霊が主・肉体が従

霊1

過食症で悩む人、対人関係に疲労してふさぎこんでしまった人、家庭内のトラブルで意気消沈する者、うつ病で窮地に立っている者、宗教被害にあって散財するした者、様々な悩みを抱えてくる人たちに共通すること、心に一つの癖(傾向性)がある。

依存心がある。自分を通す。他の意見を聞かない。疑問を持たない。頑な過ぎる。不満を持っている。愚痴が多い。怒りやすい。責任転嫁をする。見返りを求める。要求心がある。自己中心的。感情的になりやすい。強い不安感。恐怖心がいつもある。等々

私は問う。

『あなたは何故、生れて来たのか。』、『何故、何のためにいきているのか。』と。

私たちの人生で一番大切なことは何だろうか。このブログを読んでくださっているあなたも是非、一考願いたい。

地上に生を享(う)ける時、地上で何を為(な)すべきかは、魂自身はちゃんと自覚しているのである。

何も知らずに誕生してくるのではない。

そのことをあなたは理解していないだけです。

自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう“環境“でこういう“身体“に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。

ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重(どんじゅう)さのために、あるいは肉体五官の感覚に影響されて誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識(表面)に上がって来ないだけの話である。

私たち地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。

つまり、あまりにも“この世的”物質的観点からのみ人生を考えていることだ。

人生には確かに地上的な要素があり、否定できない事実でありますが、同時に人間は霊的なものであり、“永遠に続く”生命体であるということ。

その永遠なるものを地上的視野だけで眺(なが)めてはいけません。ここに人生の苦悩という問題が発生する。

仏教でいうところの煩悩は心の迷い、闇、執着をさしていうのですが、肉体五官での価値観や、この世的な価値観に傾きすぎたときに行き詰るようになっている。

お金、知識、学歴、地位、名誉、知名度、財産の多寡、他人との比較、等々。

地上的視野、物質的価値観、それでは十全な判断はできないのである。

人間には一人の例外もなく、善悪ともに“埋め合わせ”の原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。

埋め合わせの原理とは、この地上的原因と結果に終わらず、肉体を捨てて霊界に帰ったあとも、地上における原因と結果の法則は、地上より更にはっきりとリアルに現象化するのである。

この世においては悪を為し、富を得ても隠し通せるだろうが、霊界においては心のあり方、為した言動そのままに現象化するから、悪の想いも行動も表面化するということだ。

したがって、相当な期間を厳しい環境下で反省と修養することになるのである。

このことはカルマ(業)という言葉でも表現される。

人生には目的があります。

しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性(ゆうずうせい)のないものではありません。

笛に踊らされる人形ではないのです。自分の意志で責任ある自由を表現できるのが人間だということ。

人間の一人ひとりに分霊が宿っており、一人ひとりが無限の創造活動に参加できるのである。

つまりあなたには個的存在としての責任と同時に、ある限度内の自由意志が与えられているのです。

自由意志といっても、大自然の法則の働きを阻止することができるという意味ではありません。

ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。

しかしその枠内の中で、あなたが霊界において計画した予定表、青写真に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、この地上生活におけるあなたの努力次第ということです。

もしかしたら、その青写真さえ自覚できないかもしれません。でも魂は神性を宿すが故に常に活動を求め、自己表現を求めて波のようにうねります。

時にはそれが悲嘆(ひたん)、無念、苦悩、苦痛、病苦、不安、恐怖心という形をとり、無気力状態のあなたにカツを入れ目を覚ませることになります。

従って今の試練、逆境を嘆いてはならないのです。何故なら、人間は厳しさのなかでしか力強い成長ができないからである。

もしも神があなたに人生の創造活動へ参加させ、そうすることによって潜在的神性を開発させることを望まないのであれば、あなたがこの世に生を享けた意味は無いことになりましょう。

ですから、そこに“埋め合わせの原理”が働いていることを理解しなくてはいけません。

つまり唯一なる存在の意志の創造活動に貢献する働きに携わりつつ潜在能力を開発していく生活の中で、あなたの人間的霊性の発達が促進されていくという仕組みです。

つまり二重の仕組みになっているわけです。進歩の誘発は内と外の両側から行われるのです。

肉体と魂の働きです。

魂の奥には物質界からのいかなるエネルギーよりも大きな威力が秘められています。

人間の魂は宇宙の意識の一部だからです。それが無ければ生命は存在しません。

なぜなら生命は霊そのものだからです。物質はカゲに過ぎません。霊という存在の殻に過ぎません。

この二重のエネルギーをどこまで活用できるかは、その魂の悟(さと)りの程度にかかっています。あなたの心の悟りにあるということだ。

霊は意識であり、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものです。霊の無いところには生命はありません。物質は殻(カラ)に過ぎません。霊という実在によって投影されたカゲにすぎません。

霊が主であり肉体は従だということ。

あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、勘案し、熟考することができるのは、あなたが魂(霊)であるからこそです。

霊があなたの身体を動かしているのです。霊が離れたら最期、その身体は崩壊して元の土くれに戻ってしまいます。

肉体は火葬すれば三合の灰になるだけである。物質を崇拝する人間は間違った偶像(ぐうぞう)を拝していることになります。そこに真実が無いからです。物質は一時的な存在に過ぎません。

霊はすべての存在物を形成する基本的素材であるが故に永続性があります。

人間という形体によって表現されている生命力は、小鳥、動物、魚類、樹木、草花、果実、野菜等に表現されているものと同じ生命力なのです。

いかなる形体にせよ、生命のあるところには必ず霊が働いております。

自覚の程度、意識の程度にはさまざまな段階があります。霊の表現形態は無限だからです。

無限なるものに制限を加えるわけには参りません。

その生命の背後の力を人類は“神”とよぶ者もいるだろう。

私は、唯一なる存在と表現してきた。

それは全ての霊の極致であり源泉であり頂上であるからです。

宇宙に存在する一切のものは、いかなる形態を取ろうと、創造者たるその唯一なる存在の意思の表現であることに変わりはない。

きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ  にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ