霊的能力への依存

霊的能力の正邪と危険な依存心
世の中には多くの自称霊能者がいます。「霊能者」とまでは言わなくても「自分には霊感がある」と言う人も実に多いものです。
一般的に分からないことが分かる。それは確かに不思議であり、驚くことなのでしょうが、在るものが見えたり聞こえたり分かったりする、というのは実はそれほど特別なことではないのです。
「霊能」は特殊なものかもしれませんが、特別なものとして見てしまうと、そこには大きな落とし穴ができてしまうし、危険です。
人は悩み苦しみ、分からず、また、どうしていいのか方向性を見出せない時に、いわゆる「霊能者」の手を借りることを私は否定致しません。
しかし、どんな霊能者に手助けを求めるのかには、基準を持つ必要があります。霊視、霊聴、予知といっても、その能力にも段階があり、決して万能ではありません。
このような霊的能力ばかりを頼りにしてしまうと、最も大事な自分自身の判断と、本当に自分にとって必要な事柄というもの見失った判断と行動をすることになります。
自称、霊的な能力者と言われている人や占い師という人たちに頼り過ぎたがために、問題が改善されるどころか、かえって状況が悪くなっていき、悲惨なことになっている人たちがいるのである。
ひとつの例ですが、カウンセリングと浄化ができるという女性がいた。この人は電話とメールによって相談者に対応する方式で、時間制で料金を設定し口座に振り込み確認ができてから相談に乗っていた。これでは霊的なトラブルには対処が遅れてしまうだろう。
この女性が私を訪ねてきたときは、既にうつ病を患っていて夜は眠れず、朝は起きれず不安感に翻弄され、心療内科の薬を服用していた。これではカウンセリングどころではないだろう。
完全に邪悪な霊に憑依されていたのである。浄化ができると言っていたその内容が、実は憑依していた邪悪な霊の働きによるものだったのですが、当の本人がそのことに気づいていなかった。
このようなケースは多いのだが一般的には判断がつきにくいから信じて依存することにもなる。
霊的なことに興味を持ち、その世界に一歩足を踏み入れることは相当に危険なものであることをこの女性は知らずに、ただお金の為に正当なものではない浄化を遠隔で行っていたのである。
私は霊界の事情をその女性に話して理解をしていただき、守護霊の協力をいただき憑依する霊を浄化し昇天を願った。女性は解放された。勿論、金銭、お礼を頂くことはしない。これは生涯かわらない私個人の信条である。
大事なことは霊的な能力の種類や力の高低ではない。それを行う者の人間性、人格、品性というものをよくよくみつめて判断することでしょうが、それができるようなら問題も起きてはこないだろう。
1.多額の金銭や毎回の金銭要求には疑問
霊能力とは授かった力でもあります。また人によっては修業や訓練によってその力を開花させたかもしれませんが、今世において特に修行らしきことをしていなくても、その能力を発揮する場合などの多くは過去世において、そのような修行をしている人が殆んどである。
しかし、霊的能力を得るためや、開花させるためだけに滝に打たれたり、痛みに耐える訓練をおこなったり、体を極限状態まで酷使して、痛めつけておこなう荒行は潜在意識と表面意識が同通しやすくなるために、霊的な能力を現しやすくなるのですが、それだけに心に隙ができやすく、その心の隙を突いて地獄霊や動物霊が支配する場合が非常に多いものです。
人間の心はその人の生きざまがそのまま出るものですから、特に霊能者といわれる立場にある者は理性、知性を兼ね備えた人格と品格を磨く心作りを学ぶ必要があります。
実際のところは低級な霊の支配下にあって多少の霊能を現わしている人たちが多いことは否定できない事実です。残念ながら本人はそのことに気づいていない場合が多いものです。
霊能力というものは守護霊や指導霊の協力をいただいてこそ正常な役目を果たすことができるものであることを忘れてはならないし、そのことに気づいていない人が多いのです。
また、その能力を使って人の役に立つ場合、多額の金銭や毎回の金銭要求は金銭欲に翻弄された人とみてよいだろう。
霊能者といえども身を養い、地上的な生活をしていかなくてはなりませんから、それを生業にしているなら金銭そのものは必要でしょう。
料金の上限、という具体的な金額に対する感じ方(高い、安い)は個々、人によって違うでしょうが、一般的に見て、誰もが「高い」と思うような金額や毎回、その都度請求するのはどうかと思います。このような場合は、出入りをやめるのが賢明です。
本来のしかるべき霊界へ戻れず、地上近くをさまよっている霊を送る、あるいは憑依している霊をはずして送る、という時に、金銭が要るはずがないのです。
まして霊が要求するはずもありません。
霊を送り届けるエネルギーは、愛念以外にないのですし、愛とは無限に湧いてくるものですから、元手も費用もかかりません。それを金銭に換算できるわけがないのです。
また、ヒーリングやカウンセリングを施すにあたっても、このようなカウンセラーや霊能者は本来は指導霊などの通路としての役割を担うにすぎません。
エネルギーの使い方によっては、ヒーラー自身のエネルギーを注ぐ場合もありますが、それでも一定の休息で十分回復できるものです。
霊的なトラブルや諸問題でも、一番きづかなければならないのは、当事者が、原因の殆んどを作っているという事実です。従って、何よりも当事者の心の在り方、生活態度の見直しは絶対に外せない改善のための必要条件である。
2.恐怖心を煽る、不安がらせるだけでは何の役にも立ちません。
他界した人に関する情報を受ける時は、まず鵜呑みにしないことをしっかり頭に入れておいてください。
「このような苦しい状態にいますよ」と言われたら、必ず「それはなぜなのか」を問わなくてはなりません。何の理由もなくそうなるわけがないのですから。
何らかの心のかげりについて納得のいく説明がないのなら、その情報を信じる必要は全くありません。それは前世とか過去世についても同じで、説明を求められて話題をすり替えるとか、疑問が残るとか、怒り出すなど論外です。
これは、本来の霊界に戻れず、幽界にとどまる原理を知っているならば、説明できるものですし、その人に関して正しい情報ならば、生前のどういうかげりがあったのかまで、霊能者には分かるはずです。
勿論、特異な分野、不得意な分野があります。不得意な分野まで情報として相談者に伝えることはあってはなりませんし、罪なことです。
また、いわゆる成仏できていて、本来の霊界に戻った人は、地上的な性格や傾向の名残りはあっても、地上時代と全く同じ「人格」のまま、というのは3次元、4次元の法則にかなっていません。
本来の霊界に戻ったならば、地上的な感情を一定以上卒業しているだけでなく、「分かったうえで」皆さんを見ているのですから、「あなたを見て嘆き悲しんでいる」とか「激怒している」という話にはならないのです。
もしも、「心配している」としても、必ず「こうであってほしい、こうなっていくように」という願いや祈りとセットになった思いがなければ、その人は本来の調和された霊界の住人であるとは言えません。
さらに、「こういう霊が憑いています」という情報を伝えられたら、やはり「どうして憑依したのか」を問い返してください。
憑依の原理はとても簡単です。心の共鳴という基本的なものです。そして、そこでは先祖だからとか知り合いだから、という理由ではなく、かげり(マイナス)の心と心のつながりが原因です。
プラスの状況にある人は霊に憑依されるということはありませんから。憑依はあくまでもマイナスな心の人間とあの世の低次元の霊との感応で起こるものだということをご理解ください。
憑依も、成仏できずにいる霊も、「どういうエネルギーを必要としているか」という問題が必ずあります。それが不足しているから満たされぬまま本来の霊界に戻れずにいるのです。
それを補うために言葉を向け、エネルギー(心)を注ぐのが霊能者の言う“浄霊”です。
実際に悲惨な状態のなかで苦しんでいる霊はいます。その情報を伝えるのであれば、どうすればその霊が救われるのか、そして、地上にいる者はどういう心を向けてあげればいいのか、という解決法なしに口にすべきではありません。
霊能者と言われる人のなかには間違った解決法や供養法を平気で指導している人がいます。
あの世の事情も事細かに内容を知らされることで、地上の者が心を乱し、心を痛めるのだとすれば、むしろ「知らない方が良かった」という場合が多いのです。
「まだ成仏できていない」という事実だけで十分だったということです。死者への供養の在り方は、本来シンプルなものですが真実は知られていないものです。
大事なのは、地上に生きる者が平安な心の状態を取り戻すことです。
 3.当てものに感嘆して本質を見失わないように。
残念なことに霊能者のなかには低級霊とつながっている者が多いのです。
特別な自分を求めたり、霊能そのものを欲しがったり、という場合、その欲望に感応して低級霊の憑依を受けます。
それでも霊能を現します。しかし、これは危険です。そこに関わった人たちは、一向に改善に向かわず、むしろ徐々に蝕まれていくからです。心の平安と幸せからは遠ざかっていくでしょう。
霊能者もコンプレックスや、評価を求める・賞賛を求める・自己満足・優位性・プライド・驕り・自己主張というかげりを持つと低級霊とつながりやすいのです。
たとえ低級霊であっても、「霊」であることに変わりはありませんから、地上的な情報(具体的な出来事や様子・状況・事情など)や他界した人に関する一定の情報は、地上の人間よりはるかに分かります。
そこで「こうですね」と当てられて、それだけで「この人は当たる」と思ってしまうのは危険です。
あなたが、その霊能者に手助けを求めるのは、何かを当ててもらうためであってはなりません。
迷いや悩みに対し、具体的な解消策や指針、ヒントが欲しくて訪れているのです。
大事なことは何か、何のために、何を求めているのかを忘れてしまっては元も子もありません。
いかなる場合も、納得のいく説明をしてもらえるかどうか、何を根拠にしているのか、という視点を持ってください。
霊能者は完璧な答えを出す道具ではありません。全てを見通し、全てが分かる者など、(原理的に)いるわけがないのです。それはカウンセラーでも同じです。
霊能者がもたらすものは、あくまでも情報のひとつ、という目を持ち合わせた上で、最終的には皆さん自身が判断していくのです。過度な期待は依存心を増幅させて自分の心を見失うだけです。このようなパターンが一番危険です。
補足
「自分は霊感が強い」、『感受反応が強い』ということの意味をよく分かってください。
どこどこに行くと霊の存在を感じる、何かを感じて嫌な気分になる、具合が悪くなる、恐ろしいものや霊が見える、等々。そのことに執着して、自慢したり、取り乱すのは感心しません。
これはいずれも幽界や地獄界に共鳴していることを示すものです。感覚的に敏感、という言い方もできますが、敏感だとするなら、なぜ喜びや希望や健やかさをもたらす方につながらないのでしょう?
ここで必要なのが心の在り方です。
幽界に共鳴しやすい、というのはその人に幽界的要素が強くある、ということでもあります。「憑依霊や地縛霊、嫌な気分や恐ろしいものと共鳴する心が強いです」と言っているのと同じことです。そこに問題がある、と気づいてください。
もちろん誰の心にも、かげりはありますし、その人を「悪い人」であるかのように否定しているのではありません。
ただ、ことさらに「自分は霊感が強い」と特別視すべきではない、ということです。
もし、霊的に敏感なのだとすれば、その感覚を喜びの方向に役立てていけるように変えるべきです。
感受反応が強いなら、その後のケアを怠らないことです。その為に自己浄化を忘れぬこと。いたずらに動揺しないこと。その為にも正しい学びが必要なのです。
霊能者も霊が見える、訴えが分かるというなら、その霊を本来の霊界に送るべくひたすら祈らなくてはならいでしょう。
しかし、霊能者に何度お世話になっても進展もせず、自身の心も進歩なし、依然として動揺と不安と体調不良のなかで苦しい毎日を暮らすのは根本的に客観的に自分を見直す機会だろうということです。ご利益や依存心を改める時期にきているということです。
また、人の役に立てることなしに「霊感が強い」と言うだけならば、それは実は恥ずかしいことなのだという認識を持つべきです。
幽界との通路になってしまう、ということなのです。
ですが、未浄化霊との感応が強く、自分の心身の体調にまで影響が及ぶのであれば、霊的治療と、影響を受けなくなっていくための心の学びが必要です。
そこでは、その人が役割を担っている場合と、心の傷や思考に間違いがあるために自ら引き寄せてしまっている場合とがあるからです。
悪質な霊能者、とまではいかなくても、「何かを感じる自分」、「何かが分かる自分」に、ある種の優位性を感じ、人とは違う自分を見てしまうと、“霊能者”と同様に、低級霊につながり、大きく影響を受け、まるで霊能者であるかのように思い込んでしまう危険性があります。
そうなった場合、その人と低級霊の共鳴を外すのは、一時的にはできても非常に困難です。理由は、慢心や驕りなどの心が邪魔をするからです。
本来、霊界と地上をつなぐ通路として使われるはずの霊能力は、喜びをもたらすために与えられるのです。
それが全く逆のものになってしまい、幽界とつながり、自分を傷つけ人に迷惑を及ぼしかねない。そうであってはならないのです。
多くの人が霊的法則の基本を知ることで、霊的なものを見る確かな目を持ったならば、霊能者にだまされたり、ひどい目に遭わされるということはなくなるでしょう。
最優先されるべきは『自己を知る』ことです。
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