涙・一滴の海
手足や言葉の自由を徐々に奪われながら最後には体の運動機能を全て喪失してしまう難病脊髄小脳変性症と診断され、1988年5月23日 26歳の若き生涯を終える。
『1リットルの涙・亜也さんの日記』の抜粋です。
生きたいのです。 動けん、お金ももうけれん、 人の役に立つこともできん。
でも生きていたいんです。 わかってほしいんです。
お母さん、わたしのような醜い者が この世に生きていてもよいのでしょうか。
わたしの中の、キラッと光るものをお母さんなら きっと見つけてくれると思います。
若さがない、張りがない 生きがいがない、目標がない…… あるのは衰えていく体だけだ。
何で生きてなきゃあならんかと思う。 反面、生きたいと思う。
我慢すれば、すむことでしょうか。
一年前は立っていたのです。
話もできた、笑うこともできたのです。
それなのに、歯ぎしりしても まゆをしかめてふんばっても、もう歩けないのです。
涙をこらえて 「お母さん、もう歩けない。ものにつかまっても 立つことができなくなりました」 後十年したら……、考えるのがとてもこわい。
でも今を懸命に生きるしかないのだ。 生きていくことだけで、精いっぱいのわたし。
さて、海は地球の約80%近くを占める広大な面積。海は多くの生命が育まれる源でもありその恩恵は計り知れないものです。
その水平線の彼方に顔を出す太陽の輝きは、それ以上に私たちに多くの恵を施してやまない。そんな太陽から学ぶ愛の本当の姿は無償という言葉で心に響き広がります。
心から嬉しいとき、どうしようもなく悲しい時、やりきれないほど淋しい時に涙をながすことは悪い事じゃないし、恥ずかしいことでもない。涙を流せば心の曇りを一緒に流してくれる。
空の雲もやがて雨となった後には澄み切った晴れの大空が広がる。
だから涙を流すことはとても必要なこと。
涙は心に元気と勇気を取り戻してくれる。
涙は命の源。
涙は元気を育む一滴の海。
涙は世界で一番ちいさな海
走っても、歩いても、一日は一日。走ってばかりじゃ疲れきってしまうし、動かなければ進めない。
歩いたり、走ってみたり、立ち止まってみたりで自分のペースで過ごせればそれでいいじゃないか。
どんなに体が辛く心が萎えても、どんなに自分に嫌気がさしたり、自分を否定したりしても、自分を必要としている人がいることに気づいてほしい。
みな必要だからこの世に生まれてきたのであって、必要でない人は誰もいない。
身体の病気、心の病気で動けない、働けないのは実は天がくれた休息の時間。
昇る朝日を浴び、しずむ夕日に照らされてみると生きることの勇気や淋しさ、悲しみを強く心に感じるのは心が生きているから。
太陽から頂くもの、海からいただくものはいつも無言の働きかけ。
静かに向き合わないとそのことには気づけないで過ぎてしまう。
動いてばかり、走ってばかりじゃ気づかない。
無言の働きかけは太陽だけじゃない。
お月様も同じ。満月も三日月もとてもきれいです。
野の花一輪だって誰に注目されずともひっそりと花を咲かせている。
そう思うと身の周りの全てが愛おしく有り難く思えてくる。
寒さの厳しい冬の季節も、木々は休息だけでなく、ゆっくりと春の芽を育てている。
やがてくる春に備えて。
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