ、その愛は何かが違っているのです。
簡単なことです。
相手が望むことを与えればよいのです。
そして自分が望むことをパートナーにしてやればよいのです。
最後はパートナーの喜びを自分の喜びとすることができたら満点。
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