幸せへの法則


Fさんは愛犬の血統書付のスピッツが玄関脇からいなくなった。
脱走できる状況ではなかったから誰かが連れて行った訳である。
相手の名前や顔ががわからなくてもこういう時は「私の家のスピッツを連れて行った人よ」と呼べば、あなたの守護霊がその人の守護霊を通じて心の内面にそのことを伝達してくれることになるのです。
「あなたは私の所の犬を連れて行って、それで得をしたと思っていられるかもわかりませんが、そういうことをしていたのではあなた自身が幸せにならないのです。私はあなたの幸せを祈っております。あなたが幸せになられるには、あなたはその犬をやはり元の所に返される方がよいのです。私達の知らない間に返しておいて下さい。」とその晩、祈られた。
そうしたら翌朝、夜が明けてみたら玄関の所に返してあった。
きょうは人間の運命を支配するものは、表面の現在意識よりも、奥底の潜在意識の方が強いということを理解していただくためのお話しをしましょう。
表面はその人がどんなに立派に見えていても、潜在意識即ち心の奥底で、人を鋭く切り裂いて批判したり、不満や愚痴や怒りや人を抹殺しようと思ったりすると、類は類をもって集まるという心の法則によって、最悪は殺意を持っている人と波長が合って突発的な事故や事件に遭うということになる。
また自分が正しいという正義感の強い人がなぜ不幸になるかというと、自分の正しさを主張する余りに自分に反対する人を憎んだり恨んだり、あるいは排除や抹殺しようと思ったりするからです。
あんなに立派な正しい人がどうして運が悪いのかという疑問を持っている人は多いと思うが、それは潜在意識でどう思うかということが強く運命に影響して来るからです。
人間は表面的にはどのようにも取り繕うことはできますが、しかし心の深い奥底の部分、つまり潜在的な意識で相反する不調和な思いをもっていれば、そのことの方が現実の現象となって現れてくるということです。
だから、自分が正しい場合でも相手を憎んだりしたら自分がやられるから、相手を憎んだりせずに自分の心を愛によって満たして相手が幸せになることを祈らなければならない。
自分の心の中に、そういう事件に遭うような心がなければ絶対にそのような事件に遭うことはないのです。
だから、表面は立派であったかもしれないが、心の奥底の潜在意識はどうであったかということを問題にしなければならないのである。
ともかく、自分の心の中に不幸になる原因がなければ、我々は絶対に不幸に遭うことはないのです。
昔から「人を呪わば穴二つ」と言う。これは、人が不幸になることを心で思えば、その念を受けて相手も不幸になるが、自分も不幸になるということです。夫に対して不満や愚痴や怒りや憎しみをもっている妻が穏やかになれる道理などあるはずもなく、本当の幸せなどありようがない。
妻に対して同じような思いをもっている夫が家庭を平和にできるはずもなく、外に出ても本当の良い仕事などできようはずもない。仮に目先の成果だけ自慢しても必ず敵の多い人生となる。
だから自分が不幸にならずに幸福になりたかったらこの反対をすればいい。
自分が幸福になりたかったら人が幸福になることを祈ればよいのです。
「あんなひどいことをした奴が、どうして幸せになることを祈れるか」と言われるかも知れない。確かにそういう人のために祈ることはいまいましいし馬鹿らしい気がする。
しかし、人が不幸になることを祈って、自分だけが幸福になることは絶対にないのが心の法則なのですから、自分が幸福になりたかったらどんな人の幸せでも祈らなければならないのです。
と言う事は、我々が天の心に成りきることである。
太陽は、人が太陽に向かって「太陽の馬鹿野郎、お前の世話なんかになるものか」と言う人があったとしても、それには関係なく無償の慈愛で照らし続ける。
人間も心が広く器の大きい人は他の攻撃も非難も許してしまう。
ですから我々も太陽の心になって全ての人々の幸せを祈り続けることである。
そういう心になることによって我々の魂は向上してゆくのであり、また、幸せになってゆくのです。
ある弁護士の人は正義感が強いだけに相手に対する攻撃精神も旺盛であった。
引き受けた弁護が、何時もややこしい問題で、自分で立派な弁護をしたつもりでも何時も裁判で負けてばかりいた為に収入も少なかった。
我が心の師は相談を受けた。
1・攻撃的な心を捨てて相手の幸福を祈らなければならない事。
2・法廷全体が調和のとれた光に包まれて裁判官はじめ法廷内の人はみな調和された心であると祈ること。
3・出て来る結果を全て天の心として感謝すること。以上の三つのことを教えてあげた。
そうしたらその弁護士の客筋が全部変わってしまって難しい、また負けるような弁護の依頼は一つもなくなって、余り時間もかからずしかも勝つような問題だけを頼みに来るようになって収入も増えた。
自分と相対するもの、自分を責め憎むもののために幸せを祈ることなどできないと大方の人は言います。
しかし、これが愛の法則なのです。
「もし今まで誰かを憎み怨んで来た人があったとしたら、この場でその人を赦(ゆる)し、その人が幸せになることを祈ることです。
あなたのその祈りは、祈った瞬間に相手に通じて相手も変わるきっかけになるだろう。
そしてウソかホントかは、あなたが実践してみるとわかることである。