天に心を向けることの効用

2020年3月7日

人となりを表現する言葉として、個性、性格、人間性、タイプ、徳性、といったものがあります。
幼いころから人前に出ることが苦手だったり、自分から積極的に行動することができなかったり、誰かに引っ張ってもらわないと何かができないというケースもあります。
そういう人でも、「これをやってみたらどうかな?」と段取りをしてやると動き出す。
積極性に欠けるといえばそうですが、自分のもった性格というものはなかなか変えがたいものです。
こういう人の場合は、自分は何のために働くのかという基本的なところを心に落としておくことで気持ちが前に進むことができるところもあるようです。
もう一歩踏み込んでいうならば、「自分は何の為に生きているのか」という人生の原点まで掘り下げて自覚すると、更にブレのない前向きな気持ちがうまれてくるものです。
人間はたくさんの失敗をします。
しかし、昨日の失敗からは多くの気づき、学びがあります。
今日を精いっぱい、一生懸命に生きることで、初めて明日に期待がもてることになります。
何かを成功させたかったら、成功するまで失敗を繰り返すことに憶病にならないこと、と私は思います。
そういう必死な生き方をするとき、また、している人をみると必ずその人は見えない光りを放っています。
そういう人は、やがて人生の生涯においても光りを放つものとなるでしょう。
長い冬を越して、やがて春の日差しを感じる体は、冬の寒さを知っているからこその温もりを実感できます。
人生も苦境・試練を経験しているからこそ人様の温もりを有り難く思えるのでしょう。
人間は人間同士の関わり・つき合いのなかで助けられ生かされていますが、反面、人間を相手にするからこそ、失望もしたり、争いにもなったりします。
こういう時に自分の心を乱さないためには、人を相手にするのではなく、もっと大きなもの、例えば宇宙の意識、宇宙の法則、自然の法則、といったところの天に心を向けて人生を考えることも自分を取り戻す手段、方法となります。
眼の前の小さなことに心を動揺させて、大切なもの、大きな目的を見失うのは勿体ないことではないだろうか。
いつもカウンセリングをしていて、私自身が思うことは、「これをやれるか、やれないか」ではなく「やる気があるのか、ないのか」だけだと。
ですから、目的地までの距離が問題なのではなく、初めの第一歩が、踏み出すことの大切さとしてすべてだと思うのです。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。