憑依と思いこむことの間違い

2020年3月7日

「子どもの様子がおかしいからみてください」といってくるケースがあります。
あるいは幼児から大人まで「憑依されたから何とかしてください」と連絡をしてくるケースが時々あります。
ところが実際に調べてみると憑依ではないケースがあります。
この「憑依」という言葉の意味はどういう状態をいうのか、人によってその解釈も理解もマチマチで随分と違いがあるようです。
本来の憑依というのは、霊が乗り移ること。
乗り移るというのは憑(つ)くことを憑依、というのであって、それは私たちが体をもっているから体に憑くのであって、体がなければ憑きようがないわけです。
それではなぜ体に憑くのかというと、実はその人の心に憑いているのであって、結果的に体が霊の依代(よりしろ)となるということです。
この原理、原因はどこにあるのかというと、体にあるのではなく、憑依される人の心にあるということを正しく理解しておかなくては憑依は続くことになります。
憑依は、その人の心に影響を与え、思考が不安定、不調和になってきます。
思考が不安定になるということは、心が影響を受けた結果として憑依霊の不調和な精神状態が憑依された人の表に出るのであって、強いては感情の起伏が激しくなる、言動に一貫性が無くなる、気分にむらがある、自分では正常だと思っていたとしても他から見ると極めて冷静ではない人間に見えているわけです。
また、このことによって体調が思わしくなくなることも多分にあります。
憑依とは言っても、その実態は様々であって、浅い憑依であれば、自分の理性も働いてなんとか日常生活をできているケースがあります。
深い憑依となると精神状態が通常の自分ではいられなくなるために理性が働かなくなり、精神的な疾患にまで陥っているケースがあります。
一日24時間の憑依ということは少ないのですが、ちょくちょく憑依されることを繰り返すことによって、霊道ができてしまい、何かしらちょっとしたきっかけがあると豹変することにもなりかねません。
ときどき不安定になる人、荒れる人もいますが、全てを霊のせいにしたり、憑依のせいにすることもできません。
それ以上に、自分自身の業(カルマ)人間性、個性、傾向性、によって翻弄されている場合がありますから、これは自分自身が気づいて修正していく努力をしなくてはならないでしょう。
よくあることですが、自分にとって不都合な事や、意に沿わないことがあると言動がおかしくなるということがあります。
これはやはり、その本人が自分自身を冷静に客観視して修正していくしかありません。
憑依についてもう少し述べておきます。
もう一人の自分がいるとか、誰かが私に話しかけてくるとか、あれこれ意味不明のことを言ってみたり、果ては「神様が語りかけてきた」「龍神がこう言っている」「お稲荷様が言っている」等々、神や仏を語りだしたら最悪の状態だといってもいいでしょう。
神様や龍神、お稲荷さまについてはこの場は割愛させていただきます。
このように誰かが耳元で語りかけている、囁いている、その人と会話している、こういった状態は憑依の進んだ状態とみていいかと思います。
特徴としては、耳元で聞こえてくる音声(言葉)は低級霊の為す行為です。
逆に、次元の高い霊の場合は耳元で語りかけるというようなことはありません。
高次な霊からのメッセージは、言葉や想いが、胸の中に湧き出るようにして広がりがあり、何よりも安らかな境涯になれるものです。
その点、耳元で語りかけてくる霊の場合は、この安らかな境涯になることはなく、いつも心が不安定で、イライラしたり、落ち着かず、悲しくなったり、淋しくなったり、急に怒りの感情が湧き出たりする傾向にあります。
憑依の現象としては、人によっては非常に貪欲になり、何事にも自己堅持欲や自己主張が強く、飽くなき欲望の権化となってしまうこともあります。
この憑依について世間では、神降ろし・神懸り・神宿り、等とも表現しているところがありますが、本来は違うと思います。
憑依は邪悪な霊、未浄化な霊、浮遊霊、地縛霊、自縛霊、つまり悪霊が憑いた状態をいうのであって、神降ろし、神懸かり、神宿りという言葉の意味とは本質的に異なります。
ですから憑依と神懸かりは別に考えたいのですが、社会では一緒にまとめて解釈されているところもあるようです。
ここでもう一つ述べておきたいことは、「神懸かり」という言葉の意味合いについてです。
例えば、シャーマンが自らの意思によって徐々にトランス状態になり、関わってきた霊体の意思をメッセージとして代弁するというシャーマニズム
実は、このシャーマンにも人それぞれに魂のステージがあって、そのステージの差異によって関わってくる霊界者の次元が異なってくるということ。
したがって、神が人間に直接降りることは無く、神だと思っているのは実は霊界において使命をもった霊人が指導している光りの天使だと理解すべきでしょう。
そもそも、この辺の事情については、高次な霊人とのコンタクトがとれる人間ならばよく解っているはずです。
次元の差はあっても、霊界とのコンタクトの原理を例えていうなら、人間の魂(心)は受信機であり、送信機だといえばわかるでしょうか。
ラジオを聞くには、自分が聞きたいチャンネルに周波数を合わせる必要があります。
この周波数を高次な世界にコンタクトさせるには自分の心のステージを日頃からアップしておかなければなりません。
したがって、自分の心のステージの高低がどの位置にあるかが、憑依になるか、高次な霊とのコンタクトになるかを決定づけることになります。
否、高次な霊とのコンタクト云々という必要もなく、自分の心の安息をつくりあげることが何にも増して重要だと思います。
過去には「卑弥呼」という人が邪馬台国にて女王に君臨し、政治をおこなっていいました。
卑弥呼は、(日巫女・ひみこ・太陽に仕える巫女)(日御子・ひみこ・太陽神の御子)(姫子・ひめこ・姫御子)とも解釈され、シャーマンとして高次な霊界と交信しながらそれを政治にも反映していたとされています。
卑弥呼に関しては諸説あり、人物像が不祥なところもありますが、2世紀後半から3世紀前半に活躍された人物として紹介されています。
霊界とコンタクトできる人、コンタクトしやすい人、されやすい人、人の波動を敏感に感じやすい人、人の波動や場の波動を体で感じやすい人、霊波動に負けて心乱しやすい人と様々です。
中には憑依そのものは軽度のものでしかないのに、言動がとても乱れてしまう人もいます。
こういう人の場合は、基本的に自分の心に不調和な想念があるため、浅い憑依や他人の邪気波動を被っても精神を取り乱す傾向にあります。
こうしてみますと、「憑依」と一言にはいってもその実情は多岐にわたります。
大切な事は、他人の邪気を被った場合も、憑依された場合も、それを解除するために浄化をしてもらったとしても、そのことで根本的な解決にはならないということ。
こういった現象から根本的に解放されるには、先ずはその実態をよく理解すること。
そして、自分の心の調和を実践すること。
その為の学びをすること。
これなくして、「私は憑依体質です」「私は霊媒体質だから」といって自分の心の傾向性を改めなければ何ら改善されることは無いでしょう。
憑依は体質だから、といって体のせいにして自分の心の不調和や未熟に蓋をすることだけは改めなくてはなりません。
私がこれまで接してきた人たちのなかで、霊的なトラブルに遭遇している人の場合、感情の起伏がある人、自我心の強い人が最も深刻であるケースが多くみられました。
最後にお伝えしたいことは、憑依然り、邪気の霊波動に翻弄されること然り、これは体だけの問題では済まされない問題だということです。
邪気波動を被ったときも、憑依されたときも、いずれも自分の体調の良くないところに強く作用して症状を自覚するものでもあります。
それだけに日頃から自分の健康管理を心掛けておくことが肝要です。
またそれ以上に心の健康に努めていきたいものです。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。