再虐待
子どもへの虐待を禁じた「児童虐待防止法」が施行されて今年で10年になる。社会の児童虐待に関する高まりと共に、児童相談所に寄せられる相談件数も増加の一途をたどり、昨年度は4万4千件を超えている。
こうしたなか、いま深刻な問題になっているのが、いったん児童相談所で保護し、親への指導などを行った後に、再び子どもが虐待される「再虐待」が増えているという。NHKが全国すべての児童相談所にアンケート調査を行った結果、去年1年間で8000人を越す子どもが「再虐待」にあっていることが初めて明らかになった。子どもの心により深い傷を残す「再虐待」を、なぜ防ぐことができないのか。これまで明らかにされてこなかった「再虐待」の実態を浮き彫りにし、対策を考える取り組みが始まってきている。
『職員の声』 もう本当に、言い難いほど深刻で、本当に痛々しいほど傷ついて、子どもたちは戻ってきていますから、だからもう、やり場のない激しい怒りを、どうしようもない怒りを、始終、何かにぶつけているとかですね、暴力行為だったり破壊的行為だったり、あるいは場合によっては、自分自身を傷つける自傷行為が、すごく激しい自傷行為を振るう子どもたち、たくさん見てきてますね。やっぱり2度、3度、親から裏切られ、あるいは見捨てられるという体験とか、あるいは施設からも見捨てられた、児童相談所も自分を見捨てたみたいな、そういう、二重に、三重に見捨てられる経験をしてきた子どもたちですよね。 かなりひどい状態になることが多いと思います。
再虐待する親の心理(職員の話し)
虐待というのは、基本的に、意思の力でやってるものではないので、意思に基づいてやっているものではないので、いくら約束をしても、もう抑えられない怒りとか、その他さまざまな心理的な要因、本人自身も、親御さん自身も気づいていないようなもの、そういったものが虐待に向かわせますから、約束をしていても、それはあまり意味がないということになりますよね。
児童相談所の話し
個々の児童相談所の職員たちは本当に努力はしていると思います。すり切れるほどに努力していると思うんですけれども、やはり基本的にケース数が、欧米に比べると、1人が担当するケース数が10倍、20倍という状況で、かつ今は、すごく増えてる、通報の件数が増えていることは周知のとおりだと思うんですが、新たに通報が入った場合に、48時間ルールといいまして、児童相談所の職員が直接、子どもの状況を確認しなきゃいけないという、だから新たな通報されるケースの対応だけでも手いっぱいで、それだけで一日が終わってしまうということも珍しくないような状況ですよね。ちゃんとした支援とか、そういうことが、やりたくてもやれないという現状があると思います。 ここまでは現場の声。
このような児童福祉の状況をみて私(観童)は思う。
虐待、再虐待の実態を見聞きし、虐待された子供が心身ともに傷ついている被害者であるのは勿論なのですが、実はその親御さん自身が過去において幼少の頃、家庭環境や学生時代などに、とても傷つき暖かい愛情を味わうことなく大人になり子供をもったことが最大の要因であることを把握しきれていないように思えてならない。忙しい職員や支援団体の方々は事件が起きたことに対応するのが精いっぱいで被害にあった子たちや親御さんの心のケアーには不十分どころか全く足りていない現状がある。
私はメディアの質問に答えた責任あるポスト職員の『意思の力でやってるものではないので、意思に基づいてやっているものではないので』という言葉をどうしても理解できないでいた。虐待は怒りを対象にぶつけた結果の悲しい事実です。その怒りの背景には自己中心という自我がある。満たされた者は分け与えもするが、喉の渇いた者は水を求める。虐待をする親は自分が渇いているのです。心が。虐待から再虐待への防止には親の渇きを潤してやるべく対策、対応が急務ではないだろうか。 心の闇の部分を放置はできないであろう。
私がこれまで、こどもに関する親御さんからの相談のなかでいつも注目してきたのは親御さん自身の子供に対する接し方であり、その為の自身の愛情(心)の在り方です。その時にいつも浮き彫りになってくるのが親御さんの生い立ちでした。そこまで遡らないと虐待の真の原因が見えてこないことが多いし、根本的解決にはつながらないでしょう。
暴力も虐待も意思がなくてやっているのではない。意思に基づいてやっているのです。 人間は意思があって行動する生き物です。人間の五体を動かすの脳ではあるがその脳を働かしめるのは心(精神)であり魂です。人間が人間である所以は心があるからでしょう。
心は全ての言動の発信源です。意思のない、意思に基づかない行動はないのです。発作的にという表現が意思のない行動というのは、何かにいらっとした衝動的行動ということで意思のない虐待という表現かもしれませんが、実際は衝動的行動にも意思はある。 無意識とはいってもその根底にはしっかりと意識は働いている。
衝動的虐待は根底に怒りがあり、その怒りはブレーキの役目である理性の欠如にあり理性や知性の欠如は幼少期の歪んだ愛の産物です。
これまでの社会福祉の流れと実情はこの辺の専門性に乏しく今後の更なる行政の支援が急務だと思うが、そのなかでも心の問題は組織づくり以上に基本中の基本だと叫ぶ社会福祉の関係者もいるのは心強いかぎりです。
頻繁に報道される子殺しのニュースはあまりにも悲しい。
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