即身成仏

六十七歳になる男性の質問であった。

『死後の人間の世界は、宇宙生命と同化するという話しもあるが本当の姿どのようなものなのか。』

それは、即身成仏の姿と、即心成仏の姿に分かれるが、たしかに身すなわち肉体舟は、大自然界の土や空気に同化してしまうだろう。

しかし、事実は、この地球上に執着する、わが肉体こそ絶対だ。体がすべてだ。死んだら何もかも終わりだ。死にたくない。思い残すことも多い。こうした者達によって地獄界が展開されているのである。

墓に使っている、石塔にも同じことがいえるであろう。

人間は、この地上界の習慣によって、墓こそ死後のわが住居と思い続けている人にとっては、その場所が地獄界で彼らの住処になってしまうものだ。

80歳の老婆の話しであるが、私は死んだらあのお墓に入る、あそこが私の居場所だといってやたらにお墓に拘っている。

このような人たちの死後はとなると宇宙生命に同化する悟りには、ほど遠い者達である。

新しい光子体(あの世の肉体舟)と、現世の原子肉体舟が分離して、使い物にならなくなった動かない肉体を眺めて、「今まで良く私とともに、現象界(地上界)にあって活動をしてくれた。ありがとう」と感謝できるような人々の肉体舟は、大宇宙体の一部に同化されるだろう。

それは、肉体舟の船長である魂が主人であるという、永遠に変わらない自分自身の死を悟っている人であるからだ。

そうした人達は、もはや、墓にも、いわんや石塔にも、塔婆にも執着はなく、天上界が自らの帰り着く場所だと悟り、自らの善なる心の想念によって光明に満ちた天国を造り出しているからである。

しかし、同化しても、私達の個性は存在している。自らの心の支配者は変わりないということだ。

この姿こそは、即身成仏ならぬ即心成仏といえるだろう。

丁度、蒸発した水蒸気が熱の縁や圧力の縁によって、水という集団から個々の分子に離れても、また上空で冷却されて、熱粒子の収縮によって雨や雪に変わり、大地に降りるもの、大海に降りるものとあるが、そこで同化しても、水一滴一滴の分子の生命は失われることなく、他の水と集団調和されている、ということである。

このように同化されていても、熱粒子が膨張して水の分子が分離されれば、再び大空のなかに舞い上がり、永遠の輪廻をくり返して行くだろう。

この循環こそ大自然の調和の姿そのものであろう。

その過程には、植物や動物の体内を通過するものから、大地のなかで生き続けるものまでその形態は多岐にわたるのです。

それでもH2Oという個性を失ってはならないのである。

私達も、肉体舟が即身成仏されて、大自然界、大宇宙体に同化されれば、当然私達の不変的な生命である魂、その中心の心も、宇宙生命に同化して即心成仏されるものだ。

転生輪廻の法則は、万生万物に適応されるのであって、人間だけではない。

時間の長短の区分はあっても、間違いなく私達もそれをくり返してきているのである。

私達は、一時たりとも、転生輪廻の軌道をとめることはできない。

今という時間をとめられないようにだ。

そして私達は、この転生輪廻の過程を通して、あらゆる体験を経て、より豊かな心を造り出して行くものなのである。

つまり、同化作用と、分離作用がくり返されているということだ。人間の生命も大宇宙の循環の法則と共にあるということがお分かりだろうか。

すべてが、自ら造り出した″縁″によって、それはなされているのである。

しかし。たとえ天上界や地獄界に行っても、私達は、この地上界にいるときと同様に、ちゃんとしたあの世の肉体(光子体)を持って生活をしているのである。

決して、魂がふわふわしているのではない。空中に浮いてうろうろしているのではないのである。

特に地獄界などには、文明の差があり、電灯はおろか、灯明もないじめじめとした世界の非文明の地で生活している者も多いのである。まさに暗黒の世界なのだ。

荒れた環境の世に出た人々は、心を失いやすく、物質や権力などの欲望に支配されて、人生の価値を忘れがちになる。

心を失うということは、肉体的に現われてくる諸現象だけが絶対だと思い、肉体舟の船長である自分、永久に変わることのない自分を忘れてしまうということである。

それはまた、現世だけが絶対と思い込んで、不調和な生活を送ってしまう人々なのだ。

あの世などない、神も仏もあるものかと思って、今世だけの生活を、私利私欲のままに送ってしまう人のいかに多いことか。

不生、不滅、不増、不減、すなわち私達の魂は、生まれることも滅することも、増えることも減ることもない永遠の生命であり、生とか死とかは、肉体舟の乗り替えにすぎないということである。

心と行ないが、拘りを捨て、執着せず、正しい生活をしていれば、光子体(あの世での肉体)の光りが、その心の調和度に比例して輝き、段階的生活環境が与えられるのだ。

幽界、霊界は、日本にも他の国々にも存在するが、住んでいる場所も、同様な環境が、その人々の想念によって造り出されている。

そこは、この地上界よりはるかに調和されている世界であり、この世界においても、自己というものがあって、個性がはっきりとしている。

この現象界で生活していたときと殆んど同じ仕事をしている場合が多いといえよう。

そして、心の状態によって段階が存在している。現象界においてなした想念と行為の集約された姿といえよう。

また、肉体的な先祖や肉親達と住んでいる場合も多い。しかし、心の調和度が進化するに従って、次の次元に進化して行くのが、私達の生命なのである。

幽界から霊界、霊界から神界と進化するに従って、霊域は精妙になり、光明に満たされて行く。

神界では、人類は皆兄弟だということを悟る。

魂の転生輪廻の事実を悟っている者が、そうした段階を通って住んでいる世界である。

その神界には、魂の兄弟達の存在があり、それぞれ自我心(エゴ)がなく、心と心の大調和がなされている。

そして、それぞれの、専門的な分野で研究が続けられている。学者や博士の多い世界である。

地上界で、自らの目的に向かって一心に研究努力している人に霊感を与えてくれる指導霊には、この人達が多い。

医学や、天文、物理、科学、哲学、文学など、一切のエキスパートが、百般の研究を続けている世界なのである。

智が優先している嫌いはあるだろうが、地球上とは比較にならないほど文明が進歩している。

この世界にも段階があって、上段階になると、動物達に、神の子としての道を教え導いている光りの天使達がいる。

ヨギー・スートラや、日本の修験者達が多い。○○の命などと威張って、霊媒などに出てくる者のなかには、動物霊が多いが、そのほかは仙人界や天狗界の者達といっても良いだろう。

真理らしきことをいうが、果たして自分がそれを実践しているかどうかは疑わしい。

心眼の開かれている者から見れば、彼らの実体は解かってしまうということである。

机を動かしたり、物を引きよせたりする場合において働く霊達のなかには、狐などを使ったりする場合もある。

また、地獄霊や動物霊なども、物理的な現象を見せることがあるけれども、その力を利用して、地上界の人々にもっともらしいことを強制したり、脅迫したりする。

そして、神の名をかたり、罰が当たるといって、人々の心に枷(かせ)をはめ、翻弄したりすることが多い。言うことと行なうことに矛盾が多い。

彼らの霊域に包まれて、地獄霊に支配されたり動物霊に支配されている人々は、自分自身を失ってしまうものだ。ほとんどが、多重人格者や、統一障害、気違い同様になってしまうだろう。

このような地獄霊に支配されてしまうと、まず肉体的に不調和になって、身体中が重く、夜になると元気になり、昼間は腑脱けのようになってしまう。

それは、昼間は、人間が活動し、霊域の振動が乱れているため、彼らも近よりにくいということである。

地獄霊達は、多くの人々が寝静まっているとき不調和な者達の肉体を支配することが多いのだ。

常に心がイライラしている人が、憑依されると、ほとんど人格が変わってしまう。

しかし、霊界、神界の住人達が肉体を支配しても地獄霊のような苦痛はない。それは、調和された霊体だからである。

神界の上段階から、上段階光りの大指導霊(菩薩)がいる調和された世界があり、そこにいる者は、心を悟っている者達である。

心は慈悲と愛に満ち満ちて、地上界、天上界の衆生を導いている。

さらに、宇宙はわれなりと悟り、一切の執着から離れ、人類は皆兄弟だという境地に達している者達で、神と表裏一体の、上上段階光りの大指導霊がいる。

過去においては、イエス、モーゼ、ゴーダマブッダが、その代表的な大指導霊である。

如来ともいっている。後光(オーラ)の量が、他の菩薩や天使達より大きい。

如来は、執着から離れているため、身に着けている物も質素で、すべてに悟っている。

人間は、死んでしばらくの間は、意識不明のような状態が続くが、やがて死を悟り、死後の世界に入って行くのだ。

悟っている者達は、一旦、天上界の収容所に入り、人生の反省期間を経てから、その人の心の調和度によって行くべき道が定まるのである。

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