善と悪の追究

今まさに世界は争いの渦中にあり愛と欲望が、善と悪、独占とゆずりあい、侵略と防衛がしのぎを削っている。

そいうなかだからこそ実在界(あの世)からは、偽りのない正しい生き方を世に知らしめるために特別の努力が為されている。

地上界と実在界(あの世)の光の天使たちによる働きかけである。

それが敵対者の大軍による無差別的な抵抗に遭遇している。ことに宗教、政治の腐敗には邪悪なものたちが背後で暗躍して操っている。

世界の歴史を振り返ると常に善と悪との闘争の物語であった。

片や神と善、片や無知と悪徳と邪悪、そして霊的邪悪、精神的邪悪、そして物的邪悪である。

時として、今がまさにその時期の一つであるが、尋常ならぬ努力が払われているのである。

光の天使たちが一段と勢力を強めて集結し、善なる人間を動かし、正しい知識と道を広める。

しかし、恐るべきは調和された正しい生き方からの離脱者であり偽善者であり、ご都合主義者である。

かくの如き人種に惑わされてはならない。が、真の道ゆえに誘惑に負けてはならない。

とはいっても、悩める人々にとっては何をもって真の道、生き方とするか、その判断に迷う者はどうすればよいのだろうかとなると、現実は真剣に求めながらなお活路を見出せぬ人々が多いのである。

しかし、切に求めるならば最後に見出せぬ人はいない。その道のりが長く久しき人々もあろう。

地上を去り、ある程度の高き界へ到りてようやく光明を見出す人もあるかも知れぬ。

試練とはよくいったものだ。私たちは霊性の向上過程において逆境を試される。

そして相応(ふさわ)しき者にのみが魂に普遍なる慈愛の光明を授けられる。

一歩進むにもそれ相当の備えが為されねばならぬ。それが進歩の鉄則である。

適性あっての前進である。忍耐の必要なる所以である。

言葉を雄弁にならべて『解りました。』と言った次ぎの日には感情的になり、怒りをあらわにして子供にあたり散らしている愚かな親になってしまうのは自我心以外のなにものでもない。

多くを雄弁に語り、他のせいにしているうちは解ったことにはならないのである。

『どうして怒ってしまうのか自分でも抑えがききません。この怒りはどうしようもありません。』というのだが、一体何故に真の道に抵抗しようとするのか、怒りを静寂に導くのは愛のうえに根差した理性だけなのだ。

怒りが込み上げてきたときは、この理性を心に意識することで静寂が得られるということを肝に銘じておかなければならない。

過去、この地上界にて、光の天使たちが遭遇せる障害に比べれば、いま怒れる者たちや、私たちの障害など物の数でないことを知らなければならない。

かのローマ帝政の末期における放蕩(ほうとう)と肉欲と卑俗(ひぞく)と悪徳とに浸り切った地域から、心ある人たちでさえも恐れをなして逃げ去った、あの暗黒の時代にもし、いま怒れるあなたが生を享けておれば、悪が結束した時の恐ろしさを思い知らされたことであろう。

その非情さは絶望のそれであり、その陰気さは墓場のそれであったであろう。

肉欲、ただ肉欲のみであったのだ。

心ある人たちもはその光景を正視できずに逃げ去り、その喘(あえ)ぎを和らげてやることなど到底及びもつかなかった。

実に、あるのはただ不信のみ。否、それよりさらに悪かったことであろう。

世をあげて、わずかな心ある者たちを侮辱、軽蔑し、その者たちの行為を貶(さげす)み、すべての徳をあざ笑い、天使たちを愚弄(ぐろう)し、永遠の生命をののしり、ただ食べて飲んだりの放蕩三昧の日を送るのみであった。

まさしく堕落しきった動物同然の生活であった。

このような悪の巣窟(そうくつ)さえも唯一なる存在意識と、その使者は愛と慈悲によって見事に清め許てくれるものを、いま怒れる者たち、執着する者たち、不満と愚痴をいう者たちは、わずかな障害を前にして、これを“どうしようもない”と嘆くとは・・・・。

天上界による地上人類のための支援が人間みずからの無知と強情と不調和ゆえに何度も挫折してきたのであるが、しかし終わりではない。続くのである。

地上人類が己の内にある神々しい霊性に悟りを得るまで。

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