目的と条件
人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである。『武者小路実篤の言葉』
私も同感です。
健康の価値は病気して初めてわかる。しかし健康になってしまえば、もう健康のことを忘れる。忘れるところがおもしろいところでもある。
人間の目的は健康にあるのではなく、地上でなすべきことを完全になしてゆくにあるのではないか。その為の条件として健康は大事なものであると捉えています。
健康は大きな幸せの一つだと思います。
健康だから得られる幸せがたくさんあります。
ただ、そのことに気づけるのは健康を損ねた時、という人が殆どなのだと思います。そして、健康になると忘れてしまいがちなのでしょう。
病気やケガをして、健康の大切さに気づけた人は、それをいい経験として、その後の生活に活かすことができたらそれが一番いいことです。
そうでない人も、“健康だから得られる幸せ”を考えてみることで、健康の大切さに気づけたらいいのではないでしょうか。
私が思うに健康のためには、快食、快眠、快便と「栄養・休養・運動」の3つが大事だと思います。
この3つのポイントについて、現在の自分の生活を振り返ってみて、足りない所を補う対策を考えられることをお奨めする。
また、食べる喜び・休む心地好さ・体を動かす楽しみというようなものを、より意識して感じられるようになれたらいいのではないだろうか。
その際に、「健康でよかった(幸せ)」と思えたら、なおいいですね。
体の健康と同様に、心の健康も大切です。幸せになるためには、むしろ心の健康のほうが大きいと思います。
心の健康のためにも心に休養と栄養と運動が大事だと思う。
この3つをヒントに、心にいいことを考え、生活の中で実践できるようになれたらいいでしょう。
と言っても、健康のために生活するのではなく、幸せに暮らすために健康を大切にする、ということを忘れてはならないと思います。
この考え方の順序はとても重要な役割をもっています。心の健康から肉体の健康ですね。
健康のためと無理や我慢をしすぎて、生活を楽しむこと、幸せを感じられることをおろそかにすることもまた偏り過ぎです。
心の休養・栄養・運動
心の回復にも休養・栄養・運動が有効だと思います。
心の休養には、やすらぎの時間をもつのがいいでしょう。自分なりのやすらげる場所/やすらげる人/やすらげる音楽などもいいでしょう。
そして大事なのは、悩みや問題から心が解放されることですね。
このような時間を意識してもって、心に休養を与えることを考えてみてはどうだろうか。
幸せを感じることは心の栄養になるでしょう。
生活の中で愉しめることや幸せを感じられることを大切にすることが大きな要素です。
悩みを抱えていたり、心が疲れている時ほど、幸せを感じられる時間と回数をいつもより増やせるように心がけられたら、と思います。
「心が動く」ということがあります。感動したり、ワクワク・ドキドキしたり、そういうことが心の運動になると思うのです。
元気が出でない時には、少しでも心が動くようなことをしてみることが有効です。
たとえば、感動できる映画を見たり、本を読んだり、芸術を鑑賞したり、自然と親しんだり、・・・。
また、将来の夢や愛する人のことを考えて、少しでもワクワク・ドキドキできたら、それもまたいいでしょう。
ここに書いたような心がけをしても、どうしても元気が出ずに、生活も辛い状態が長く続くような場合には、心に根本的傾向性の問題が潜んでいる可能性もあります。このようなときは専門分野のカウンセラーに相談してみるのも自分を知るきっかけになり新たな展開になるものです。この点についてはご相談くださってもよろしいです。
同じような環境のなかでも苦痛に感じる人や普通に過ごせる人がいるのは何故か、問題は環境以上に自分自身の感じ方、受け止め方、対応の仕方にあります。それが個性でもあり、心の傾向性でもあります。
苦しみから抜け出せないでいる場合によくあるパターンは過去を引きずって過去から抜け出せない、今の出来事にこだわり心を縛っている、未来を考えて不安をあおっているなどです。このような心の使い方は自分を苦しみのなかに埋没させます。
気づいてみると幸せは自分のなかにあったということです。
憎しみのあるところに愛を
争いのあるところに許しを
疑いのあるところに信を
絶望のあるところに希望を
闇のあるところに光を
悲しみのあるところに喜びを
慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛をのぞむより愛することができるように生きたい。
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