流れる水の如く


自然界の神秘
昨夜は九時ころに少し涼もうと外に出てみた。
周りの林を通り抜けてくる静かな空気はひんやりと冷たい自然クーラーとなって湯上りのほてった体を冷ましてくれる。
心地よさに空を見上げるとたくさんの星が光り輝いていた。
星空の中心には満月前の月が光輪を放ちながら私の足元を照らしている。
ふと『あの綺麗な夜空に帰りたいな。わが故郷に。』と思った。
宇宙の創成、銀河宇宙、太陽系等の天体の運行だけ考えても不思議です。
天文学で、今一番遠くに見える星は30億光年といわれています。
光の速度は1秒間に30万キロメートルで、地球の赤道の1番大きなところを7周り半する速さ。この光の速度で1年間走る距離を1光年と言います。
その光の速さで30億年かかる所にその星があるというのです。ということは、今私達が見ているその星の光は、30億年前にその星をスタートした光であるということです。
科学的には、この地球ができたのが約30億年前であると言われておりますが、その当時は今の様ではなくて地球は星雲状態にあったわけです。
その星の光がその星をスタートした頃に地球はつくり始められて、その星の光が30億年かかって、やっと地球に到達したその間に、地球はいろいろの歴史を作ってきたという訳です。
その星の向こうにどういう星があるかは、まだそこまで見ることのできる望遠鏡がつくられていないので見ることができないのですが、何もないということは言えません。
我が心の師は言います。『太陽は毎秒200万トンの石炭を燃焼したほどの光と熱とを我々に与えていてくれるのですが、太陽の光と熱とはタダです。もし私たちが、この太陽が与えてくれる光と熱に代金を払わなければならないとしたら、私たちはそれを払えるでしょうか。不可能です。電力会社は電気代を1カ月払わなければ電気を止めます。この太陽の姿こそ天の慈悲の現れでなくてなんでしょうか。』と言い残しておられます。
古代より太陽なくしては生きて行かれないことを知っている人類は、その人智の及ばない絶対的な力に対して自然に太陽を畏怖(いふ)し、頭を垂れるようになりました。
日本でも終戦前までは朝早く戸外で太陽に向かって、「お天道様のおかげで」と拍手をして拝んでいる人がどこでも見られたと親から伝え聞いています。このような自然に対する謙虚で感謝の心を私達も持たなければいけないと思います。
この太陽ができたのは、今から50億年前だと言われております。太陽の中心の温度は、およそ2000万度、数千気圧で、水素原子核が熱核融合反応を起こしているその25億分の1の光りと熱エネルギーが地球に届いているに過ぎず、およそ毎秒200万トンの石炭を燃焼させたのに等しい量であるというのです。
この太陽と同じような星が、いまわかっている宇宙空間に1000億個あるというのですから、私たちはこの宇宙の広大さに驚かなければなりません。しかし驚いてばかりいたのではいけないのです。
もっと驚かなければならないことは、この宇宙の広大さを理解することができる所の広さを持っているのが人間の心です。
宇宙空間の広大さに驚く人は今まで沢山あっても、その心の広大さに気づいた人は少ないのでした。
多くの人は宇宙の広大さと、わずか160センチから170センチしかない肉体の大きさと比較して、人間を少さなものと考えてきましたが、肉体は小さくても、この宇宙空間を入れる心の広大さを人間は持っていることに気付かなければならないのです。
「宇宙即我」という大悟は、この心の広大さを自覚する所から始まりますから、我々の心が肉体とその五官にとらわれている間は心が広くなることはありません。
天の唯一の意識がつくられたこの宇宙の広大さ、この宇宙の中で営まれているいろいろな生命の神秘さとその生命体の無限の数、それらの全てを「宇宙即我」という心は包み込んでしまう。
目の前の小さなどうでもいいようなことに執着していたのではとても「宇宙即我」の大悟を知ることはできないだろう。
座禅やヨガの瞑想などでストレスを解消して多少心のゆとりは得ることができても、「宇宙即我」の悟りを得ることができないのは、『肉体の小さな頭脳と少しばかりの知識と体験からくる主観的な価値観に執着して、その頭脳で全てのことを解ろうとしているからだ』とわが心の師は言い残しています。
頭脳は本当の自分自身即ち心(魂)が、肉体的表現を通して心(魂)自身の向上を図るための一つの機関にしか過ぎません。
科学者の問題点は、色々な研究を自分の頭で考えるために、頭脳の作用が心であると考えている所にあります。
魂が心という作用を表現するために使っているコンピューターが頭脳なのであって、その魂(心)が無限大の宇宙意識に通じていることを知らなければならない。
太陽を中心に寸分の狂いもなく同じ軌道を周回する(地動説)太陽系の惑星群、そのなかの一つが地球です。この地球が現在の位置より少しでも太陽に近かったり、遠かったりすれば寒暖のバランスが崩れて地上の生命体は存在できないことになる。
やはり人類は地球のうえで生かされている生命体です。
プライドや少しばかりの人生経験で得た知識、価値観など宇宙から見ればチリほどのことでしかないだろう。
そのようなことに囚われて生きる苦悩の愚かさに気づいたら、そんな自分を捨てて生きてみたらどうだろうかと私は相談者に話すことがあるのだが、それでもなかなか自分の意思を通す心の癖は改められないでいる。
自然界の神秘的な働きは秩序と調和の意識によって支配されているのであり、私たちも、その天なる意識に沿った、自然界の摂理に学んだ生き方をしなければならない。
高きより低きに流れる水の如く、心を止め置かぬこと。
つまり心を調えるということは自我心という執着に心を止め置かぬことです。
流れる水の如く。