前世の業?


近年、世界の各国で精神的不調和による事件が非常に多くなってきています。
通り魔殺人とかあるいは奇妙な事故死、無差別殺人の犠牲になったとか、自爆テロ行為までおきています。
こういう事件はまだこれから増えて来るのかもしれませんが、このような異常な死について今までの宗教指導者は「殺された人は、前世でその人を殺したから、今度は自分が殺されたので、みな前世の業だ」と説明をしている場合もあります。
しかし、ほんとうにそうでしょうか。
偶然の出来事で『あの人はたまたま運が悪かったのよ』、『偶然にその場所に居合わせただけよ』というが実際はそうとばかりもいえない。
通常は自分の心の中に、人を殺し、また人を殺すと同じような波長、非常に邪悪な想念がなかったら、私たちはそういう人に、そういう場面に出くわすこと少ないだろうし、ないだろうと思うのです。
人間の想念は私たちが理解している以上に強力な働きをしていることを深く知る人は少ないでしょう。
殺された人は、前世でその人を殺していたという事が正しいということだとしたら、人を殺した人は、前世で自分が殺されたから今度は自分がその人を殺したのだということになって、人を殺すということが正当化されることになってしまう。
このような論法で人殺しを正当化するようなことになってはいけない。
もし仮に、それが本当だとするならば、例えば、強盗に入られて物を盗られた人は、前世でその人の物を盗っていたからだということになり、人を殴っても、その人は前世で自分が殴られたから殴り返したということになって、全ての悪事が正当化されることになり、そうなればこの世は混乱して、この世からは一切の悪事は無くならない事になる。
そういう悪事を間違った論法で正当化する宗教は正しい宗教とはいえないとおもうのだがどうでしょうか。
盲目的信仰の悦に入っている人々はこのような矛盾に疑問も持たず、気づかないで狂信している人もいるでしょう。
厳密にいえば、業のあるのが人間であり、いくらかの業をもって生まれてくるのもまた人間ではあるが、出来事に対して全ての原因を、前世の業だとか先祖の業だと説いてしまうのもどうかと思うところです。
この世のことは、この世の人々の心に原因があると私は思います。
ほとんどの宗教団体が前世の業、先祖の業を説いているが、その説き方に矛盾と問題点がみつけられることが多い。
だいぶ前に私のところに50歳の男性から相談があった。『家族がめちゃくちゃで娘がひきこもり、息子がうつ病、家内は傲慢で子供たちには勉強して良い大学に入り、優良企業に就職しなさいというばかりだ』と。
『その家内は心療内科に通院している。お婆ちゃんは自殺、お爺さんはワンマンで子供たちが毛嫌いして避けている。苦しくて潰れそうだ』という。
私はこの男性に質問した。今の家庭環境や子供たちの状況はどこに原因があると思いますか?と。
男性いわく、家を建てるときに祓い清めもしてないし、神棚にも一切のお努めもしていません。
仏壇への務めもしていません。
水子供養もしていません。
先祖の因縁がこのように災いしているのかと思います。という。
いかにも利用されやすいケースに思えてなりません。
私は、はっきり伝えた。今あなたが話した事柄は霊的なこととは一切関係ありませんと。
その理由を1時間30分かけて説明した。
通り魔殺人とか、あるいは正面衝突で事故死したとか、無差別殺人の犠牲とか、家庭内の連続したトラブル内容などがあれば、疑問や不思議に思うのも当然であろうし、祟りや障りだとも考えるのだろうが、危険で偏ったものの見方をしてはならないと思います。
ではその原因はどこにあるのだろうか?
先ず人間の心は現在意識(表面の心)と潜在意識(奥底の心)とに分かれている。
表面ではどんなに立派に見えていても、心の奥底で相手を憎んだり怨んだり、また、相手が不幸になることを望んだり、あるいは「あいつを殺してやろうか」とか「あいつが死ねばいい」とか、色々と邪悪な想いを持つ人。
昔、精神病院を何回も出たり入ったりしていた息子が、斧で親や兄弟を殺したという事件もあった。
精神病者の場合その本人の意識が暗くなっている所へ自縛霊、地獄霊が憑依している。
精神病者だからといって四六時中、霊が憑依しているわけではないが、憑依している霊が離れた時はおとなしくなり、短い時間であっても正常に返る時がある。
自縛霊、地獄霊というのは、攻撃的な心、破壊的な心、相手が不幸になることを喜ぶ心、怨みの心、あるいは、自分が攻撃されるのではないか等と不調和な心を持っているから、たとえその家族が日頃はいい人達であっても、その精神病者に対して口で言わなくても「この息子には困ったものだ、早く死んでくれればいいのに」とか「殺してやりたいくらいだ」と潜在意識(心の奥底)で思うと、精神病者本人の意識はそれを感じなくても、憑いている憑依霊がその殺意を敏感に感じて「おいおい、お前は殺されるかも知れんぞ」と耳元でささやく。
誰でも自分が殺されるとなると死にたくないから、自分を守るために無意識のうちに防衛的な気持ちではあるが、動作は攻撃的になって飛びかかって行って殺すつもりはなくても、結果的には殺すと言うことになってしまうのです。
地獄霊は「お前があいつを殺さないとお前が殺されるぞ」とささやくから、自分を守るためにそうするわけで、殺人を犯した後で本人が言うのは決まって、「自分は殺すつもりはなかった」と言うことになる。
だから、そういう人達に対しては家族あるいは周囲の者は、恐れたり、忌避(きひ)したりしないで、先ず自分の心を調えて愛に満たし(自分の心を愛によって満たすとその人の心からは光が出る)、その人が愛の光に包まれて幸せになっている状態を心に描くと、自縛霊、地獄霊は光が一番にがてだから、その光に恐れをなして憑いておれなくなる。
自縛霊や地獄霊が憑いていてささやかなければその人はおとなしくしていることになる。
だから、精神病患者による家族の殺人事件の場合も、家族全部が愛の心を持って光で満たしていたら、ああいう事件は起こらなかったでしょう。
要するに、人間の運命を支配するものは、表面の現在意識よりも、奥底の潜在意識の方が強いのですから、表面はその人がどんなに立派に見えていても、取り繕っても潜在意識すなわち心の奥底で、人を鋭く切り裂いて批判したり、人を抹殺しようと思ったりすると、類は類をもって集まるという心の法則によって、殺意を持っている人と波長が合って事故に遭うということになるのです。
自分が正しいという正義感の強い人がなぜ不幸になるかというと、自分の正しさを主張する余りに自分に反対する人を憎んだり恨んだり、あるいは抹殺しようと思ったりするから反作用が自分にかえってくるということです。
あんなに立派な正しい人がどうして運が悪いのであるかという疑問を持っている人は多いと思いますが、それは潜在意識がどう思うかということが強く運命に影響して来る。
先に述べた、家族のトラブルも前世の業とか先祖の業とかいう問題ではなく、老夫婦、息子夫婦たちが自分の価値観を相手に押し付けず、自分が正しいと無理押しせずに、互いの想いを尊重することで子供たちも心が安息を得て改善できたということでしょう。
自分が正しい場合でも相手を憎んだりしたら自分にかえってくるわけですから、相手を憎んだりせずに自分の心を愛によって満たして相手が幸せになることを祈らなければならないということでしょう。
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